(二)ねたはないか

「いまや、踊りといえば阿国の一座。出雲の大社おおやしろの寄付を頼みて、日の本を西へ東へ踊りと芝居で賑わせる。一座がゆけば、やれ楽しや、やれうれしや、心が舞い踊る」

 才蔵も、ひらりと舞う。

「さて、そこで、こたびの芝居は、炎に散りゆく姫君とやら。なんとも悲恋な姫の物語。ときに姫として生き、姫として嫁ぎ、そのさだめに迷いもなかった。なのに、過ぎ去りし日々の恋が、いまに、よみがえる。それも、主が謀反で倒れる炎のなかで。

 ややっ、そなたは光秀か。濃姫さまっ。燃え落ちる本能寺。涙はらはらって、けど、このねた、ほんとに舞台でやるの」

 子狐のつらがしょっぱくなる。

「京の都は、いまやてんやわんや。どの武将もぴりぴりしてる。そこへ、この姫君の見世物なら、あとで、どんなお咎めがくるやら。一座だけじゃなくて、堺の衆もとばっちり。さすがの旦那もおじけるさ。華やかな絵巻物だけど、このねたは没だね」

 どんと、二階で音がする。鈴々は耳をふさいだ。

「おっかねえ。じゃましたな、鈴々」

 ふっと笑うと、もう才蔵の姿はなかった。

 二階では、なるほどと白鈴が笑いをこらえてる。上座では、半紙を並べては、阿国がどっぷりと墨を含ませた筆で、文字を書き散らかしていた。

 ずぶと、大蛇がのたうつように文字を走らせる。そしてするりと抜く。ぽたりとしずく。

「むう」

 気に入らないのか、紙を丸めてぽいと投げる。

「いまさら、流行りの、阿弥陀仏の写経かい」

 白鈴が呆れる。

「悟ったの。芝居とは、後先なんかどうでもいい。粋のよさこそ。なのに、へっぴり腰のやつらばかり。なら、芝居屋よりも、もっともらしいお経を売れば、そのほうが楽に銭になる」

「むくれるのは、およしなさいって」

「むくれるさ。だいたい、唐から逃げてきたって、白鈴と鈴々。踊りはへたっぴで、唄も音がずれる。でも漢方を知ってる。なら、商いになると喜んだのに、堺に叔父がいて、店までやってると知るや、とっとと出てった。それで、久しぶりに来たら、いまや鈴屋の主か。左うちわだね」

「おっと、からむね。そりゃ、一座のみんなには済まないけれど、鈴々のためにも旅回りは辛かったのさ。さんざわびたじゃないか」

 ぐびっと阿国は徳利の濁酒をそのまま呑む。

「許さないよおっ」

 どぷっと、硯の墨を筆に含ませるや、太文字を走らせた。

「いやはや、これはあっとなる、ねたはないものか。そうでもないと、この呑んだくれは、どうにもおさまらない」

 ことっと、薬研をどけて白鈴は腕を組んだ。

 ふと、どすどすと音がする。のそのそとした足取りで、誰か階段を上ってきた。

「白鈴や。阿国姉さまが、淡路屋を出てったまま戻らないって。どこいったか」

 布袋様のようなつらに、ちょんとあごひげのおやじが、ぬっと入って来た。

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