(三)鈴々と才蔵

 雲が広がっていた。ぬるい風が吹いてゆく。

「なんや。唐の狸はおらへんの」

 南京屋の店先で、ひやかしの客が声をかけた。淡路屋の半被姿の娘が二人、軽く笑う。

「へい。あたしらが店番」

「そうかい。なら、たんと留守番の銭をもらいなや」

「今日なら、ばてれんのほうがよかった」

 二人の娘はむくれる。

 客は首をすくめた。

 その様子を、さっきから向かいの店の幟に隠れ、のぞく小さな姿があった。

 ひょいとしわがれた声がかかる。

「いつまでそこにおる」

 ひゃり、ひゃり。

「ひっ。あ、あなた」

「はて、用があるのは、どちらか」

 指を、南京屋に向けたあと、おのれに向けた。

「わしなのか、鈴屋の小娘」

 鈴々は口がふるっとなったが、うなずいた。

「は、はい。あの」

 紅骨はくるりと背を向ける。

「ついてこい」

 ひょこりひょこり歩いてゆく。鈴々はやや迷いながらも踏み出した。

 潮風がむっと香ってくる。そのまま湊に出た。

 向かい風に進む紅骨の背には小さな荷があった。波が穏やかにうねる。ゆらり、停泊するいくつもの船がゆれていた。

 紅骨はためらいもなく船のもの相手の露天の店に寄る。はためく幟には甘茶とあった。くいっと、あごをしゃくる紅骨。

「えっ」

 慌てて鈴々は頼む。

「あっ、ふ、ふたつ」

「まいど」

 紅骨は小銭を払うと、後ろの松の根元に腰をおろす。はたはたと鈴々が甘茶の椀を運んできた。礼もないままくいと呑む。ばつがわるいので、鈴々も並んで座った。

 やや甘ったるい茶がのどを過ぎる。

 いささか咽た。

 ちらと紅骨は冷やかな笑みを浮かべた。

「はようせい」

 鈴々は目が丸くなる。

「ほれ、はようせい」

「も、もうちょっとで」

「茶ではない。わしになんぞあるのじゃろう。わしが乗る船は間もなく出るぞ」

 腰をひょいと浮かせる。

「お、おまちを」

 鈴々は、その腹に力を込めた。

「あ、あの、そうなの。ひと集めとやらを、階段で耳にしたのです。なにか、えらく銭になるとか。いま鈴屋は、姉さまも旅にいって商いがやれてない。これでは、朝鮮人参やらの仕入れにも困ってしまう。銭がいるの」

「ふむ」

「も、もちろん、ぶちりなんて、とんでもないけど、けがの手当てならやれます。そんな小者のお役とかは、ありませぬか・・」

 その、尖る瞳がじろりとなる。

 やおら、紅骨の顔がくしやっと、歪んだ。

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