終章
「はあ~」
ため息が一つこぼれた。水汲み用のバケツを持ったまま、ルキフォはぼうっと突っ立っている。
「おい、ルキフォ。突っ立ってないで、早く水を汲んでこい」
ゴルドの叱責が飛んだ。ルキフォは気のない返事をして、よたよたと歩いていった。今にも倒れそうなほど頼りない歩き方だ。
「やれやれ」ゴルドが呟く。「帰ってきてから、すっかり気がぬけてやがる」
ルキフォは家の裏手へと向かった。二人が住む家は山の中腹にあった。その裏には源泉がある。ゴルドが辺鄙な山の中に居を構えた理由の一つが、この源泉だ。
歩いて十分もしないうちに源泉に着いた。源泉から溢れた水は大きな池をつくり、そこから川が麓へと向かって流れていた。
そう言えば、エスティを最初に見つけたのがここだった。あれからもう、ふた月半ほど経つのだ。火霊宮に攻め込んでからはひと月半が過ぎていた。なんだか、もっとずっと昔のことに思える。
精霊皇が去ったあと、ルキフォはすぐにリュードの治療に取りかかった。必要な薬草を手配し、自分の知識の全てをつぎ込んだ。急遽、ガーゼルから連絡を受けたゴルドがやって来たこともあり、リュードは一命を取り留めた。
現在、リュードは起き上がれるようになっていた。火傷の跡が体中に残っているが、意識もしっかりしており会話も問題ないようだった。そのまま火霊宮でミランに付き添われ治療を続けている。
監禁されていたレストーグは解放され、再び精火門の長を務めている。だが、リュードの体調が完全に回復し次第、精火門の長の座を譲ることになっていた。
エスティはどの門派にも属さない存在として扱われることになった。四門派のどれであっても──例え、兄のいる精火門であっても──エスティを拘束することはできない。そういった締約が四門派の間で結ばれた。それはガーゼルが色々と四門派に手回ししたおかげだった。
グレンやフィンナ、ミランも各門派を説得して回り、元素術内の勢力争いも一応収まりつつあった。まだ不安は残るが、エスティは自由になったのだ。
今はガーゼルの元にいるはずだった。
ルキフォは水辺に座り、ぼうっと滝を眺めていた。足下では〝魔法〟がちょこんと座ってルキフォを見上げていた。
エスティと共に過ごした半月。リュードの治療に専念していたひと月。その時は必死でなんとも思わなかったが、今にして思えば大変な思いもしたけど充実していたのかもしれない。ここに帰って来て以来、ルキフォは気が抜けていた。
そのせいか足音が近づいて来るのにルキフォは気づかなかった。〝魔法〟の方は気づいたらしく、振り返るとひと声鳴いて足音の主の所へと駆けて行く。当のルキフォは意識レベルでは繋がっているはずの〝魔法〟の様子にさえ気がないようだった。
〝魔法〟がルキフォの頭に載せられて、あまつさえ目を柔らかな手が塞ぐまで、自分の後ろに人が立っているなど思いもよらなかったのだ。
「!?」
「なにぼうっとしてるの?」
聞き覚えのある声に、ルキフォは慌てて振り返った。そこにはひと月前に別れた少女が立っていた。
「エスティ……?」
ひと月ぶりに会ったエスティは、随分印象が変わっていた。以前に比べて華がある。おそらく、彼女が本来持つ明るさが出てきた為だろう。
肩まであった金髪はバッサリと切られショートヘアーになっている。服装も普通の村娘が着るような軽装になっていた。そして、今までと一番違うのは、可笑しそうに覗いているその瞳だった。銀色から碧色に変わっているのだ。いや、もとに戻っていると言った方が正解かもしれない。
「エスティ…瞳が」
エスティの笑顔が照れたような表情に変わった。
「あのあとね。少しだけ、力が操れるようになったの。そしたら、力を使うときだけ銀色に変わるようになって……変かな?」
上目遣いにルキフォを見ている。反応を伺っているのだ。
「そんなことないよ。とっても綺麗な碧色をしてる。そっちのほうが似合ってるよ」
銀色の時もだったが、今はそれ以上に瞳が澄んでいる。本当に綺麗な碧色だった。
「ありがとう」
エスティは嬉しそうに笑った。
「一人で来たの?」
「ううん。ガーゼル様と一緒に。ガーゼル様は家の方でゴルド様と話してるわ。ゴルド様がルキフォはここにいるって言ったから、わたしだけ来たの」
「でも、どうしてここに? 師匠に話があるのかな」
二人は知己なのだから、訊ねてきても不思議ではない。しかもガーゼルはゴルドの師匠だ。もっというなら年齢も遙かに上だ。二人が並んだらとてもそうは見えないが。
「えっとね。あたしが療術を勉強したいって言ったらね、ガーゼル様がね、どうせ勉強するんならゴルド様のところに行ってみるかって言われて……。ゴルド様はルキフォさえいいと言えば、構わないって言ったから……だめ?」
ルキフォは細目の魔術師のことを思った。きっと今頃、家の中でルキフォの驚く顔を思い浮かべ、笑っているはずだ。いや、ガーゼルだけではない。ゴルドも一緒になって笑っているだろう。まったく、あの二人にはかなわない。
エステイは心配そうにルキフォを見つめている。ルキフォが返事をなかなか言わないので、表情が暗くなっていく。
「いいよ。一緒に修業しよう」
泣かれる前にと、ルキフォ慌てて言った。エスティの表情が見る見る明るくなる。
エスティはよく表情が変わる。表情が豊かなのだ。見ていて飽きない。改めて、ルキフォはそれを知った。
「ルキフォ!」
エスティが飛びついてきた。
「うわっ」
ルキフォはバランスを崩してエスティ共々水の中に落ちる。頭上にいた〝魔法〟はエスティが飛びついた瞬間、ルキフォの頭から降りていた。
二人はすぐに水面に顔を出した。互いの顔を見て、どちらからともなく笑いだす。
そんな二人を見て〝魔法〟も鳴き声を上げる。
ひとしきり笑った後、エスティの可愛らしい唇から言葉が生まれた。
「だから、ルキフォって大好き!」
少年は銀の瞳の少女と共に 宮杜 有天 @kutou10
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