魔法使い ルキフォ その4

 エスティが居そうな部屋を探すうちに、ルキフォは部屋から出て来る彼女を見つけた。純白のドレスに身を包み正装したエスティにルキフォは見惚れた。ついこの間まで一緒に旅をしていた少女とは印象が違うのだ。ドレス姿のエスティはルキフォの知っているエスティより、随分おとなびて見えた。

 ルキフォはエスティを追って、火霊宮の中を進んでいた。前方を歩くエステイには、侍女らしき女性が一人付き添っているだけだ。ミランでも、リュードでもなかった。これなら自分一人で助けられる。そう考えたルキフォはガーゼルに報告だけして、エスティを助けだすことにしたのだ。


 前の二人がルキフォに気づいた様子はなかった。どうしようかとしばらく悩む。無関係の人間に怪我をさせるわけにはいかない。

 そうするうちに、前の二人の足が止まった。大きな両開きの扉のだ。どうやら大広間に入るらしかった。

 ルキフォが走った。チャンスは今しかない。

 〝魔法〟を呼び出し、侍女の気を逸らすために小さな光の矢を窓に向かって放つ。侍女のそばにある窓が割れた。驚いた侍女が、頭を抱えその場にしゃがみこんだ。エスティも驚いて辺りを見回す。走って来るルキフォと目が合った。

 エスティの表情が始めは信じられないといったものになり、やがて喜びに変わった。瞳にはすでに涙がにじんでいた。嬉しくて流れる涙は、廃虚となった自分の家でルキフォに会ったとき以来だ。


「ルキ……」

「何事だ!?」


 エスティの言葉を遮るように、大広間に続く扉からミランが現れた。エスティを見、続いてルキフォに目を止める。ミランの表情が一瞬だけ驚いたものになる。しかしすぐに、敵を見つけた冷酷な戦士の顔になった。

 ルキフォが軽く舌打ちをした。よりによってミランが出て来るとは。


「〝貫く光の牙〟」


 慌てて光の矢をミランに放った。ミランはそれを風で払う。しかし、火霊宮の結界で活性化しない風の精霊力は、ルキフォの光を払いきれなかった。光の矢がミランの肩口を掠めた。

 ミランの顔に焦りが浮かんだ。ルキフォの術は精霊の力を借りて起こすものではない。だから、結界の中でもその威力が殺がれることはなかった。だが、ミランの風は火霊宮の中では十分な威力は発揮できない。

 不利を悟ったミランはエスティを捕まえて、素早く大広間へと入っていった。

 再びルキフォが放った光は、扉に遮られミランには届かなかった。扉を吹き飛ばすことは可能だが、そんな強い術を使ってはエスティを巻き込む恐れがあった。

 扉にはすぐにたどり着いた。危険なのは承知で、ルキフォは両開きの扉を開けた。扉と扉の僅かなすき間を縫って激しい炎がルキフォを襲ってきた。


「〝守護する光の瞳〟」


 ルキフォは咄嗟に光の壁を生み出して防御する。扉は炎に焦がされ消えてしまった。

 大広間には大勢の男女が正装でひしめきあっていた。みな何事かとルキフォたちの方を見ている。目の前の床より少し高くなった場所──ルキフォのいる入り口にある小さな舞台──にリュードとミラン。そして、エスティが立っていた。


「ルキフォ! よもや君が生きているとは思わなかったよ。やはり、僕にとって最大の障害は、君だったようだ」


 リュードの周りに炎が生まれた。それは火鞭となってルキフォに向かって来る。

 ルキフォはそれを光の壁で防ぐと、すぐに光の矢を撃った。リュードは紙一重でそれを避ける。外れた光は大きく上に逸れ、天井からぶら下がった水晶をカットして作られたシャンデリアを破壊した。


 破片の水晶が辺りに降り注ぐ。部屋の中は一瞬でパニックに陥った。

 多くの人間が舞台と反対の出口に殺到する。皆がみな、自分だけを優先して進むため、まともに部屋から出て行ける者はいなかった。怒号と悲鳴が部屋の中を満たした。中には他の人間と反対に進み、ルキフォたちの方へ向かって来る者もいた。そういった者たちは人込みから抜け切ると、ルキフォに向かって炎を放った。

 ルキフォは別の方向から襲って来る炎を光壁で防ぎ、反撃しようとして手を止めた。相手はリュードのはずだ。関係のない人間を相手にしている暇はなかった。


「〝惑わす光の瞳〟」


 解放の言葉と共に、炎が飛んできた辺りに強烈な閃光が生まれる。突如現れた閃光は、舞台にいる人間以外の攻撃者の目を眩ませる。


「ミラン。エスティを頼む」


 リュードはエスティとミランを自分たちの戦場から遠ざけた。ミランはおとなしくそれに従った。エスティを連れ、舞台を降りる。

 ルキフォとリュードは互いに睨み合った。ふと、リュードの顔に笑いが浮かんだ。


「君になら。〝兄〟でもなんでもない君になら、エスティは譲ってもいい気がするよ」

「何の事だ?」


 ルキフォが訝しんだ。


「なに、僕の独り言さ。さあ始めよう。心おきなくね」


 リュードは懐から二十面にカットされた水晶球を取り出した。各面には紋印が描いてある。何かの魔導具らしいことはルキフォにも判った。

 ルキフォを一瞥し、その水晶球を上に向かって投げる。それは天井にぶつかる前に止まり、光を放つと周りの景色を一変させた。


「!?」

「驚いたかい? 魔術師ガーゼルの新作。結界をつくる魔導具だ」


 地面はどこまでも若草色の草原。そして、天はどこまでも蒼い空に囲まれた空間に二人はいた。


「エスティに精霊皇の力を使われたら厄介だ。君との勝負はこの結界の中でつけさせてもらうよ。まだ完全に操れないと言っても、元素術使いの僕には脅威だからね」


 リュードは不敵に笑った。


「大丈夫。変な仕掛けは何もないよ。ここで頼りになるのは己の持つ力だけだ」


 リュードが纏っている炎が一際激しくなった。ルキフォが身構える。リュードの纏う炎が幾つもの大きな触手となって、地を這い、絡み合いながらルキフォに迫った。


「〝守護する光の瞳〟」


 ルキフォは前面に光壁を張りながら、横に跳んで触手をやり過ごす。


「〝貫く光の牙〟」


 隙を見て光の矢を放った。リュードの纏う炎がその激しさを増した。そして姿が陽炎のように急にぼやけ始めた。

 光矢はリュードから微妙に逸れて、草原の彼方へと消え去る。ルキフォが続けて光の矢を放つ。しかし、光はまたもやリュードを避けるようにして外れた。続けて三度、ルキフォは光を放つ。結果は三度とも同じだった。


「不思議そうだね」


 攻撃の手を休めたルキフォに向かって、リュードは言った。


「先ほど君の攻撃を避けた時に発見してね。思いのほかうまくいったんで、僕も驚いているところさ。

 判らないかい? 熱だよ。熱が大気を歪めている。だから、光と似た性質をもつ君の光術は真っ直に届かないんだ」


 リュードは笑っていた。光が通じない以上ルキフォに勝ち目はない。そんな笑いだった。


「腕のいい元素術使いは、みんな頭がいい。バッシュって人も、光術は防いでたね。でも——〝転ずる光の瞳〟」


 ルキフォが解放の言葉を放つ。真円の光が少年の前に現れた。それは光の盾に似て中心に猫の瞳のような縦筋が入っている。違いは真円を囲うように秘紋が描かれていることぐらいか。


「〝貫く光の牙〟」


 ルキフォは真円の中心に向かって光の矢を放った。光の真円を通った矢はそのままリュードへと向かった。

 対するリュードは何もせずにただ立っているだけだ。


「〝夜の瞳〟」


 ルキフォが更に解放の言葉を重ねる。

 目の前にあった光の真円――その中心にあった猫の目のような縦筋が開いた。縦筋はひと回り小さな真円となりその中心から黒く変わる。それは光の中に生まれた闇と言えた。その闇はさながら猫の虹彩のようだ。

 光の真円の変化へ呼応するように、リュードへ向かう矢の輝きが薄れた。それはすぐに闇色へと変わり、闇の矢となってリュードを襲う。


「何!?」


 異様に思ったリュードが咄嗟に身を捩った。光から変化した闇は、熱で歪まされた空気に脅かされることなく、リュードの左腕を抉っていった。


「光を操る術法だと聞いていたが……そうか、君は元素術師ではなく魔術師だったな」

「俺は〝魔法〟使いだよ」

「ふっ。君は僕の周りにはいない、知らない〝存在〟なんだな」


 リュードはどこかふっ切れたように笑った。


「なぜエスティをさらったりしたんだ?」

「さらう? 心外だね。僕はエスティを保護したんだ。あのまま放っておけば、エスティは確実にどこかの門派に捕らえられていた。そして、自由も何も無しに、エスティは利用され続ける。

 酷いと思わないか? 僕はそう思ったからこそエスティを救ったんだ」


 いかにも心外だと言わんばかりの口調でリュードは言った。


「あんただってエスティを自由にしてないじゃないか。むりやり捕らえて、むりやり結婚しようとして。そんなのあんたが言ってた酷いことと大差ない」

「そんなことはないさ。これでエスティには精火門という後ろ盾がついたんだ。グレンやフィンナといるよりずっと安全だ」

「エスティが欲しいのは安全なんかじゃない。彼女を守ろうとする心だ。人を大事に想う心がエスティにとって必要なんだ。彼女のお兄さんやフィンナさんの持つエスティを想う心が、エスティは欲しかったんだ!」


 リュードの表情なくなった。まるで感情のない冷たい仮面を被っているようだ。ルキフォは背筋が冷たくなるのを感じた。


「グレンじゃだめなんだ。〝兄〟じゃだめなんだよ。〝兄〟というのはすぐに死んでしまう。大事な者を残して逝ってしまうんだ。だから、僕なんだよ。エスティのそばにいつもいることのできるのは、〝兄〟じゃなく僕なんだ」


 半ば憑かれたようにリュードは呟いた。


「君には兄弟がいるのか?」

「……いや。兄弟どころか親もいないよ」


 思いがけないリュードの質問に、ルキフォは戸惑った。


「そうか。それは気の毒なことを訊いたね。家族がいなくて寂しいと思ったことは?」

「そりゃあ、あるさ。でも俺には師匠がいるから平気だった」


 リュードの顔に笑いが浮かんだ。しかしそれは、どこか乾いた仮面のような笑いだった。


「覚えておくといい。家族がいないのは不幸かも知れないが、家族がいたからといって必ずしも幸福だとは限らないんだよ。自分の心を判ってくれる人間が家族にいなければ、家族がいたって寂しいさ……」


 自嘲ぎみに呟くリュードの顔に、本当に寂しそうな表情が浮かんだ。今までと違い、心の奥から湧いて出た感情のように見えた。仮面で隠しきれないほどの寂寥がこの男の奥底にあるのだろうか。


「悪いけど、俺には判らない」


 それを見ていると、ルキフォの中にあったリュードへの、半ば嫉妬に近い対抗心が少しずつ無くなっていく。


「なに。君と僕は、所詮相入れない存在なんだ。でなければ、最後の最後までこんなところで君と戦うことにはならないさ……。

 つまらない愚痴を聞かせてしまったね。もう、決着をつけよう。バッシュは君に対抗策を破られた後、どうした?」

「自分の持っていた最大の術法をぶつけてきた」

「はは。実にあの男らしい。ここは、僕もそれに習おうか」


 そう言ったリュードの表情には、ルキフォが眩しく思えるほどの笑みが浮かんでいた。ルキフォと話したことで、心の中のつかえがとれたようだった。


「これが最後だ」リュードが言った。


 それに呼応するかのように、〝魔法〟がルキフォの前に飛び降りた。体を低くしてリュードを威嚇する。ルキフォは右手の平をリュードに向け、手首を左手で下から掴んだ。

 ルキフォの背中に闇が生まれた。それは背中から生えた黒い、すべての光を吸いこむ闇の翼のようだ。ルキフォの手の前に光が集まる。それに合わせるように〝魔法〟に変化が訪れた。

 成猫ほどの大きさだった〝魔法〟は、巨大化を始めた。それにあわせて筋肉は発達し顔つきも精悍なものへと変わる。ルキフォの腰より大きくなった〝魔法〟はもはや虎と言えた。

 〝魔法〟が吠える。それは力強い威嚇の鳴き声のように聞こえる。いつもより長い高速詠唱だ。


「それが君の最大の術法か。開け元素界の門」


 リュードの背後に真円の門が浮かんだ。ルキフォが見た中で、一番複雑な紋印をリュードの門は刻んでいた。そこから放たれる光は、ルキフォの生み出す光に負けないほど輝いていた。


【元素界に存ぜし火の精霊よ

 我と盟約を結びたる火霊よ

 汝が力たる無限の業火を我に貸し与えん

 我が前において火霊の力は火龍と成す

 疾くと行け

 火箭の龍!】


 リュードの背後にある門から大量の炎が溢れだした。その炎はリュードの眼前に集り、巨大な龍となってルキフォへ向かった。


「〝蹂躙する光の爪牙〟!」


 リュードの紡ぐ呪文の終わりと同時に、ルキフォも叫ぶ。

 特殊な発声による解放の言葉。ルキフォの言葉を同時に〝魔法〟がリュードの放った火龍に向かって疾走した。〝魔法〟はその身に光りを纏い、闇の軌跡を残しながら力強く走っていく。


 炎の龍と光の虎。強大な精霊力とそれに負けないほど強大な魔力がぶつかり合う。龍と虎は牙をむき、互いを喰らおうとして激しくぶつかった。

 二人のほぼ中間で、龍と虎は力の限りを尽くして喰らいあった。そして、始めは均衡していた力もしだいにその差を広げていった。

 〝魔法〟の牙が火龍の喉を噛み砕いた。火龍を飲込み、〝魔法〟はその勢いを増してリュードへと向かう。抗うことを許さない程の光の奔流と闇色の軌跡が、リュードを蹂躙する為に迫ってくる。

 リュードは諦めたように目を閉じ、光と闇のなすがままに任せた。


【我思う。汝は守る風なりや。纏いし風はすべてを包む。自ら渦巻き昇華させん】


 元素術使いの詠誦する呪文と違った、特殊な発声による言葉が結界のなかに響いた。


「………!」


 光に飲み込まれたリュードの周りに、見えない障壁が現れた。その障壁は風のごとくリュードを中心に渦巻き、リュードを切り裂く牙から守った。

 空と草原にひびが入り、その数を次第に増やしていく。ルキフォの放った術法がその脅威を収めると、同時に結界の空間が壊れた。破片が溶けるように消える。

 すべてがおさまった後、ルキフォとリュードは火霊宮の大広間、舞台の上に立っていた。

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