別人格ヒデ参上

渡 信也

第1話

 秀一郎にとって対戦ゲームは唯一の生きがいであった。部屋に引きこもりゲームに集中していると、空想世界の幻想に引き込まれ、人間不信から次第に部屋を出ることに恐怖を覚えていた。

ゲームに依存する生活は平常心を失い、格闘ゲームで敗退した後は奇声を出し、近くにある物を壁に投げる大暴れをし、両親も近寄れない極限状況が頻発していた。心配する母親が部屋の前に食事を置き、一人で食事する生活が秀一郎の日常生活である。

 今日も格闘ゲームで完敗のKOを受けると、気分は激しく動揺して不安定となり、食事にも当り散らす何時もの光景が始まった。秀一郎は運ばれた食事トレイをひっくり返して叫んだ。

「こんなも物が食えるか!」

「野菜も食べなければ体に悪いわよ」

 母親が宥めようとすると、秀一郎は食事を母親に投げつけた。食事が母親の顔に当たり飛び散るのを見た父親が、秀一郎の前に立ちはだかり睨みつけて言った。

「お母さんに何をする!お前の体を心配しているのが判らないのか!」

「オマエが偉そうに俺に注意できるのか!」

 激情した秀一郎は父親に飛び掛った。しかし昔柔道で鳴らしていた父親の相手ではなく、秀一郎はねじ伏せられ、押さえ込まれて白目をむきだした。秀一郎の母に対する暴力は頻繁に発生し、父親はその度毎に「このまま首を絞めたい」と思う気持ちが頭をよぎっていた。慌てた母親は父親を引き離し秀一郎に頭を下げて言った。

「秀ちゃん、食事は作り直すから機嫌を直して頂戴・・」

「こいつに構うな!食べないのは自分の勝手だ!」

怒る父の話を聞いた秀一郎は「何を!俺を殺す気か?」と叫び台所から包丁を持ち出し振り回した。母親は自分が切り付けられるのも恐れず、秀一郎に抱きつき部屋に押戻し「お母さんが守るからね」と言って強く抱きかかえ泣きついた。



 秀一郎がゲームにのめり込むには生い立ちがある。幼少期から裕福な家庭環境で育った秀一郎は性格が内気で、スポーツ等のチーム行動が苦手であると察した両親が、中学生の頃からゲームソフトを買い与えていたからであろう。大学は有名私大に入学し学業成績も上位であったが、暗い性格から周囲の仲間も避けるようになると、疎外感から話し相手も無くして引きこもりが始まった。父親も仕事人間で話し相手になれず、大学の留年が続くと3歳年下の弟が先に大学を卒業し社会に独り立ちし、益々自分の殻に閉じこもる生活になっていた。

秀一郎が唯一平常心で過せるのはゲーム対戦だと察した母親は、この夏に開かれる2020夏eスポーツ大会のパンフレットを秀一郎に見せ、予選のエントリーをした。ゲームの幻想世界に浸る秀一郎はeスポーツに興味を示し、更にゲームに熱中する生活は予選大会は2日後に迫っていた。

夕刻父親と怒鳴りあいの後、秀一郎は気分が酷く落ち込み激情する感情を一人振り返り「これでいいのか?」と自問自答していた。押さえ切れない激情の嵐が通り過ぎた夜中の12時過ぎ、母から渡された一万円とゲームソフトを握りしめコンビニに出掛けた。空腹を感じ横断歩道を横切った時、暴走してきた車に跳ね上げられ舞った瞬間、意識が朦朧としているなかで格闘ゲームのゴングが聞こえてくると同時に、自分の体から何かが飛び出していく感覚に襲われ、意識を失った。



 数時間後、秀一郎が病院のベッドで目覚めると両親が手を握り心配な表情で覗き込んでいた。

「お父さん!秀ちゃんが目覚めたよ!」

 母の声を聞いた秀一郎は目を開き両親を見ると、何時もの激しい感情に襲われることも無く、不思議と落ち着いた気分で母に話した。

「俺は今日帰るぞ!明日はeスポーツゲームの予選会に出席する」

「秀ちゃん、退院は検査してからにして頂戴」

「ダメだ!今日退院する!俺に衝突した車は分ったのか?」

 父親は黙って首を振った。その姿を見た秀一郎は「ひき逃げか!俺は許さないぞ」と言ってベッドから起き上がり、立ち上がって歩く仕草をした。普段なら秀一郎の激しく罵倒する言葉が飛んでくる状況である。近頃では見たことの無い落ちついた表情の秀一郎を見た両親は顔を見合わせた。「事故の衝撃で異常が起きたのではないのか?」と父親は疑問を感じながら秀一郎の肩に手を添えた。

「明日は大事な予選会だな、頑張れよ!」

 秀一郎は自分でも分らない不思議な感情で笑顔を返した。



 翌日、秀一郎は2020eスポーツ大会の予選会場にいた。昨晩は自分の部屋に戻ると再び爆発する感情に襲われ、道路で遊ぶ子供の声に反応し「うるさい!殺すぞ!」と言って部屋から物を投げつけ大暴れをしたが、朝にはその感情も消え、引きこもり以来数年ぶりの一人外出に不安を感じることは無かった。

 ゲーム予選はアクションゲームで行われ、これ迄同種のゲームでは相手を倒すまで辿り着けなかったが、この日の秀一郎は自分の意志とは思えない動きをしていた。ゲームが動くその前に次の動きが予測でき、画面を見ているだけで手は勝手に動き最短でKOして予選突破を果たした。

 秀一郎はかってアクションゲームでこれ程早く勝った記憶が無く、自分の実力以外の人物がゲームを支配している、と頭によぎり自分に問いかけた。

「今日のゲームは誰だ!何時もの自分とは思えない」すると声が返ってきた。

「今の人格は、秀一郎の100年後の人格ヒデだ。ヒデはAIを備えコンピユーター相手のゲームは全て制覇出来るぞ」

「俺の100年後の人格が現れたのか?」秀一郎の問いにヒデは落ち着いて言葉を返した「そうだ。これからもヒデの判断で入れ替わるから安心しろ」

 秀一郎は衝突事故の状況を思い出していた。あの時自分の中から何かが飛び出し、別人格のヒデが体の中に飛び込み俺を支配したのではないかと?

 eスポーツゲーム予選を突破し自宅に戻ると、ヒデは消滅し秀一郎の人格で部屋に閉じこもり、母親は黙って食事を部屋の前に置いた。



 1週間後にはeスポーツ予選決勝が行われ、秀一郎の中に現れたヒデは戦場シュミレーションゲームでも相手を圧倒して優勝し、2020eスポーツ大会出場を決め優勝の弁も饒舌に披露した。大会関係者の殆どが秀一郎の大会優勝を信じ拍手を送った。こっそりと様子を見に来た両親は我が目を疑い「これまで秀一郎の態度は何なのだ」呟いて顔を見合わせると、一抹の不安を感じていた。

 この日もゲーム大会を終え家に戻るとヒデの人格は消え、激しい感情で家族に当り散らした後、引きこもりに戻っていた。両親を困惑させ、押さえ切れない行動をする自分に嫌悪感を覚え秀一郎は別人格に問いかけた。

「俺はどうなっているのだ!ヒデに入れ替われないのか?」

「君の主人格は秀一郎だ、ヒデは未来に存在する人格だ」

「俺の人格をヒデに入れ替えてくれ!」

「ダメだ!入れ替えれば秀一郎は消滅するぞ。共存を考えろ」

「俺は秀一郎を抹殺したいのだ!」

「秀一郎が存在しなければ、ヒデも消えるぞ。ヒデへの入れ替わりは2020eスポーツ大会の優勝だ、しかし秀一郎には別能力の人格も存在するぞ」

 別人格ヒデはそこまで言うと記憶から消えていた。不安を感じた秀一郎はネットで多重人格について調べるが、確たる多重人格の証明はされていなかった。 

「ヒデの人格は何時から俺に憑いたのだ?まだ別人格が現れるのか?」と考えをめぐらすと、ヒデの出現は事故で気を失った時期と符合すると思え、確認したい衝動に駆られた。



 ひき逃げ事故に遭ってから14日後の事故時刻、秀一郎は事故現場に立ち目を閉じて事故の瞬間を回想していた。すると暗闇の中から黒いワンボックスカーが現れ、秀一郎を跳ね上げる状況が記憶の片隅に現れると、秀一郎は車の幻想に動かされ無意識に歩き出していた。1時間ほど歩いたあと1台のワンボックスカーの前で立ち止まり車のナンバーを記憶すると、自宅に帰り車のナンバーを書きとめ父親に手渡した。

「俺をひき逃げした犯人はどうした!」

「いや・・まだ見つからない」

「この車を調べてみろ」

「お前は事故の時、車の記憶はないと言っていたぞ?」

「今晩、事故現場に立って俺の記憶に浮んだ車だ。確認してみろ!」

「秀一郎の記憶に浮んだのだな。警察に相談するよ」

 自分の思い通りに事態が進まないと、目の色が変わり暴言で当り散らすと知っている父親は優しい声色で伝えた。 父親の返事を聞き部屋に閉じこもった秀一郎にヒデの声が届いた。

「ひき逃げ事件を詮索するな!犯人逮捕はヒデとの交換現象だぞ」

「いや・・俺は轢き逃げが許せないのだ!」秀一郎の反応にヒデの声は弱弱しく「ヒデは加害者の人格を取り込んでいる、逮捕で相殺だな」の声が聞こえヒデの幻覚は消えていた。



 2020eスポーツ大会の会場に、秀一郎は周から注目を集め立っていた。最初の対戦ゲームは予選では圧倒的な勝利を飾った戦場のシュミレーションゲームであった。しかしこの日はゲームが始まっても秀一郎にヒデが舞い降りる事は無く、緒戦で惨敗を喫し酷く落ち込んだ表情を示した。ゲーム対戦の様子を後方のシートで観戦していた両親は嫌な予感を覚え自宅へと急いだ。

 ゲームに敗退した秀一郎は何処を歩いたのかの記憶も無く、辺りが寝静まる夜中に憔悴した様子で帰宅すると、母親が腫れ物に触るように話しかけた。

「秀ちゃんが教えてくれたナンバーから、轢き逃げ犯が捕まった、と警察から連絡があったよ。車のナンバーは警察では驚いていたよ」

 母に続いて父親が逮捕の状況を話しかけた。

「警察の説明では、犯人は大学で脳科学を教える教授で、事故当時は飲酒運転であったため逃亡したと供述している様だ。教授は大学を解雇されたよ」

 父親の話を聞いた秀一郎は最後に現れたヒデの伝言を思い出していた。

「犯人逮捕と交換にヒデは消滅したのか?」と呟いた時、幻影の中に別の人格が現れ、自然と口が動いた。

「俺は明日から大学に行くぞ。ゲームを止め美術を学び直すよ」

 秀一郎は穏やかな表情になっていた。

                                完結

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