1章
第3話
再覚醒したのは穏やかな
窓から入り込む月明かり。穏やかに吹き込む風が運ぶ草木の香りとモノを靡かせる音。目と鼻と耳に伝わってくる情報に四肢から伝わる感覚。
穏やかな刻が夜だというモノだと理解するには少しだけ時間が必要だった。
俺の日常は光も音も届かない洞窟の中。当然昼夜というモノがない。それ以前に感覚器官が存在しない俺には明暗という感覚が存在しなかった。ただ周囲の情報を受容するだけの毎日。明暗という感覚ではなく光量という数値だけを受け取る。
肉体があれば風や湿度など皮膚に伝わる刺激で変化を感じ取られたかもしれない。けれど俺にとってはそれもただの数値でしかなく数値が変化してもその違いを感受出来ない。
だからこそ俺にとって日常はあの巫女しかなかった。
そしてだからこそ今の状況を理解できなかった。
突然の肉体、実体。ヒトとして思えばそれが当然なのだろうが経験を思えば違和感でしかない。
直前の記憶は彼女を巻き込んでの暴走。制御も無くなり唯の破壊装置と成り下がったあの瞬間。それは世界を終焉に導く大戦を超える圧倒的暴力。ヒトも建物も存在するはずがない。当然装置自身も耐えられるはずがない。
けれど現実に俺の意識は今ここにあり失ったはずの肉体を得ている。
そんな状態に戸惑わないでいられるほど俺は感情を失ってはいない。はずだ。
状況を把握しようと情報を求めるのだが肉体感覚が鈍くまともに動くことが出来ない。久方ぶりの肉体はかなり煩わしく面倒くさい。魔法で代用しようにもその機構も鈍くまともに機能していない。
結果として俺に出来るのは視界からの情報取得。顔を向けなければ情報を取得できない目というモノに感慨を受けながら何とか収集していく。
俺がいるのはどうやら家屋。窓から見える外の情報から街中にある建物で5メートル以上は高い位置にある部屋。
室内はかなり綺麗。壁や天井に穴はなく戦禍に巻き込まれた様子はない。それ以上に物が充実しており生活に必要のないモノまで沢山置かれている。
それはまるで昔の帝国の様。無邪気に平和を信じ込み見栄と虚勢を第一としていた勘違いの国家。崩れ落ちる最後まで現実から目を逸らし虚像で成り立っていた哀れな俺の故郷。
そう思えば次第に目の前が妄想ではなく現実ではないかと思えてしまう。
調度品は帝国様式。紋章は帝国貴族のモノ。それもルドル家家紋にも似ている。家具の配置などは帝国貴族の領主館に似ている。総じていえば実家であるルドル家領主都の領主館にあった俺の部屋に似ていた。
似ていると感じてしまえば色々な想いが交錯する。過去の栄華に思いを馳せたくなる心もあるがそれ以上に自らの無能さぶりにむず痒さが心を覆う。結末を変えるには大きな分岐点は無くちょっとしたことで変えられたはず。俺にはそのちょっとした変化すら出来なかった。変化するという気持ちすら持てなかった。
己の無様さに自嘲の笑いがこぼれる。
懐かしさとむず痒さに塗れた俺は気分転換に室内のモノに手を付ける。未だ肉体感覚に慣れていないので魔法を使い室内の物を引き寄せる。
自意識による魔法の行使は久しく行っていなかったが思ったより容易に行使が出来た。けれどそれは大戦期を思えば不出来。速度精度効率全てにおいて粗悪。子どもの遊戯にも劣る代物。
それでまた自嘲の笑いがこぼれる。俺は俺でなくなっても矮小なのだなと。
情報を集めあれこれ考えているうちに俺は俺の状況を何となく理解していた。俺は俺、ウィート・ルドルを終え別の何かになったのだと。自惚れから兵器の部品となり世界を破滅へと導いた。そんな俺がその世界で生き延びられるはずがなく、世界の破滅後にこのような綺麗な世界が残る事はない。
今の俺は別の何か。それこそ夢の、妄想の中の虚像。生まれ変わり成り代わりなどという贅沢は望まない。ヒトの世にそれ程未練もない。
そんな妄想を抱きながら室内の物を検分していく。家具に衣類に装飾品に本。部屋には本当に色々なモノが残っている。それを懐かしむように確かめていく。
けれど呑気な考えは調べれば調べる程遠のいていく。家具衣類で感じていた懐かしさは装飾品や本という証拠によって明確なモノへと変化していく。それは嬉しくも何処か恐れを感じてしまうモノへと。
そして終に確かな証拠によって状況が確定されてしまう。
「ここは、ウィート・ルドルの、俺の部屋、か?」
確たる証拠。室内に残されていた本。
それは帝国貴族ルドル大公家子息ウィート・ルドルの日記だった。
つまりは俺のもの。
勿論日記だけが証拠になるわけではない。部屋の間取り。内装。調度品。それらが見覚えのあるモノであり想起させられた上での決定打。
日記だけがあれば遺物遺産というよりは大衆娯楽として残ったという事も考えられる。日記には大した事を書いた覚えは無いが嘲笑の遺産と考えれば残っても不思議ではない。
けれど日記に記されたのは嘲笑になるものではない。何故なら傲り自惚れ堕落したことしか記されていない。その後の傲りという鍍金が剥がれ現実の地の底に失墜するまでが書かれていない。後世に残ったのであればそここそが醍醐味のはず。
自分の恥部が娯楽として残るなどこの上なく嫌なのだが。
日記に記されていたのはウィート・ルドルの10歳の誕生日前日まで。帝国貴族という偽りの栄光に陶酔していた少年の稚拙な虚像。聞くに堪えない妄想の数々。
恥ずかしさのあまりに冷静に状況を分析できてしまった。これは生まれ変わりではなく時間遡行。巻き戻しかやり直し。言葉は何であれ過去に戻って来たのだと。この日記を書いた恥ずかしい存在は自分自身であるのだと。
そう考える数瞬前に火炎魔法を発動し日記を灰に変化させてしまっていた。
あまりの羞恥に耐え切れず思考で理解するよりも体が動いてしまったのだろう。そう解釈するしかない行動だった。自身の感情と行動を把握できない程に思考は乱れていたのだろう。
その乱れは紙の焦げた臭いによって矯正される。どれだけ否定しようと悔い様ともウィート・ルドルは愚かしいのだと。自らの愚かしさによって多くの屍が積み上げられたのだと。
焦げの臭いで冷静さを取り戻した俺は改めて検証する。
ここは何処で俺は誰なのかと。
部屋の状況は確かに推測を肯定する。けれどそれはそう解釈しようとしているだけとも理解できる。自分に都合が良いような出来事など置きはしない。
第一そうである術がない。
超常を為す魔法であっても時間遡行は容易ではない。それも数年単位。逆行は工程の複雑さ内容量によってほぼ不可能。それは世界を滅ぼせる賢者の石を利用しても不可能。出来て可能性予知などの未来視。痛みや感情を伴う未来体験は出来ない。
その原理を思えば過去に戻って来たという事が誤りであることは揺るがない。
それにしてもそんなことも思い至らないというのは余程意識が乱れていたのだろう。あの愚かしさはそれ程身を内部から虫に食われるような痛くも痒い衝撃だった。
その後どれだけ考えても結論は導き出せなかった。
肉体が動かせず状況を把握できない中での検証には限度があった。
そして何より精神的に体力がもたなかった。
意識を失えば離れていきそうな肉体、自意識で動かせるモノ。それを必死に保とうと堪えたが終に意識が途絶えてしまった。
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