事件と日常、月は昇り日はめぐる

 衝動的に地面を蹴った。


「待てっ!」


 息が苦しくなっても必死に足を動かして、ただただ背中を追い続ける。

 でも、相手も止まらない。

 自分が走れば走るほど、その距離は遠くなる。

 それはそうだろう。自分は探偵、相手は殺人犯。しかもその足は自転車ときた。追いつけるわけがない。頭ではわかっていても、それでも追いかけずにはいられなかった。

 なぜって。


 ――あいつは、私の一番大切なものを、うばったんだから。


 今回の事件に関わったきっかけは、いつも通り警察に呼ばれたことだった。

 親が刑事をやっていて、最初に事件現場に連れて行ってもらってもうすぐ20年。自分が少しずつ事件を解決し始めて、探偵として名をはせ始めて早4年。

 今や、目立ちたいわけでもないのに、事件を解決するたびにどこからか聞きつけたマスコミに「大学生探偵、再び事件解決!」などと書き立てられる日々。

 それは、別にどうでもよかったし、特に気にしてもいなかったんだけど。

 まさか、そのことが。こんな事件につながるなんて。

 今回の犯人は、昔私が解いた事件の犯人の婚約者だった。

 監獄に入れられた彼女のことをそれはとても愛していたようで…つまり、動機は私への逆恨みだ。


「ふっ…はははは!さぞかしいい気分だろう、大学生探偵!この事件を解くことができてな!でもお前の恋人はもう二度と戻らない!監獄で病死した俺の婚約者と同じようにな!」


 それを聞いた警察は、やはり人間なのだからしょうがないのかもしれないが、その言葉に呆然としてしまってすぐには取り押さえられず、その一瞬の隙に犯人は逃走してしまったのだ。

 そして、それを私が衝動的に追いかけて、そして今に至る。


 警察が驚いたのも無理はない。今回の被害者は、一見私と何の接点もない――開成高校を出てアメリカのハーバード大学に入学し、飛び級でそこの大学院を出て日本に戻ってきたという経歴を持ついわゆるエリートで、私みたいな一応日本最高峰の東都大学に通ってはいるものの医学とは全く関係のない法学部に入っている人とは絶対に関わることがないような――奴だったのだから。

 でも、私と彼は幼なじみだったのだ。小学校までは一緒の所に通っていて、家も近く仲が良かった。そして、お互いに憎からず思っていたのだろう。彼が帰国して、私の住んでいるマンションを訪れて告白された時は本当におどろいたのだ。それを受け入れてから、まだ1ヶ月もたっていない。だから、まだ誰にも知らせていなかった。

 それなのに、どこから聞きつけたのか、あの犯人は知っていた。そしてそれを利用して、私への報復へ利用した。

 探偵なんて、人から恨まれてもおかしくない商売をやっているのに。警戒もせず、マスコミや身の回りの交友関係に一切ガードを作らなかった。

 私の、ミスだ。


 前方から、赤い赤色灯の光が見え、後ろからもパトカーのサイレンが聞こえてくる。

 私と犯人が走っていった方向から、逃走経路を割り出したのだろう。これで奴は、もう絶対逃げられない。

 明日にはきっと、また「大学生探偵、不敗神話は継続か!?」「被害者はまさかの探偵の恋人!」とでも書き立てられるのだろう。身の回りもうるさくなるのかもしれない。一人の命が失われても、世界は変わらず回っていく。それは知っていたけれど、今回のことで痛感した。

 これを機に、しばらくは警察に事件にかかわったことを伏せてもらうように依頼してみようか。しばらく事件から距離を置いてみるのもあるいは一つの策かもしれない。月は昇り、日はめぐる。時間がきっとこの傷を癒してくれるだろう。

 サイレンがすぐそばに迫るのを聞きながら。私は…その場でしゃがみ、泣き崩れた。

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季節はずれと日常の小さな出来事をまとめました。 氷室緑 @S_bullet

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