元彼にもらった指輪を友人が私にくれた話 後編

 私とて、ランチに誘われるまま――ただ言いなりになっているだけではなかった。彼についての情報収集を、少ないツテで進めていたのである。

 浅倉くんから声をかけられるようになって、別の人からも声をかけられるようになった。とはいえ、リスト入りしているおひとり様の男性社員ではなく、話したこともない女性社員。

 最初は、私が彼のこと狙ってるんだから止めてよねというような、恋のライバル的なサムワンだと思っていたのだが、会話の内容は、同情の色が含まれたものだった。

「山根さん、浅倉くんとどういう関係なの?」

 名前も思い出せない女性社員が、ある日更衣室で声をかけてきたのである。

「どういう関係っていうのは……どういう意味?」

 質問に質問で返すのは、私の悪いクセかもしれない。だから社内で友人ができないのだろうが、この際それは置いておく。

「浅倉くん、彼女がいるのよ」

 女性社員は言った。叱っているようにも、同情しているようにも見える目の色。着替え途中の間抜けな私がそこに映っていた。

 浅倉くんに、彼女がいる。

 あえて無表情を貫く私の言葉を待たず、OLはさらに続けた。

「私、恋人のいない社員を、リストアップしてるんだけど」

 ああ、思い出した。少し前にも、私は彼女に声をかけられたことがある。

「山根さんって、恋人とかいるの?」

 この場合の「とか」には、いったいどんな意味が含まれているのだろうと疑問に思いながらも、私はそのとき「いません」と即答した。あれは、私のことを調査していたのだ。仕事で就かれたりダルくなったりしている私とは違って、エネルギッシュだなと感心する。他の社員の色恋沙汰の把握に努めるほど、体力が有り余っているなんて。

 あるいは、そういった楽しみに浸って、つまらない日々を彩っているつもりなのかもしれない。

 名前は出てこないが、以下彼女には恋愛リサーチャーという称号を勝手に与え、便宜上「リサーチャーのサッチャン」という雑なあだ名も付与することとする。

「ええ、そうみたいね」

 あまり驚いた表情をすると色々とつつかれる可能性が出てくるので、ここはあえて「知ってたわよ」という余裕の顔を作ることにした。

 その表情に、サッチャンは顔を曇らせる。

「彼女がいる男の人と仲良くするのは、ちょっと感心しないかも」

 人の恋愛事情を調査する趣味も、感心できないな。

 そんな言葉を飲み込み、私はくすりと笑って見せた。サッチャンが、驚きの表情を示す。

「私、その浅倉くんの彼女と知り合いでね。相談というか、愚痴を聞いてるだけよ」

 咄嗟の嘘にしては、なかなかそれっぽいんじゃないだろうか。

 しかし、サッチャンは食いついてくる。

「どうして、急にそんな関係に?」

 それもそうだ。彼と出会ったのは昨日今日の話じゃない。私より1年か2年あとに入社しているはずで、つまりはその頃から顔見知りだったのである。急に「共通の知り合いがいる」というのも、変な話だろう。

「ほら、私たち部署も違うから、全然話すこともなかったのね。だけど……いつだったかな。私が大学時代の友人と会う約束をしてて、そのときに彼氏を連れてきて紹介してくれたの。そしたらお互いに、同僚じゃんって気づいて」

 サッチャンが黙り込む。

 その彼女の名前は、と聞かれたら、勝手に美穂子の名前を出そうと思っていたのだが、サッチャンは私の回答に満足――そして安堵したように息を吐いて、それ以上詮索してくることはなかった。

「そっか。ごめんね、なんか色々と、邪推しちゃって」

「いえいえ」

 サッチャンはくるりと背を向けたが、せっかくなので色々と聞いておこうと考えた私は――まさか「サッチャン!」と呼びかけるわけにもいかず――「ねえ」とその背中に声を飛ばす。

 サッチャンは再び振り返る。ギリギリの範囲で茶色に染めた髪の毛がなびく。

「男性社員にも、同じように質問してるの? 彼女はいるの? って」

 しばしの沈黙があって、サッチャンは小さく吹き出した。

「まさか! 男性側にも、私みたいな調査員がいるのよ。彼の調査で、浅倉くんには彼女がいるってことがわかってたのね。私たちはお互いのリストを交換して、上司とか、恋に悩む同僚たちに情報提供しているってわけ」

 そのお節介で悩んでいる同僚に対しては何もケアがないのか。

 口に出しかけたものの、そんな嫌味をぶつけても仕方がない。最後にもうひとつ、私はサッチャンに質問することにした。

「そのリストっていうのは、いつ調査したもの?」

「そうねぇ」

 サッチャンは少し考える。

「半年くらい前かも。だから当然、状況が変わってることもありうるわね。ああ、情報を更新しておかないと」

 更新しておかないと、いったい誰が困るというのか。

「そうだ、山根さん」

 去り際に、サッチャンが言った。

「山根さんは今、彼氏とかいるの?」

 再調査ひとり目か。

 答える代わりに、私は左手の薬指を見せる。ピングゴールドのウェーブリングが、キラリと光ったような気がした。


 サッチャンの調査では――正確には、男性側の協力者の調査では――浅倉くんには彼女がいるという。

 しかしその調査は、半年前に行われたものであるために、今の浅倉くんの実態とは一致していない可能性がある。

 大雑把に分けると、可能性は3つ。

 ひとつは、浅倉くんには最初から彼女はおらず、私の指輪同様、女避けのために嘘をついているという可能性。これならば、私に交際を申し込んでいる今の状況も不自然ではない。もちろん、彼が本当に私と付き合いたいと考えているかについて疑問は残る。

 ふたつ目は、サッチャンたちの調査が行われたとき、たしかに浅倉くんには彼女がいたが、何かしらの事情によって破局し、次のターゲットになったのが私、という可能性。まともに話すようになってからそう時間は経っていないが、女性ウケが悪いとは思えないので、「たまたま今はフリー」という方が納得できる。

 最後に、現在も浅倉くんには彼女がいるし、それを素直に調査員へ白状しているものの、第2の女として私を選んだという可能性。もしかすると、第2どころではないかもしれない。ヒマな昼休みを一緒に過ごす遊びの女を、探していただけ。このパターンは、シンプルに「クズ男」のレッテルを貼ることができるので、私も色々と気が楽になるのだが――。

「山根さん」

 いつも通り、綺麗にタコライスを完食した浅倉くんに声をかけられて、私は顔を上げる。

「今晩、お時間ありますか? 昼食に続いて夕食も、というのはやや気が引けますが、僕としても早く、答え合わせをしたいので」

 答え合わせ。

 先日の「どうして彼がペアの指輪を持っているのか」という問いのことだ。当てることができなければ私は、彼と真剣にお付き合いすることになっている。従う必要はないが、答えそれ自体に私は関心があった。

「……そうね、そうしましょう。だけど、いったん荷物を置きたいから、一度家に帰ってからでもいいかしら?」

 私の返事に、彼は頷く。

 そのままバックれてもいいのだが、事件が迷宮入りするとそれはそれで怖い。少しでも推理できる時間を延ばそうという魂胆である。

 私の読みは、外れていた。もちろん、美穂子の言葉を信じれば、であるが。


「浅倉? 誰よ、それ?」

 美穂子からの返信は、私の期待を裏切るものだった。思わず家の中で、驚きの声が漏れてしまったほどである。

「元カレの写真って、まだ残ってる?」

 驚きのために何度も打ち間違えながら、私は美穂子に返信した。ただごとではないという空気を察してくれたのか、すぐに美穂子は写真を送ってくれる。

 しかし、美穂子と一緒に映っている男性は、浅倉くんとは似ても似つかない男性だった。私が好きになりかけている、困ったような笑顔ではない。凛々しい眉毛を備えた男性が、写真の中で美穂子と肩を組んでいる。

「誰だよ、こいつは……」

 ぽろりと言葉が漏れたのとほぼ同時に、美穂子からも似たような言葉が返ってきた。

「で、浅倉くんって誰よ!?」


「結論から言うと、全く答えがわからない」

 いつだか誰かの結婚式に着て行ったきり使用していなかった赤いドレス。その膝の部分をぎゅっと握りながら、私は浅倉くんに白状した。

 指を立てた頬杖。目を細める浅倉くんは、少し楽しそうだった。普段の目と変わらないが、その奥には何となく、やってやったぜと言わんばかりの光が宿っている。

「一応、どんな推理をしてみたのか、聞いてもいいですか?」

 昼には飲めなかったアルコール。赤ワインのグラスをくるくる回し、目を細めたまま浅倉くんは言った。

「せっかく着飾ってきてくれたのに、僕の方はあまり代わり映えしなくてすみません」

 普段のスーツ姿とほとんど変わらない――彼曰く、一応一張羅らしい――浅倉くんの前で、似合わない自覚を持ちながらドレス姿で体を小さくしている私。色っぽい照明の、夜景の見えるレストラン。もちろん夜景なんて見ている余裕はない。店の雰囲気と同じくオシャレなウェイターさんたちには、私たちがどのように映っているだろうか。別れ話を切り出されて、おびえている女に見えるかもしれない。

 実際のところは、ルール的にはむしろ「付き合わなければならないこと」にビクビクしているわけだが。

 この際、浅倉くんと付き合うことになっても何の問題もない。どうせ平日は仕事をしていて、お昼時にどこかで食事をするくらいだろう。休日が、変わってくる。これまでのように、土曜の夜に美穂子と過ごすのは難しくなってくるのかもしれない。浅倉くんが、どれだけ束縛体質なのかによるけれど。

「まず、この指輪は……私の友人からもらったもの」

「ご友人の元カレが購入したペアリングの片割れ、ですね」

 そう、その通りなのだ。そして、それを知っているからこそ、私は浅倉くんがその「元カレ」だと思っていた。しかし、そうではない。

「違うのはわかってるけど、もう少し質問させて」

 私の言葉を受けて、彼はワインを含んでから目で頷いた。

「浅倉くんは、結婚願望がある」

「ええ」

「子どもは? 子どもは欲しい?」

「特に、考えてません」

「私の友達は、子どもをどうするかの対立から破局した。元カレの方が、子どもを望んでいたの」

 そうなると、浅倉くんと元カレが同一人物である可能性はかなり低くなる。破局を経て、考えが変わったのでもなければ。

「半年前に、社内恋愛を推奨する動きが活発になった」

「ええ、知ってます。誰が言い出したんでしょうね、最初に」

 喉が渇く。水はない。頼みたいところだが、800円くらい取られるらしいので、仕方なく既に頼んでおいた白ワインを手に取る。触り慣れないくびれを指で挟んで、グラスを口元に運ぶ。飲みやすいものの、若干の渋みと酸味が余計に喉の渇きを強化した。

「半年前の調査では、浅倉くんは彼女持ち、という判定だった。だけど、つい最近別れたのであれば、その情報は調査員に伝わっていないかもしれない。だから私は、あなたが例の元カレだと思った」

 だがそこで、いくつかの矛盾が出てくる。先述の通り、結婚や子どもに対する見方が違っていることと、美穂子の元カレの容姿とはかけ離れていたこと。

「数日前に調査員を煽って、浅倉くんの近況を確認させたけど、浅倉くんは変わらず、彼女持ちという結果だった」

「彼女持ちというか、彼女待ちって感じですかね。山根さんが、オーケーしてくれないかなっていう」

 うまいことを言われたが、そこを褒めてやる余裕はあまりない。私は今、話しながらリアルタイムで情報を整理しているのだ。

「あなたが元カレなら、その指輪の説明がつく。私のこれと、浅倉くんのそれは、どちらもあなたが買ったもの。浅倉くんは実は、私の親友の元カレだった、と。でも、証拠が揃わない。むしろ、同一人物ではないという証拠ばかりが集まっていく」

 咳をひとつして、白ワインを再び口にする。苦味に咳き込む。とろけたような目で、浅倉くんは私を見ている。

「だから、ギブアップ。元カレ説以外のパターンが想像できない。この指輪がフェイクだということを知っている、そんな人物が他に思い浮かばない」

 前菜が運ばれてくる。木の板に、小さなグラスが3つ乗っている。中身は液体ではなく固形で、赤、黄色、そして緑の三色。何かのムースらしいが、メニューに書かれていた内容など覚えていない。

「僕とお付き合いいただけるかどうかの返事はとりあえず、デザートを食べ終わってから聞くことにして……。せっかくだから少しだけ、僕の話をしましょうか」

 グラスと一緒に運ばれてきた小さなスプーンを、浅倉くんは赤いムースに突き立てる。私は彼とは逆向きに、右側の緑色の何かから食べることにした。

「まず、僕がつけているこの指輪ですが、これは僕が購入したものです」

 体験したことのない味と、彼の言葉の両方に驚く。

 彼がつけているのは、彼が買ったもの。

「じゃあ、これは?」

「山根さんのご友人の、元交際相手が購入したものです」

「それは、浅倉くん――」

「では、ないんです」

「なら……」

 なら、どういうことなのだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「今日は来れなそうだな、あいつ」

 スマートフォンの画面を見て、白壁しらかべはぽつりと呟いた。

「本日の主役がいないんじゃ、僕たちのこの集まりはいったい何だろうね」

 料理を待っている間、おしぼりを畳んでは開くことを繰り返している浅倉は、自嘲気味に笑う。

「失恋なんて忘れちまえ! の意気で声をかけたのに、失恋した本人が来ないとなると……ありがた迷惑の極みって感じかな。結果的に僕はこうして、偏った栄養の底なし沼に、わざわざ安くない金を払って飛び込んでしまっているわけだ。慣れないことはするもんじゃないね」

 おしぼりでハイボールグラスの露を拭うと、浅倉はおしぼりを白壁に向けて発言を促す。

「ところで、社内の恋愛事情を探ったりマッチングさせたりしているみたいだけど……君自身はどうなんだい、白壁くん?」

 話を振られた白壁は、ビールジョッキを傾けたまま小さく首を振った。インテリを装うためにかけている眼鏡を外すと、白壁は大学時代と変わらない顔であることに気づき、浅倉は妙な安心感を覚える。

「ダメだ。人の恋愛のベクトルを独占・操作すれば、狙ってる娘とお近づきになれるかもって考えたのに、彼氏がいるって結果が出て来て、本末転倒だ。これじゃ、ただのボランティアだよ」

「やっぱり、下心があるとダメなんだろうね」

「じゃあ、お前がやってみるか? 下心なんてもんとは無縁そうな浅倉くん」

 浅倉も首を振った。


 浅倉、白壁、そして山根の努める会社では、社内恋愛・結婚を推奨する動きが活発になっている。しかし一部では、「価値観を押しつけるハラスメントではないか」との声が上がっていた。上から押しつけるだけでは、上層部への反感を強めるばかりである。

 そんな話を小耳に挟んだ白壁は、上司では行いにくい情報収集の役目を買って出た。本来の目的は、他の男性社員よりも早く、好みの女性にアプローチを仕掛けることだったのだが、調査によって特定の女性がフリーでないことがわかるだけで、白壁自身には何の旨みもない。

 とはいえ、社内恋愛の推進に不快感を抱いている山根のような社員ばかりではなく、興味はあるが積極的になれない社員も一定数いたため、白壁の動きはある程度の成果を生んでいた。これにより図らずも、白壁は女性社員ではなく上司からの好感度を上げることになる。

「しかし、本当にいいのか? お前はおひとり様リストに載せなくて」

 浅倉は首の代わりに、取り分け用のトングを縦に振った。

「下手に彼女がいないなんてアピールして、総当たり的にアプローチされても困るからね。僕はゆっくり、相手を見つけたいんだ」

「でも、それは諸刃の剣だぞ。彼女がいますよって嘘ついてるわけだから、お前から声をかけることも難しくなる」

「そのときは、少し前に別れたっていえば問題ないよ」

 白壁は鼻から息を吐く。浅倉から渡されたサラダの葉っぱが、その息でゆらりと揺れた。

「それにしたって、ゆっくり過ぎるんじゃないか? リストをつくったのはもう半年前だぜ。ちんたらしてたら、状況も変わっちまうよ」

「そうならないために、そろそろリストを更新した方がいいんじゃないかな」


 浅倉と白壁は、その日来ることのなかったもうひとり――深津ふかつを交えて、大学生活の大半を過ごしていた。

 偶然にも、浅倉と白壁は同じ会社に就職することになる。ふたりは、深津とやや疎遠になったが、月に1度は3人で集まることにしていた。恋人のいない浅倉と白壁と違って、深津には大学の途中から交際を始めた彼女がいる。彼から惚気話を聞くのが、浅倉たちの楽しみのひとつであった。

 しかし、ある日突然、深津から破局したことが報告される。急遽会うことにした3人だったが、失恋で不調の深津は出勤するのに精一杯で、いつものように盛り上がるまでには、まだ立ち直っていなかった。

 ところで、パートナーのいない浅倉は、幸せそうな深津の影響を受けて、白壁の作成したリストを元に恋人探しを始めていたのである。とはいえ、自身はリスト入りしていないということもあって、積極的に声をかけるようなことはせず、時間をかけて観察し、自分と気が合いそうか判断していた。

 名前順に作成されたリストの上から観察を進め、半年かけてようやく「マ行」が終わり、ヤ行のトップバッターである山根梢。彼女は、浅倉がこれまでで唯一、気が合いそうだと判断した女性であった。

 ようやく見つけたんだ。声をかけてみようと思う。応援して欲しい。

 そんな想いもあって、彼は3人で会うことを提案したが、親友ふたりの片割れは、応援してもらうどころか会うこともできなかった。

 手を洗い、水分をハンカチで拭き取ると、化粧室のドアノブをハンカチ越しに掴む。

 白壁が待つ席へ戻ろうとする途中、彼は思いがけない人物を視界の端に捉える。

「あれは……山根さん?」

 観察の末、立派に片想いを始めていた浅倉の心臓は、彼女の姿を捉えたことでトクンと高鳴った。

 声をかけようか迷ったが、会社ではひとりでいることの山根梢のプライベートを知るチャンスと思い、浅倉は席を探すフリをしながら、山根たちの会話に聞き耳を立てる。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「そんなわけで、僕は山根さんが指輪をもらう場面に、たまたま遭遇していたんです。これが、指輪のことを知っている理由」

「ちょっと待って」

 私は情報を整理してから、スマートフォンを探す。着慣れないドレスには、当然ポケットなどない。慌てて、小さなバッグからスマホを取り出すと、美穂子とのトーク履歴を開く。彼女が、元カレと映っている写真だ。

「この、男の人の方って、もしかして……」

「ええ、僕の友人の深津です。僕は、山根さんのご友人の元カレではなく、山根さんのご友人の元カレの友人、というわけです」

 あえて、混乱しやすい言い回しをしたのだろう。浅倉くんの口角がさらに上がった。楽しんでいるのだ、私の表情を。

「じゃあ私たち、同じ大学だったのね」

「ええ。片想いしている先輩が、来年から別のキャンパスに行ってしまう。会えなくなる前に告白をしてみよう。そんな風に、深津が張り切っていたのが懐かしいです」

 世間は狭いな。

 だがしかし……。

 だがしかし。世間がどうのということでは説明できないことが一点残っている。

「それで? その指輪はいったい何?」

「だから、これは僕が買ったやつです」

「……まさかと思うけど、ペアで買ったの?」

「もちろん」

「なんでまた、そんなことを――」

「お近づきになるためには、都合がよかったんですよ。友達の元カレかもしれないと警戒させておいて、でもどんどんそうじゃないことがわかってくる。気になって気になって仕方がない。……どうです? ここしばらく、僕のことばかり考えてませんでしたか?」

 それはたしかに、その通りだ。

 計画通りというか、策略にまんまと嵌ってしまったらしい。雰囲気が良くない男にミステリアスをかけ合わせてもホラーにしかならないが、彼のようなさわやか好青年にかけ算すれば、いい意味で頭から離れなくなってしまう。


「その指輪は、わかったんだけど」

「はい」

 ひとつ謎が増えてしまった。

「浅倉くんが買った分の、もう一方のリングはどうしたの?」

「ああ、それはもちろん……」

 浅倉くんはジャケットのポケットからリングピローを取り出すと、リングを抜き取り手を差し出す。

「もし、僕とお付き合いしてくださるなら、今ここで」

 左隣の女性客ふたりから、熱烈な視線を感じる。空になった私のグラスに、白ワインを注ごうと近づいてきたウェイターさんも、何かを察して店の奥に引っ込んでいった。

 まあ、正直断ろうという気にはなっていない。平日のランチだけでも、共に時間を過ごせば愛着が湧いてくるというもの。

 私は返事をせず、黙って彼の手に左手を乗せる。にこりと微笑んで、浅倉くんは持っていたリングを一度ピローに戻し、私の薬指にはめられた、芋焼酎洗浄済みの男避けリングを外す。洗浄の済んでいない――いわくつきじゃない方のリングと入れ替えた。彼の細く綺麗な指が、私の薬指にリングを通していく。

「……なんていうか」

「はい」

「……別物だってわかってても、同じ形だから、なんか嫌な感じね」

「ええ、僕もそう思ってます」

 ふたりで、声を出して笑った。

「これは儀礼的なものというか、まさにお近づきの印です。そのうち、ちゃんとふたりで選びに行きましょう」

「それまでは、これで我慢しろってことね」

 白ワインボトルを持った男性ウェイターと目が合う。私が頷くと、待ってましたといわんばかりに歩いてきた。コルクを抜き、それを左手の指に挟むと、ボトルを傾けてワインを注ぐ。トクトクと、ゆっくりとした音がする。私の心臓の音と、共鳴しているようだった。

「存在自体がいわくつきだから、これも消毒が必要かもしれないわね」

「芋焼酎はありませんから、ワインでやりましょうか?」

「まさか!」

 私が笑うと、彼の手に少し力が込められた。

 私の左手が持ち上がる。同時に、彼の顔がその手に近づいた。

 やさしい感触。

 薬指に、キス。

「僕の毒で、消毒ということで」


 私の笑みと共に、白ワインがこぼれた。

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元彼にもらった指輪を友人が私にくれた話 柿尊慈 @kaki_sonji

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