第1話

幼い頃から住むこの町で流星群りゅうせいぐんが観測されるという報道をテレビのアナウンサーから聞いて、心が踊ったりすることは、今の俺にはなかった。


寿命が終わる瞬間の星の輝きが流れ星として数百年の時を経て地球の空にきらめくらしいのだが、その最後っ屁に対して人々に理不尽に願いを込められるとは星々も予想だにしなかったに違いない。


しかしながら、そんな流星群の訪れに浮き足立っているのが俺が通う学校の小市民たちだ。


「俺、絶対今夜お星さまに金持ちの彼女ができますようにってお願いするんだ」


昼間、前の席の田中が言った恍惚の表情でさまざまな欲に塗れた願いが、頭の中にリフレインする。


食い終わった夕飯がぼちぼち消化されるであろう時間となり、闇に散らばる無数の光が親分面おやぶんづらをした月と共にこちらを覗いている。覗きを許しているそのガラスに付着した小さなセロハンテープは、その昔俺がサンタへのラブレターを掲げた際に用いたものの剥がし損ないである。


きしむ音を上げながらも背中から臀部にかけて俺を支えてくれている椅子にもたれたまま、こちらも星たちを覗きかえしてやる。


星空を覗くとき、星空もこちらを覗いているのだ。これでおあいこだ。


天空との覗き合戦に精を出していると、星の一つが白い線を夜空に描き、消えた。


流れ星だ。


その後、次々と星々はきらりと輝き消えてゆく。光って消えるまでの猶予はコンマ何秒とない。


ここまで猶予時間の短い中で伝えられる願いはかなり限定されるだろう。田中が言っていた『金持ちの彼女』を伝えるのは厳しそうだ。しっかりとした滑舌でかつ早口で唱えるのは至難の技である。


この猶予でできる願いとはなんだろうか。


なるべく文字数が少なく、かつあって困らないものを望むのが好ましい。


消えゆく星たちと剥がし損なったセロハンテープを見て、魔が刺したのだろう。


俺はなんとなく星に願い、呟いた。


「カネ」


俺の声と同時にほんの一瞬きらめいた星の光が窓から俺を照らしたかと思った瞬間、轟音と共にガラスがぶち破られた。粉々になった破片が宙を舞う中、そいつは俺の部屋に降り立った。


「あなたの願い、叶えましょう」


そう言って驚愕きょうがくする俺の前でお辞儀をするそいつは、最近買った新しいスニーカーにすっぽり入ってしまいそうな、小さな紳士だった。


「どうも、悪魔です」


身を包むタキシード、今どき映画の中でも見ない黒いステッキをくるくると回し、被ったシルクハットから覗くやや痩せ形の顔に蓄えた口髭の下から出た言葉で自らを悪魔と、そいつは形容した。


「先の願いで、契約は完了しました」


つかつかと革靴を鳴らし、俺に近づく悪魔。途中ぱきっ、と割られたガラスの破片を踏み締める音が鳴る。


突然の出来事に固まっていた俺の身体と口が、その音を皮切りに動き出した。


「おい、悪魔さんよ」


おそらく、人類史上悪魔に敬称をつけたのはこの時が初めてだろう。言い慣れない言葉の流れに戸惑う口を無理やり動かし、悪魔に言った。


「どうした、我が主よ」


こいつは俺のことを『主』と呼ぶらしい。主従関係を既に結んだとされている事実確認もないままだが、ひとこと言ってやらねばならんことがある。


「ここは、土足厳禁だ」


窓ガラスをブチ破り、降り立ってから歩いた悪魔の軌跡を指差してやる。黒い靴の跡が、窓際から俺の前まで等間隔で続いていた。


「おっと失敬」


けたけたと声を上げる悪魔。


突然現れた悪魔と割れたガラス。日常発非日常行きへの特急列車へ絶賛乗車中の俺は、顔は平静を装いながらも頭はぐるぐると回った。


悪魔?契約?俺の願いを叶えるだと?


全国絶賛流星群祭りの今の日本、もしかしたら他の国でも俺のようになんとなく星に願ってみたりした者もいるだろう。そいつらの一人一人に、こいつのような悪魔が降り立っているというのか?


「残念ながら、そうではありません」


悪魔は答えた。このやろう、俺の頭の中を読みやがったな。


「今回の星降りの夜で契約を交わすことができるのは一人だけ。数万年に一度のチャンスを、あなたは掴んだのですよ」


徹頭徹尾うさんくさい話だが、星の光から現れた悪魔が言っているのだから信じざるを得ない。


「あと、悪魔悪魔と私を呼んでいるようですが、あなたは同じ人間のことを『人間』と呼称しますか?しないでしょう」


「お前が『悪魔です』と自らを名乗ったんだろうが」


「おや、そうでしたっけ」


白々しくもとぼけたような顔をして肩を竦めた悪魔は、シルクハットを脱ぎ軽く一礼した。


「私の名前はマモン。あなたにカネを、富を与えに参りました」


悪魔改めマモンが指をパチンと鳴らすと、風の侵入を拒めなくなった窓からひらひらと一万円札が入ってきた。手元に揺らめくそれを手に取り、マモンは続ける。


「私はこの世界のカネを自由自在に生み出すことができます。そして、私はその力を我が主のためにのみ使うことをここに約束致します」


手に持つ一万円札を一振りすると、驚くべきことに札が一枚増えている。もう一振りすると四枚、更に一振りして八枚。


まるで手品を見ているようだ。


「カネで全てが解決するとは言いませんが、人生において起こりうる障害のほとんどを解決することはできるでしょう」


マモンの言うことは一理ある。カネで買えないものはあるだろうが、カネはあるに越したことはない。欲求を抑えストレスとなる主な原因は、ほぼ金銭的な余裕のなさであることは明白である。


「ただし、私のこの力を主のためにお使いするには一つ条件があるのです」


あれだけ増やした一万円札を今度は一振りしてどこかへ消し去り、マモンは口角を引き上げながら言った。


「条件?」


「ウソつきは、金持ちのはじまり……」


そうつぶやくアモンが口にした条件が、今後人生を大きく変え、自身が起こしてしまう災厄さいやくの原因となるとは俺自身考えもしなかった。




「富を得る条件。それは、あなたがウソをつくこと。それだけです」




俺は、希代の大ウソつきへの道を歩み出した。

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ウソつきは金持ちのはじまり えなかえっぱえ @enaka_eppae

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