(五)ねたはないか
その、やや白く濁る目玉がぎょろりとなる。
「いや、わしもはっきりとは知らぬ。耳にしておるのは、宝泉寺には奥の院という山寺がある。そこで、厄が憑いたとみたてた猪やらを山へと放ち、それをものどもが追って仕留める。のちに、奥の院の、さらに奥にある沼に沈めて、終わりとする」
「また風変わりな。あたかも、厄を沼へ沈めるかのよう」
あるいはと白鈴がいう。
「生けにえを捧げる、ということかも。沼が霊地とみられてる」
「まさに。沼は骨沼というて、なんでも水の底は、骨だらけとか」
ひゃりひゃりと紅骨が笑う。
「ところで、沼に沈めるため、木に猪やらを吊るし鉈などで綱を切る。不思議なことに、どう断ち切っても、引きちぎったごとく、ぶちりと音がするそうな」
白鈴がそっと耳をふさいだ。
「ゆえに、ぶちり、と呼ばれるのやも」
ふうんと、才蔵が腕組みをする。
「それでも、狩りにちがいない。なのに、死人がぞろぞろ出るの」
はてと、紅骨は笑うのみ。
「ちなみに、あんたは、あのへんは忍んだこと、ないのかい」
阿国に、才蔵は苦笑いをみせた。
「ちょうど紀州辺りは、猿飛という、太い眉のおたんこなすの仕切りだから、なんともわからない。けど、笑える坊主のねたくらいはある」
「笑える坊主って」
白鈴が目を丸くする。
「その、宝明寺の住職は有名よ。唐かぶれの明海ってね。寺は、まさに唐の寺かといわれてる。やたら屋根の端が跳ね上がった造りだそうな。おまけに、道士とかいう、唐の坊主まで招いたとも。あれで、お教をあげているのかと、うわさされてる」
ふと、白鈴がうかぬ顔になった。
「みょうな坊主もいたものさ。それで、よく檀家が文句をいわないね」
そういう阿国に、才蔵がにやりとする。
「からくりがある。それは、薬と銭。道士の術とやらに、明海はのめり込み、色々と秘薬をこさえたらしい。なかでも阿片は飛ぶように売れるとか。ただ、めっぽう高いらしい。たちの悪いぼったくりだね」
「そうか。もうけた銭と、薬を振舞って、たぶらかしたか」
「そして明海は、いずれ仙人になるって。坊主だろ、仏はどうするの。笑えちまう」
「なるほど、道術を極めた先は、仙人となる」
ぽつりと白鈴のつぶやき。
「はて、白鈴や。なにか、知っていそうな」
その瞳が泳いだ。
「いやさ、あたしも唐のもの。道教には馴染みがあるの」
ぱんと、手を打って王鈴が、おどけたように笑う。
「ともあれ、そのぶちりが、紅骨さんのねたものか。いつもながら、ひと癖も、ふた癖もあるもの。そして、ひと集めとは、前にぞろぞろ死人がでたおかげで、こたびは、ひとがやりたがらないということか」
しわくちゃの口が、にたっと笑う。
「ぶちりはの、もう始まっておるのよ」
あらっと、王鈴が目を丸くする。
「さても、なんぴとが島へと渡ったのか。それで、ぶちりをやったのか。けれども」
ひゃりひゃりと紅骨が笑う。
「なんぴとも、島の山から戻ってこぬ」
阿国がしかめっつらになった。
「いや、ひとりおった。付きそい役の坊主が、血まみれの姿で降りてきたとな。そののち、島から戻るや、憑きもの、憑きものがおったと、奇声をあげ気を失ったとな」
なにやら、辺りが冷やりとなる。
「なにかおるのか。猪とはちがうものか」
才蔵があやしむ。
「ともかく、宝明寺はぶちりをおさめねばと、銭を叩いてひとを集めておる。いやはや、肝が冷えるねたであろう。はてさて、ぶちりに、なにがあったやら」
ふむと、阿国がいう。
「それで、そのひとりの坊さまは、あとになって、なにかしゃべってないか。ほんとは、お化けも枯れ木ということもある」
「いや、ひたすら念仏をくり返すのみ」
「それなら、明海坊主はどうなの。ぶちりを仕切るものなら、なにか知ってる」
紅骨が王鈴に冷ややかに笑った。
「いかにも。なれど、こたびの、憑きものを山へと放つ儀式のおりに、客の山伏が酔って猪を逃がした。これが暴れて、あちこち打ちつけたとな。それで伏しておるそうな」
「なにさ、はやそこで、けちがついたのか」
「でも、どうじゃ、阿国さま。銭はたっぷりはずむ、しかも前払い。そのうえ、ぶちりを丸くおさめれば、褒美は望みのままとやら」
「おっと、おいしいか」
「やめな」
白鈴が、引きちぎらんばかりに、阿国の袖口を握る。
口元におびえがあった。
「さても、ねたは味わってくれたか。お終いに、この語りをしよう。あの、明海がなぜ、墨島で荒行をやろうとしたのか。霊地とみたからか。末寺があるゆえ、やり易かったか。しかし、この曰くを知っておったなら、はたしてどうであったかの」
王鈴と白鈴は息を呑む。
才蔵は腰がちょっぴり浮いている。
阿国はふっと笑う。
紅骨の声音が低くなった。
「こういうはなしがある」
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