第4話

 意識が戻ったのは穏やかな刻だった。

 光。気温。湿度。魔素。

 眼や鼻に皮膚。様々な感覚器官に刺激が到来する。それを感じ俺はヒトであるのだと再認識する。そして夢ではなかったのだと安堵から瞳から水分が流れていく。

 感慨はしばらくの時間で納めておくとしよう。


 身体を起こし周囲を見渡せばそこは前回と同じ部屋。前回検分のために触れた本屋衣類は元の位置に戻されているが配置に大きな変化はない。燃やしてしまった日記など無いモノは無いのだが。

 大きな変化があるとすればそこにヒトが1人いるということ。



「あ、ああ、ウィート様。お目覚めになっていらしたんですね」



 室内にいたヒト、人間の女性が発した音。その意味を理解するのに少し時間がかかる。やはり情報としての処理と刺激としての処理は違うのだろう。ヒトが口を開き喉を鳴らし言葉を紡ぎそれを鼓膜を介して意味を理解するというのは実に非効率的。

 ではどうすればいいのかと言えば、どうだろうか。

 非実体の時を考えれば周囲の状況を情報として与えられていた。それらは数値で管理されていた。正しくはそういうモノとして強制的に理解させられていた。それを考えれば言葉ではなく魔法を用いて直接ねじ込んだ方が速いのだろう。勿論魔法の発動と完了に時間はかかるだろうが言葉よりは早いだろう。

 そんなことを考えていたからだろうか。その人間が重要なことを発したという事に思い至るのに時間を要したのは。

 室内にいた人間は俺の知る帝国語を、人間の言葉を発した。そして俺を見てウィートという言葉を紡いだ。

 それは当たり前のようでいて、当たり前とは限らない。重要なのは俺の知る当たり前が当たり前のように起きたという事。

 心の奥底から湧いて来る自惚れと傲慢と憧れと後悔を押し止めて平静を取り繕う。



「貴様、俺の事を知っているのだな」

「お、お目覚めになられ誠におめでとうございます」

「貴様、俺を知っているのだな」

「そ、そんなことよりもい、医者ですね。い、医者を、お、お連れしますね」

「……話を聞け」



 努めて平静を装うのだが、それ以上に目の前の人間が正気を失っている。

 目の前の人間が発するのはやはり帝国語で俺も帝国語を発しているのだが通じない。音は届いているはずなのだが鼓膜やそれを処理する脳が受け付けていないのだろう。やはり肉の身は面倒だ。

 正気ではない人間が何やら言い訳と共に何処かへ行こうとする。正気の失ったモノが面倒なことをしでかすことはたくさん見てきた。それ故に目の前の人間を放っておくわけにはいかない。

 声で届かないのであれば、と先程浮かんだことを試してみる。



《黙れ。騒ぐな》

「うぐっ!!」



 魔力に意味を込めて魔法として生み出し目の前の人間に押し付ける。体内の魔力を通して強制的に情報を処理させる魔法。

 それは思ったよりも容易であっさりと出来た。今まで行ったことも無いモノを自らの意志で自らの力で行う。そんな当たり前のことが普通に出来ることにまた瞳が汗をかきそうになる。今はそれどころではないと圧し留めて次を行う。



《貴様をどうこうするつもりはない。ただ、俺の問いに答えてくれればそれでいい》

「は、はい。で、ですから、ですから何卒」

《貴様は言われた通りにしていればいい。分かったな》

「は、はい」



 なおも暴れようとする人間を何とか押さえつけることに成功する。

 それにしても状況を理解できないモノがこんなに面倒だとは思わなかった。いや、正確には分かった気になっていたが体感したのは初めてだ。何せ聞かん坊だったのは俺自身だったからな。

 そんな自嘲を混ぜながら目の前の情報に取り掛かる。



《とりあえず貴様は何者で何をしているか述べろ》

「わ、私はルドル大公家に仕える使用人。フミ・カードゥです。ネラル様よりウィート様のお身体を拭くという仕事を授かり行っているところです」



 目の前の人間によると俺はウィート・ルドルという名の少年。帝国において大公という貴族位を授かるルドル家の子息。ここは帝国のルドル大公領。その主都にある領主館。そこにあるウィート・ルドルの部屋。

 目の前にいるフミ・カードゥを名乗る黒髪の人間はルドル家に仕える使用人。数日寝込んでいる主の身体を綺麗にする仕事のためにここにいる。

 その情報は俺の妄想を後押しするモノ。

 つまり今の俺は前の俺と同じ。

 要するに俺は俺であるという事。

 俺はウィート・ルドルであるという事。

 それはやはり嬉しい様で情けなくもあった。俺は俺のまま。それは俺が愚かな人間だという事。だから何処か受け入れがたい気持ちもある。意志や感情とは別に奥底のナニカが拒否反応が起きてしまう。

 どれだけ否定しようとも俺が塵芥であることに変わりが無いのに。

 情けなさとほんの少しの嬉しさをため息で吐き出して思考を切り替える。


 俺が何をすべきかを考えなければならない。その為には多くの情報が必要だ。



《そうか。どうやら記憶が少し混乱しているようだ。今の俺の状況を説明しろ》

「わ、わかりました」



 人間、フミ・カードゥによればウィート・ルドルは10歳。

 先日10歳の誕生日を向かえ帝室関係者も招いた晩餐会で盛大に祝福され、そこから意識不明に陥った。

 人間は10歳の日から数日熱にうなされる。それは魔法の才能と魔力保有を肉体に馴染ませるための言わば成長痛。魔法を権威とする帝国貴族にそれは通過儀礼でありこの体調不良がどれほどの日数になるかで格式も変化する。

 そしてその体調不良から10日。ウィート・ルドルはようやく意識を取り戻したという。


 それは、俺の持つウィート・ルドルの記憶と合致していた。

 ルドル家は豪勢豪快を標榜する帝国貴族。それも爵位としては最高位である大公。そんな家の唯一の子どもの誕生日となれば力の入れ様も変わってくる。

 自惚れの絶頂であったため俺もよく覚えている。帝室からの見舞品。参列者。記憶にあったそれらはフミ・カードゥと名乗る使用人が述べる事実と確かに一致していた。

 ただ、全てが合致していたわけではなく合致しない点もあった。

 そもそも論で言えばフミ・カードゥという使用人に聞き覚えがない。特にウィート・ルドルは血統主義の潔癖なので周りに侍らせる人員も選抜していた。その中でも自室に入れさせるほどのものとなれば並の使用人ではない。例えば近隣の貴族家から出向してきた者。大公家という権威は強力であるため子爵家子息令嬢を平然と小間使いにする。その中にはカードゥという家は無かったはず。

 他に自室に入れるとすれば自前の専属使用人。けれどこれもネラルという一族だけ。そこには分家は無いしルドル家に仕える使用人は流石に覚えている。特に御婆であるバーツーメ・ネラルは70歳を超えるというのに現役でウィート・ルドルにとって数少ない指導をしてくれた御仁が印象的で忘れられない。

 とはいえ使用人を全て覚えているという程ウィート・ルドルは善良な主では無かった。寧ろ使用人を小間使いとして見下していたので個体認識していなかったことの方が多い。それを考えれば必ずしも違いとは言えないか。

 他にも細かい違いはあれどウィート・ルドルの記憶も完璧ではないので判断しにくい。

 それでも明確に異なることはあった。

 それは誕生日から体調不良となった日数。フミ・カードゥによれば今日で10日目。

 確かにウィート・ルドルは誕生日後体調不良で寝込んだ。けれどそれは10日という長期間ではなかった。

 ウィート・ルドルが寝込んだのは俺の知る限り3日。それは才能を持たない市民が一晩、凡庸な貴族が丸一日という社会でそれなりの日数。ただ、傲り傲慢の塊であったウィート・ルドルには納得できず仮病で5日寝込んだことにした。

 勿論それは小さな違い、誤差だ。

 けれど俺にはその違いが心に刺さった。


 どうやら俺はウィート・ルドル10歳らしい。俺は俺の知る俺であり、今いる場所は世界は俺の知っているところでもあるらしい。

 けれどそれは本当に俺のいたところなのだろうか。

 俺は俺の状況を素直に消化できなかった。

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