傲慢と口下手

@Sak_Tek_

傲慢と口下手 1/1

「感情が押し寄せてくるんだ。俺はそれが怖くて仕方ない」

 彼は表情を強ばらせながら執拗にそう言う。

 その時私はまだ全くその意図を汲むことができなかった。

 感情を描くことが使命である作家の彼が、何故感情を抱くことに恐怖するのか理解できなかった。


 ある日彼は寝る時間まで幾ばくかの猶予があることに気づいた。

 時間を潰すために何気なく無料の動画サイトを開く。

 おすすめ欄には普段見ない類であるオカルト系の動画があった。

 物珍しさからかそれに惹かれた彼は、睡眠に関する人体実験の動画を見ることにした。

 動画曰く、人が睡眠を取らずに居ると数日で気が狂い、自分の肉体を喰うようになるらしい。

 初めはそんな内容の動画に嫌悪感や恐怖心よりも、好奇心を抱いていた。

 その後も関連動画に示されていた、過去に起きた村八分の事や、悪魔との契約について、蠱毒についての動画などを見進めた。


 寝るまでの時間つぶしだったはずの動画視聴は、ついに午前六時にまで及んでいた。

 その頃になると、当初あった好奇心は完全に消え去り、罪悪感や恐怖、焦燥感がその身を苦しめていた。

 なんと彼は、動画を午前六時まで見た後にそれに気づいたのだ。

 それまで気づかなかったのだ。

 彼は動画の視聴をすぐに辞めた。

 その日の午前は眠気と戦いながらも自宅で物書きとしての仕事をしながら過ごした。

 昼飯を終えた頃、ついに耐えきれなくなった彼はぱたりと倒れるように眠りにつく。


 一時間と少し経過した頃、悪夢にうなされた結果飛び起きる。

 不安感を拭うために、彼は私に電話をよこした。

 時刻は午後3時頃。

 私は仕事で外に出ていたが、休憩のタイミングだっため運良く電話に出ることができた。

「……もしもし」

 ザザッと掠れた覇気のない声とともに言葉が紡がれる。

「もしもし? どうしたの?」

 私はいつもと違う彼の声に戸惑いながらも返事をする。

「あ、あぁ。昼寝をしていたらちょっと嫌な夢を見てしまってね。少しだけでいいから、声が聴きたい」

 少し軽めのトーンでそう彼は話した。

「はぁ、そんな事で電話してきたの? 全くしょうがないんだから」

 彼の言動に少し違和感を覚えたが、それよりも電話をかけてきたことを嬉しく思った。

 その所為ではないと思うが私は、彼の言葉が含む違和感を正確に見抜くことができなかった。

 彼はめったに感情を口にしない人なのだ。

 そんな彼が、嫌な夢を見たから私の声を聴きたいというのは、今考えれば"異常"なのだ。

 少なくとも彼の中での作家という職は、感情を全て文字に乗せるものだった。

 それ故に本の虫である私は、全てを文字に起こす彼と、彼が文字に起こす感情の大きさを好いたのだ。

 だからこそ私は、いや私だけがその異常さにいち早く気づけた可能性があり、誰よりも早く助けられたはずなのだ。

 そんなことには気づけないまま、彼との電話を終える。


 その日の夜、彼は寝るまでに幾ばくかの猶予があることに気づいた。

 なんとなく無料の動画サイトを開いた彼のおすすめ欄にはオカルト系の動画がいくつか載っていた。

 今度は神経障害を患った動物の動画やダークトライアド、幽霊動画などを見進めた。

 人間の勝手な実験によって生み出された動物、サイコパスが無慈悲に無関心に人を殺めるさま、五寸釘の呪いによって現れた怪奇現象。

 そのどれもに惹かれ、以前の恐怖心はとうに消えたのだ。

 好奇心だけがリミッターを外し、恐怖を置いて暴走していたのだ。

 睡眠不足が功を奏して動画を見始めてから一時間半で眠りについたが、またもや悪夢にうなされて飛び起きてしまう。

 その頃になると完全に精神をおかしくしており、狂ったように叫んだと隣人はいう。


 こんな事が数日続いた時、彼はついに全てを私に打ち明けて助けを乞うた。

「動画を見ていただけなんだ。でも見てる途中は恐怖なんて無くて。それ以外の場所では、怖いんだ……」

 このタイミングでやっと彼の異常さを確信し、対策を講じようと私は動くことにした。

「わかった。待っててね」

 私がそう言うと、彼はしばらくして安心したように眠りにつく。

 悪夢によって睡眠不足が続いていたせいだろうか、彼はその後十二時間も眠り続けた。

 その後彼が見たという動画の一部をチェック。

 そして今の彼は精神異常を患っているということを少ない知識でも理解できた。

 急いで精神科に連絡した私は、彼を丸一日監視したのちに病院へ連れていった。


 医者曰く、夜動画を見たあとに寝る場合、深い睡眠に入れず夢を見やすい浅い睡眠であることが多いらしい。

 その事もあって、直前に見たオカルト系の動画を悪夢として感じたのだろうと話していた。

 それに加え共感能力が人より高い彼は、感情の波に動かされやすいのだという。

 今まで彼がしてきた、感情を言葉に出さず書き出すという行為は、一種の自衛行動だったのかもしれない。

 感情を言葉にするのではなく書き出すことによって、突発的な感情に流された行動を抑制することができるのだろう。


 私は彼が綴る文字を読むだけで全てを知った気になっていた。

 だがしかしそれは傲慢だったのだ。

 感情は言葉にしなければ伝わらないなんて、子供でもわかりそうなことなのに。


 全てを知って全てを解決した私と彼は、三つの誓いを立てた。

 一つ目はお互いが感情を言葉にすること。

 二つ目はお互いの言葉を聴くこと。

 三つ目はお互いを信頼すること。


 人間には共感能力を抑制する機能がある。

 この機能がないと、貧困で苦しんでいる国の人を見た結果、食事が喉を通らなくなることもあるのだろう。

 彼はそちら側に近い人だ。

 だからこそ、そんな人を好いてしまった私はこれからも彼の隣を歩こうと、密かに四つ目の誓いを立てた。

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