終わらない三分間

でこかく

雨音、遠雷。

 2020年、七月の夏。

 その日はいつもと同じ暑い一日が続くと思っていた。

 朝は傘という単語など頭の中で微塵も浮かばず、今日はあいにくと寝坊して登校し天気予報も見ていなかった。


 夕方からの雨はしっかりと予報されていたらしいが、それを知らない僕は急な降雨に驚き、帰宅路の途中にあるバス停のベンチで雨宿りをすることにした。

 ここは田舎で、見回せば田んぼと山ばかり。見晴らしはいいが、早く高校を出て都会に行きたいとなんとなく思わせるさびしい景色だ。


 最初の頃は弱かった雨脚も今ではすっかりドシャ降りで、ずっと向こうで響いていた遠雷も段々とその音を近づけている。


 雷は嫌いじゃない、むしろ好きなくらいだった。小さい頃は家にいるとき雷が鳴れば、わざわざベランダに出てその様子を観察していたものだ。

 視界の端で一瞬、白いヒビが空に走った。

 数秒待ってようやく、ゴロゴロと音が到達。まだまだこちらに来るには時間が掛かるらしい。


 いっそずぶ濡れになっても良いから走って帰ろうか。そう考えて、ポケットには防水機能も付いていない使い古しのスマホがあることに気付き、無謀な行動は即却下する。

 ただ待っているのも暇だし。とスマホをポケットから取り出して、イヤホンを挿し耳に引っ掛けた。


 流れているのはずっと同じ曲。『終わらない三分間』という最近人気のインディーズバンドの一曲で、演奏時間がちょうど三分間と区切りの良いところが気に入っている。

 曲がサビに差し掛かって、きっと雨音もかき消してくれるさと鼻歌を漏らしているときだった。


 風に流れた雨粒に濡れないようにとベンチのど真ん中に深く陣取っていたのに、僕の頭にボトボトと大量の水滴が降り注いできたのだ。

「ちょ、冷たっ!!」

 反射的に身をよじりイヤホンを引っぺがす。不快げに見上げると、そこにはうちの高校の制服を着た女子が立っていた。


 全身、上から下まで濡れていないところは無いようで、薄い夏服のシャツが肌にピタリと張り付いて実に扇情的である。そうか、今日のブラは可愛らしく水玉ですか。

「あ……ご、ごめん。濡らし、ちゃったか」

「いや、別にいい――いいですけど」

 ふと視界に入ったのは、彼女の襟元のリボン。色は赤なのでこの人は上級生かと気付くと、とっさに敬語になった。


「悪、い。ちょっと、隣り、……座ら――せて?」

 走ってここまできたんだろう。息は上がりっぱなしで、言葉も途切れ途切れだ。

 僕は快く頷き、占領していた陣地を半分開放する。彼女はユラユラと僕の隣りに辿りつくと、崩れるように座り込んだ。


「よかったらこれ、使ってください」

 言って、スポーツタオルを差し出す。いくら彼女が濡れ濡れのスケスケで男の子的に眼福とは言え、ずっとその状態で隣りに居られるのも落ち着かない。

 彼女は自分のがあるからいいと初めは断ったが、手持ちのハンカチではびしょ濡れの髪は拭いきれなかった様子で、恥ずかしそうに視線を寄こすと、ゴメンと呟いて手を伸ばしてきた。


 幸いというか、僕のスポーツタオルはバスタオルのように大きめで、小柄な彼女は簡単にそれに包まれた。

 さっきまでペタリと顔に張り付いていた髪も丁寧に拭われ、しっかりと露わになった彼女の顔は――すごく好みだった。


 さて、そんなタオルのやり取りが終わってしまうと、そこから会話らしい会話は一切なかった。

 身体を拭いていてやっと気付いたのか、透ける自分のYシャツを見て真っ赤になった彼女は、タオルと共に身を縮めて全く動かなくなってしまった。


 これは、僕が悪いのだろうか。持つべきか分からない罪悪感を感じつつも、僕は少し不思議に思い、彼女を観察してみた。いやいや、彼女の身体とかではなくてね? 

 視線の先には、一本の傘がある。もちろん僕のではなく、彼女の物だ。何処にでもある透明なビニール傘、それがベンチに立てかけられているのだ。


 傘があるのに、なぜ使って帰らない? 家が遠くてバスを待っているのか? それとも雨が強すぎて傘が役に立たないとか。でもそれ以前に、彼女はその傘を畳んだまま此処に飛び込んできたのだ。きっとそんな理由じゃないだろう。

 単に壊れて開かないとかそんなオチかも知れないが、透明のビニール越しに見えるその骨組みは別に異常もなさそうだ。


 特にやることもない。ここはひとつ推理ゲームでもしてみよう。

 傘はある。でも壊れていない。しかし彼女はずぶ濡れで、わざわざ雨宿りなどしてここにいる。その意味するところとは?


 漫画やドラマの名探偵に見立て、フムと顎に手を当て考えていたら、空が光り、さっきよりも大きくなった雷の音が響いて思考が中断される。だいぶ近付いたな、こりゃもうしばらくは雨も止みそうもないと溜め息を吐いた。


 この人ともまだまだ無言でご一緒しなきゃならんのかと思って隣りを見ると、そこには丸まってダンゴ虫みたいになっている彼女の姿があった。

 一瞬、眼を疑う。だって丸まり方が尋常じゃないんだもん。伸ばされていた脚もいつの間に畳んだのか、膝を抱え込んで顔も見えない。


 これは下も覗けるチャンスか! と思いもしたが、そこは流石の女子。しっかりとスカートを内股に織り込んでディフェンス済みであった。

 だが更によく見れば、彼女は細かく震えているようだ。はじめは寒くて震えているのかと思ったが、どうやら違うらしい。


 耳をつんざく大きな音が周囲に溢れるたび、彼女は一度びくりと飛び上がり、またダンゴ虫状態になってプルプル震え始める。なるほど、傘があるのに帰らない理由はこれか。


 正解は、雷が怖いから。

 QED。ってそんな大したものかよと一人突っ込んだ。


「あの……大丈夫ですか?」

「――――――――――――――」


 声を掛けても答えはない。恐らく聞こえてはいるのだろうが、顔を上げるのも怖いのだろう。その後も遠慮がちに声を掛けると、ようやく震えに混じってコクコクと頷く仕草が見て取れた。


 しかし返事があったからといって、その様子は全く大丈夫そうではない。なおも近付く雷の音に比例して、彼女の震えもどんどん大きくなっていく。


 正直、見ていられない。

 どうしようかと迷いに迷って、僕はこの場において唯一思いついた解決策を手に、彼女の傍へおずおずと近寄っていった。


 いま会ったばかりの人にこんなことするのは非常に恥ずかしく且つとても失礼だとは思うんだけど、こんな姿を見せられては、こっちも何もやらずにはいられないじゃないか。


 手に持ったソレを徐々に近付け、そっと耳に押し当てる。緊張から僕の手まで震えていて、彼女の耳に触れた瞬間、二人一緒にビクリと肩を揺らしていて少し可笑しかった。


 彼女も耳に当てられたものがなんなのか理解すると、顔は上げずに手だけを耳元へ持ってきて、すっぽりとソレを包んだ――――震える、僕の手ごと。

 ひんやりとした小さな手に握られると、僕の心臓は爆発したみたいに撥ね上がる。鼓動は軽快にビートを刻み続け、今はそれほど暑くもないのに大量の汗が首筋を伝っていった。


 ふと気付き、ベンチに置いたスマホに目を遣る。そういえばちゃんと再生ボタン押していたかなと不安になったが、暗い画面の中に見える再生中の文字を見てほっと息を吐いた――――。


 それからどれくらいそうしていたか。

 雷は雨雲と共に彼方へと過ぎ去って、うす雲の間からは陽射しが差し込んできていた。じわりとした暑さが徐々に戻り始め、蝉の声も遠くで響いている。


 ようやく彼女が僕の手と、そして耳に当てられていたイヤホンを開放する。

 とても、それはもうとても恥ずかしそうな顔で僕を見ている。もちろんそれはこちらも同じで、ここからどう声を掛けたらいいか全く思い浮かばない。


 雨が降っていたときのような何とも言えない沈黙が、再び場を包んだ。いい加減それにも耐えかね、もうなんでもいい、取り敢えず話しかけろと心に叱咤して声を出そうとした瞬間だった。


「――――『終わらない三分間』」

「…………あ、ん? えっと、なに?」


 いくぞ、いくぞ! と意気込んでいたところに突然話しかけられ、僕は拍子抜けしてしまった。彼女はもう平静を取り戻したのか口調が軽かったが、頬は紅潮したままなのが可愛らしかった。


「かかってた曲よ、ずっと同じやつだったから。あたしも知ってる曲」

 そう言われスマホをもう一度見ると、確かに自分が聴いていたときのまま一曲だけをリピートしているようだ。


「――――っあぁ! ご、ごめん。この曲大好きで、ずっとリピートして聴いてて……つまらなかったよね」

「そんなことなかったよ。これ、インディーズのバンドだよね。……好きなんだ?」

「う、うん……最近ハマっちゃって。なんか良いんだよね、コレ」


 つい敬語も忘れて会話をしていた。彼女は僕の一挙一動が面白いらしく、慌てる様を見てクスクスと笑っている。


「わたしも」

「え?」


 すると突然、彼女が僕の手からゆっくりとスマホを奪う。片耳だけにイヤホンを掛け、僕の耳にももう片方を掛ける。聴き入るように眼を瞑ると、歌うように彼女は言った。


「――私も、好きだよ?」

 笑ってそう言った彼女から、目が離せなくなる。


 2020年、七月の夏。

 その日はいつもと同じ暑い一日が続くと思っていたけど。

 雨に降られて、いつまでも続く三分間の中、僕はその笑顔に恋をした――――。

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