魔法使い ルキフォ その5

「やれやれ、なんとか間に合いましたね」


 ガーゼルが二人のそばで呟いた。


「ガーゼルさん!?」

「あれほど一人で突っ走らないようにと言ったのに。しょうがない人ですね」


 言い方は穏やかだが、ガーゼルが怒っているのがルキフォには判った。


「すみません」


 ルキフォが謝る。


「この少年、やはり貴方の知り合いか」


 リュードが言った。服はボロボロになっており、体のあちこちに傷ができている。顔は自分の血によって真っ赤に染まっていた。思わずよろめく。


「リュード様っ」


 駆け寄ろうとしたミランをリュードは手で静止した。周りを改めて見回す。

 目の前にルキフォ。その横にガーゼル。少しさがった場所にミランがいる。入り口の近くにはグレンとフィンナ。その二人の間に立って、エスティが心配そうにリュードを見ていた。それ以外の人間の姿は、この大広間には見えない。


「知り合ったのはごく最近ですが、色々と縁のある子でしてね」

「最近、ね。陰謀好きの老いぼれ魔術師が直接出て来るとは、正直言って驚いたよ」

「リュード君。久し振りに会ったのに、老いぼれとは酷いじゃないですか」


 軽い調子でガーゼルが言った。


「ガーゼルさん。この人と知り合いだったですか?」

「ええ。魔導具を売りに来た時に何度か会ったことがあるって言いませんでしたっけ?」


 驚くルキフォとは対照的に、ガーゼルはしれっとして答える。


「…………言ったけど」


 何度か会っただけで、先程のような会話を交わせるとは思えなかった。憎まれ口にしても親しい間柄でないと交わされない。


「彼には何も教えていなかったのか。相変わらず人が悪い。三百年も生きていると、性格が歪むらしいね」


 絶句したルキフォを見て、リュードが笑った。


「三百年って……」

「君は知らなかったのか。そいつはいい。そこのご老体は伝説とまで言われた魔術師イグァシティェイルなんだよ」


 リュードが愉快そうに言った。


「でも、見た目が随分若いし、名前も」


 ルキフォはリュードとガーゼルを交互に見つめた。


「イグァシティェイル……古い名前ですからね、まともに発音できる人がいないので、発音しやすいようにガーゼルと名乗ってるんですよ。若さの秘訣は飽くなき探求心ですかね」


 悪戯っぽく笑って、ガーゼルが答えた。


「師匠に子供の頃会ったことがあるって……。師匠はちゃんと歳をとってたし……」

「ああ。ゴルド殿が子供の頃、会ったことがあります。

 というかゴルド殿に〝魔法〟を教えたのは、他ならぬ私です」


 そう言って、ガーゼルは片方の頬を上げた。本人は片目をつむったつもりらしい。だが、開いているのかどか分からない細い目では判断がつかない。

 それ以上何も言えなくなったのか、ルキフォは呆然としてその場に立ち尽くした。リュードの戦いで生まれた緊張感が、見るまになくなっていく。そしてガーゼルとゴルドがなぜ似てるのかが分かった気がした。


「さて、その話ぶりからすると、だいぶ吹っ切れたみたいですね。リュード君」


 ガーゼルの顔がリュードに向けられた。


「…………」

「もう、いいでしょう。あなたは充分やりましたよ。亡くなった兄上なんかよりずっと立派です」

「ふん。気休めはよしてくれないか。こんな強引な方法しか出来なかった僕が、兄上より立派だと? 笑わせるな」

「エスティを守ろうとしたその気持ち。それ自体はすごく立派なものですよ。ただ、やり方を誤っただけですよ。

 リュード君。もう、あなたは兄の幻影から解放されている。それに気づいているはずだ。だから、エスティも解放してあげなさい」


 リュードの目がエスティに向けられた。今までになく優しい瞳が、エスティに向けられていた。


「解放…か。だがそうすれば、エスティはまたほかの門派から狙われる。エスティの安全は、僕にしか用意できない」

「他の門派は私がなんとかします。これでも顔が広いことはあなたも知っているでしょう? 押さえ込むことはできなくても話し合いができる程度には。

 それにエスティに対する愛情が、恋愛的でないものなのはあなたも判っているはずです。あなたには本気で想い支えてくれる人がいる。リュード君はその人のもとへ行くべきなんです。エスティの所へ行く必要はない。あなたを悩ました〝兄〟は、もういないんです」


 リュードは静かにかぶりを振った。


「……父上を捕らえた時、抵抗すれば殺すつもりでいた。殺すことになんの躊躇いもなかった。正直、今でもそうだ。僕は親を手にかけることをなんとも思わない人間だ」

「でも、君は殺さなかった。最悪の結果を起こさなかったのは、君も家族を愛しているからですよ」


 言葉はすべてを包込むように優しかった。


「……僕はね、昔から貴方が嫌いだった。すべてを知っている、老いぼれ魔術師がね」


 リュードが微笑んだ。それはルキフォと戦った時に見せた、あの晴れ晴れとした笑顔だった。刹那、リュードの体を炎が包んだ。炎はリュードを守る為でなく、滅ぼすために自らが呼び出した炎だった。


「リュード様!?」


 ミランが飛び出した。


「来るな!」


 リュードの叱責に、ミランが驚いて立ち止まる。


「ミラン。もういいんだ。よく僕を見捨てないで、いままで一緒にいてくれたね。ありがとう」

「そんな……私はどこまでもリュード様と一緒です」


 ミランの瞳に涙が浮かんだ。足は再びリュードへと向かって動いている。


「やめるんだミラン。君は覚えているか? 僕が君を助けた時のことを」

「覚えています。覚えていますとも! 忘れるはずないじゃないですか!」


 困ったような表情を浮かべるミランを見て、リュードは微笑む。


「僕はね、あの時君の命を救うために助けたんだ。道連れが欲しかったわけじゃない」


 ミランの足が止まった。


「ミラン。僕からの最後の命令だ。君は生きてくれ」

「……リュード様」


 涙を拭い、ミランは毅然として頷いた。


「ガーゼル、貴方に最初で最後のお願いだ。ミランを頼む。彼女は精風門には戻れない。かといって精火門に居続けることも難しいだろう。各門派に少なからず影響力のある貴方のところなら、僕も安心できる」

「リュード君。なぜ……」


 ガーゼルが呟く。こうならないために自分が来たのに、これでは意味がないではないか。


「グレン兄様っ。なんとかして!」


 エスティがグレンにしがみついた。グレンはゆっくりと首を横に振る。


「リュードの方が力が上だ。あいつの支配する精霊は、俺には奪えない」

「そんな。ねぇ、フィンナ姉様ならできるでしょ!? 水の元素術なら……」


 フィンナに向かって必死に懇願する。だが、フィンナの首も縦に振られることはなかった。


「エスティ、私じゃだめなの。火霊宮の結界の中では、あの火を消せるほどの術法は使えないわ」

「ルキフォ」


 ルキフォには答えることはができない。ルキフォの〝魔法〟では炎だけ消すことは無理だ。


「ガーゼル様」


 ガーゼルも首を横に振った。もう手遅れだ。


「エスティ……僕を助けようとして…くれるのか……。ありが…と…う」


 すでに姿の見えなくなった炎の中から、リュードの声が聞こえた。


「リュード! だめ。死んじゃだめ。グレン兄様も、フィンナ姉様も、わたしもそんなの嫌。なにより、ミランが悲しむ。死んだらだめぇ──!」


 エスティの叫びに同調するように、軟らかな銀光がエスティの体から生まれた。光は炎へと伸び、そして包み込み、リュードの支配する精霊をすべて奪った。炎が消え去り黒焦げになったリュードが床に倒れた。

 ミランが駆け寄った。床に座り込み、崩れないようにそっと抱きあげる。そんな二人の周りに、みんなが集まった。


「……リュード」


 エスティが覗き込んだ。リュードは顔すらも判らなくなっている。


「手遅れ……だな」


 グレンが呟いた。僅かに胸が上下しているが、それが止まるのも時間の問題だろう。

 フィンナはグレンのそばに寄り添って、服をぎゅっと掴んでいる。エスティの瞳が大きく見開かれた。


「いや。せっかく炎がなくなったのに。そんなのいや……ねぇ、ルキフォ? ルキフォなら療術があるでしょ?」

「……ごめん」


 療術は施術を行った相手の治癒力を高めて病気や怪我を癒す術だ。すべてをなかったかのように癒してしまう奇跡を起こす類のものではない。手持ちの薬草もなく半人前のルキフォでは、こうなってしまったリュードを救うことなどできない。


「そんな……」


 みんなが黙っていた。ただ、エスティの泣き声だけがあたりに響く。重苦しい沈黙が部屋に満ちた。ミランだけが毅然とした態度でリュードをかかえていた。


「一つだけ、方法があるかもしれません」


 ガーゼルがぽつりと呟く。みんなが一斉にそちらを見た。


「元素術は精霊を支配し、その力を使役するはずなのに精霊術とは言わない。なぜだか分かりますか?」


 ガーゼルの言葉に答える者はいない。ただ、魔術師の言葉を待つのみだ。


「その理由は精霊と言う存在がこの世界の成り立ちに関わる根源の存在だからです。

 全ての〝元〟であり〝素〟となる力を扱う術。だから元素術なのです。わたしたち魔術師の使う魔力とは違い、精製されていないのままの力。それは生命の元素でもあるんです。そして全ての精霊を支配できる精霊皇なら、消えゆく生命の灯火を再び灯すことも出来るやもしれません」


 そこでガーゼルはエスティを見た。


「エスティ、精霊皇の娘よ。あなたの力を貸してください」


 ガーゼルの声は低く落ち着いていた。浮かべる表情も厳かだ。それはまるで年齢と経験を重ねてた賢者のようだった。


「救えるの? わたしが、リュードを?」


 エスティはすがるようにガーゼルを見る。


「はい。あなた自身の力はまだまだ未熟です。でも精霊皇ならきっと可能でしょう。そして精霊皇の娘であるあなたの呼びかけになら、精霊皇も答えてくれるはずです」

「でも、呼び出すって、どうやって……」


 ――お前はここでのことは忘れてしまうだろうけど、私は忘れない。いつでもお前を見ているよ。


「!?」


 不意に声が、エスティの脳裏に浮かんだ。兄とも両親とも違う、だがどこか懐かしさを覚える声。いつ聞いたのか、どこで聞いたのか定かではない声。

 それは、いつか夢で見た――。


 ――そしてお前が心の底から私を必要とするときは、必ずお前の元に現れよう。


「! 精霊皇」


 エスティは思い出す。自分が眠っていた時のことを。自らを精霊皇と呼び、エスティを娘だと呼んで祝福してくれた存在を。

 エスティはリュードの側に両膝をついて座った。そして祈るように両手の指を絡め、頭を垂れた。

 そして願う。リュードを救いたいと。救って欲しいと。自分に力があるのなら、いいえ救うことのできる存在を呼び出すことができるのなら。強く、強く——

 エスティの横に光りが生まれた。ルキフォの生み出す光とは違う、それは銀色の澄み切った光だった。


〈エスティ、我が娘よ。そなたの呼びかけに応えよう〉


 光の中から低い男性の声が聞こえた。光の中に人影が見える。


「精霊皇! 助けて、リュードを助けて!」


 エスティは立ち上がり、光の中の精霊皇へと近寄った。


〈エスティ、我が娘よ。また、泣いているのか?〉


 精霊皇が言う。光の中の存在は人の形をとったまま常に変化していた。真っ白な鎧で固めた騎士に見えたかと思うと、質素な衣装ながら気品のある女王の姿をとっていたりする。若い乙女になったかと思えば、白い顎ひげを蓄えた老人に変わったりもした。声も始めに聞いた低い男性のものから、女性のものまで様々だった。

 ただ、その存在の瞳だけが変わらずに、常に銀色を保っていた。エスティと同じ銀色の瞳だ。


「お願い、リュードを助けて。精霊皇なら助けることができるって、ガーゼル様が」

〈ガーゼル?〉

「お久しぶりです。精霊皇」


 精霊皇の言葉に、ガーゼルが一歩踏み出した。そして精霊皇の前で膝をつき深々と礼をする。


〈おお、イグァシティェイル! 魔術師よ。息災か? ただ一人の人間の友よ〉


 懐かしそうに精霊皇は言う。


「友というわりには、わたしの呼びかけに応えてはくませんが」


 細い目を開き、悪戯っぽい光を湛えてガーゼルは言う。


〈私をこの世界に呼べるのは、元素界にいる私の声を聞くことができる娘のみ。いくら友とて不可能よ〉

「わかってますよ。相変わらず真面目ですね、あなたは。さっそくですが、あなたの娘の願いを聞いていただけませんか?」

「リュードを助けて」

〈助ける?〉


 エスティはミランが抱きかかえているリュードを指した。


〈生命の灯火が落ちようとしておるな。だが我は神ではない。生命を操ることを許されてはおらぬ〉

「そんな……」


 精霊皇の言葉に、エスティが愕然とした表情を浮かべる。


「生命そのものを操る必要はないのです、精霊皇よ。全ての精霊の力をこの彼に少しづつわけて欲しいのです」

〈全ての精霊の力? 〝元素〟を与えよと?〉

「はい。今の状態から、少しだけよくしてほしいのです。あとはこちらに腕の良い療術師がいますのでなんとかします」


 そう言って、ガーゼルはルキフォを見た。見られたルキフォが驚く。ガーゼルが頷いた。

 ルキフォの顔が真剣なものになり、精霊皇を真っ直ぐに見つめる。


〈それを我が娘は望むのか?〉

「リュードが助かるのなら」


 エスティはすがるように言う。


「わたしの願いでもあります、精霊皇」

〈…………〉精霊皇はしばし沈黙する。〈よいだろう。我が娘と友の願いなら、この者に全ての精霊力の結晶たる〝元素〟を与えよう〉


 精霊皇が手のひらを上にして右手を差し出した。その中にいくつも光が集まってくる。光には一つひとつ違った色がついていた。赤や青といった色から、エスティが初めて見る色まで、様々な色が渦巻いていた。

 そしてそれは収束し、精霊皇の手のうえで銀色に光る雫となる。精霊皇はリュードの上に手を持ってくる。雫はゆっくりとリュードの胸に降りていった。


 そのまま雫はは左胸に吸いこまれ、さらに大きさを増して体全体を包み込んだ。目を開けていられないほどの光が部屋中に溢れた。それは目を刺すような光ではなく、柔らかく暖かな光だった。

 光が収まったあとには、黒焦げのリュードが横たわっていた。その姿に変化はない。誰かの口からため息が漏れた。


「見て!」


 エスティが叫んだ。黒焦げになったリュードの胸にひびが入っている。それは次第に広がり、かけらとなって床に落ちた。焦げた皮膚の下から新たな皮膚が覗いている。

 ミランはリュードを抱きあげ、表面の焦げた皮膚を払い除けた。下から火傷の跡を残しながらも、それでもリュードだと分かるまで回復した顔が現れた。その口から漏れる息は落ち着いている。

 周りで歓声が上がった。

 グレンとフィンナは互いに抱き合い、ガーゼルはしきりに頷いている。

「精霊皇、ありがとう!」


 エスティが精霊皇に抱きついた。精霊皇はそれを優しく抱き留める。そしてゆっくりと離した。


〈我にできるのはここまでだ。命の灯火が再び燃え上がるかどうかは、そなたたちにかかっている〉


 言葉と同時に精霊皇の纏う光がその強さを増した。そして光の消失と同時に精霊皇の姿が消える。


〈我が娘よ、息災あれ。我が友よ、再び会おう〉


 精霊皇の声が広間に響く。


「さぁ、こからは療術師の腕の見せ所ですよ」

「はい」


 ガーゼルの言葉にルキフォは力強く返事をした。今のリュードなら、もしかしたら自分の力でも救えるかもしれない。いや、救うのだ。エスティの涙を涙を見ないためにも、必ず。

 リュードはミランの膝の上で、安らかな寝息をたてていた。リュードの温もり、規則正しく打ち続ける胸の鼓動がミランに伝わって来る。それはミランにとって、リュードが生きているという何よりの証拠だった。

 ミランは大事そうに、膝にのせてあるリュードの頭をかかえ込んだ。この世で大事な人を守るかのように……。

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