(二)鈴々と才蔵
「お久しぶりですね」
ゆるりと顔を上げた。まだにきびもあるが、きゅっとした眉に瞳がさわやか。めずらしいのは、眼鏡という瑠璃丸玉の細工ものが鼻にかけてあった。
「これは、末の弟の百学さまか。ごりっぱになられた。いつ、長崎から戻られたや」
千石がへらっと笑う。
「ちょい前か。それで、早々にうちの爺さまからばてれんをもらってな。俺がくれといっても、とぼけるばかりだったのに」
「すると、もしや」
「はい、ばてれんの主となりました。未熟ものではありますが、なにとぞ、よろしくお願いいたしまする。もはや、遊び女の館とやらにはなりませぬので、ご安心を」
ぷいっと千石がそっぽ向く。
こほんと、百学がせきをする。
「さて、このところあにさまは、なにかと紀州の怪談ばかりをなさる。やや、うんざりしております。それほどに、ひとが呪われ、あげく死人がうろついてるのですか」
「あらま、とんだ尾ひれがついてる」
「そうしないと、いまどきの娘は怖がってくれないの」
王鈴も、こほんとせきする。
「ほんとは、荒行ゆえか、ひとが戻ってこない。なにものにやられたか、といううわさね」
「はて、なにもの」
千石がうらめしげに笑う。
「憑きものじゃないかってな」
ふむと、百学は腕を組む。
「まっとうなら、もらった銭をめぐって争ったか、逃げたかでしょう。もしも、うわさがほんとというなら、憑きものにやられた。それは、狐か狸か。はたまた、蛇やら猿もあるやも。けれど、島のいわれからすると、死人といえなくもない」
それまで、へらへらしてた千石が、えっとなった。
「おいっ、ほんとにいるか。しのかみとやら」
百学はさらりと笑う。
「それは、なんとも。書物にはこうあります」
その指が、空に文字をなぞった。
「縊鬼と書いて、いつきと読む。この死人はひとに憑いて、冥土へ誘うとやら」
「ふむ、まさに、しのかみさま」
王鈴が震えた。
「唐にも、そいつがいる。いきと読むね」
おっと、と千石もふるっとなった。
「いい伝えにある。ときに、死人が生きたものにとって代ろうと、目をつけたものを死に追いやることがある。その死人を縊鬼と呼ぶよ」
「まいったな。そんな、ぶちりかい」
「はてさて」
「ともあれ、こぶがあるものの、しのかみは死人の類いやも。もっとも、その坊さまはこぶの憑きものとは、いっていない」
「なら、ふつうの死人のほうか、いや、ひょっとしたら」
千石がそれで冷やりとなった。
「憑きものは、一匹ではないのかも」
冷やりと、その肉付きのいい王鈴の首に手が触る。ひゃあっと、前につんのめった。
「きゃっ、どうしたの、おいちゃん」
くりっとした瞳の童女二人が後ろにいた。
「これは、もみじに、楓か。どうしたの。もうたんと食べたかい」
二人はつまらなそうに、口を尖らせる。
「もういいでしょ。こっちにきて。海坊主のつづきが聞きたい」
そういうもみじに、楓もそうそうという。
「あれは、おっきいタコなの。ぽんぽこのおいちゃん」
千石がぺんと王鈴の背を叩く。そのまま二人に王鈴は連れていかれた。
「ふふっ。紀州のねたは、なかなかうまそうな」
百学がぽつりとつぶやく。
「それくらい、商いにも熱をもってくれたら」
「おや、なにかいったか」
千石がひょいと向く。
いや、と百学は苦笑い。
「そういえば、阿国姉さまは、なかなかのやり手なお方。にもかかわらず、よくつるんでくださるのは、堺衆では、はみ出てるうちや、あるいは唐人の白鈴姉さまやら。もっと、銭のあるまっとうな堺衆とつるめば、芝居もはかどるはずなのに」
「まったくな。みょうに、半端ものや、出来そこないの若旦那とつるんでなさる」
「かえって真面なところは文句ばかりで、芝居を銭としか、みてないからですか」
「それもあるな」
「というと、ほかに」
ぐびっと、千石は酒をうまそうに呑み干した。
「いつか、きいてみな」
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