おかたづけはボタンひとつで

もくはずし

おかたづけはボタンひとつで

 「何やってるのよ、ここを押すの。よく見て、首の後ろ側についてるこのボタンだよ」

 彼女はそう言って、人形のスイッチを切ってしまった。

 「まったく、何を馬鹿なことをやってるんだろうねえ、この子は。遊ぶならもっと広いところに行きなさいって、いつも言っているでしょう」

 「ごめんなさい。でも回路が切られてるのってかわいそうだなと思って」

 「大丈夫なの。これはお人形だから」

 「わかんない」

 「じゃあ考えてみて。あなたが農場で働く農夫。沢山作物を作りたいけれど、農夫はずっと働いていられないよね? お休みっていうのが必要なの」

 「じゃあ今、このお人形はお休みしているの?」

 「そうよ。だから心配する必要は無いの」

 説得できた、とばかりに彼女は部屋を出て行った。彼は人形のスイッチを切る倫理的態度についてはあまり理解していなかったが、少なくとも彼女の言わんとすることは理解できた。要するに、外で遊ぶ分には文句は言われないのだ。

 「さあ、デッカード。こっちで遊ぼう」

 外に出るまでの道のりを担いでいくのは、彼にとって非常にに骨の折れる作業だった。しかし、スイッチを入れて何をしようかと考えていると、その時間はすぐに過ぎ去った。

 「やぁ、おはよう! 今日は何をして遊ぼうか!」

 「おはようって、さっき遊んでから全然時間経ってないよ。うーんとね、今日もちょっと実験がしたいんだ」

 「おやおや、実験とは面白そうだね。そう言えばこの前、“亜次元空間に於ける領域認識齟齬が齎す福音” を私にセットアップしてくれたみたいだけど、もしかしてあれの続きかい?」

 「そういうこと。デッカードがこれから見るのは病人の幻覚と疑われていたもので即ち、君が創る新しい世界さ。」

 彼はデッカードに対して同情的であった。デッカードは、彼から見れば自由を得るに足る存在であったし、そう在るべきだと感じていた。

 「それは嬉しいね。君が笑顔で語るその世界。僕も是非お目にかかりたいものだ」



※     ※     ※     ※     ※



 「つまり、我々は尾骶骨や親不知の様に、必要の無くなった物を未だ所持している。これが、我々が神によって直接創られたのではなく、他の生物であったところから今の姿に至るまで徐々に進化している事証左なのだ。今日の授業はここまで」 

 110分に渡る長い授業も漸く終わりだ。教鞭を執っていた白髪の老人に訊きたいことは山ほどある。

 「何が神だよ。21世紀、もう俺達が生きているのは科学の時代だってのによ。んな迷信、心から信じている奴がどれだけいるんだよ。なあ、神山」

 指名を受けたので無視するわけにもいかない。かったるい絡みをしてくる大学での友人、工藤を宥めながら、教授の動向を見張る。運が良いことに工藤の機嫌が治り、席を立つまで教授は教壇を動かなかった。質問攻めに合っている教授に助け船を出す為、ホールの階段を下って行く。

 「教授、そろそろ時間です。これ以上、私の研究を見る時間を削らないでください」

 「おお、悪い悪い。それじゃあ皆の者、悪いがこれ以上質問のある者はわしの研究室のポストに入れておいてくれ」

 教授はそう言うと、人垣に入った亀裂からスルリと外へ向かう。私もやっとのことでついていく。出ていく人も少なくなったドアを抜け、緑の眩しいキャンパスを早足で通り過ぎていく。道すがら教授に尋ねる。

 「それで昨日のレポートですけれども、如何でしょう。できれば、卒業研究にも絡めたいのですが」

 「そうは言ってもねえ。私は宗教学者では無いから、人類の起源が神話的な起こりであるという議論についてあまり触れられないのだよ。頼むから、そういうのは自分の研究室を持った後にしてくれないか」

 なんとなく、私の扱いに困っているのだという雰囲気が伝わってくる。絵に描いた様な問題児ではないが故、邪険にも出来ないらしい。かと言って教授のスタンスは研究室に入ったころから変わらない。相変わらず、私の意気については苦い顔を返すだけだ。

 「わかり、ました。金輪際、教授にこの話を持ちかけるのはやめましょう。でも、私は思うのです。進化論だけでは、人間が歩んできた道のりは説明することは出来ません。必ずどこかに気付かれていない仕掛けがあるはずなんです。それを見つけるために私は、進化について学びます」



※     ※     ※     ※     ※



 美しい世界に1人立ち上がる。木々は陽の光を受けて青々と輝き、雫をもたげる草花からは、雨上がり特有の匂いが放たれ、彼の鼻をくすぐる。地面のぬかるみが足の指先に侵入してくる感覚に、ゾワゾワと背筋を信号が伝う。

 デッカードは周囲を虫や動物の気配が取り囲んでいることに気付く。空には無数の翼竜が滑空しており、地には小型肉食恐竜のラプトルや首長竜達が、思い思いの活動を繰り広げている。

 突然の来訪者に敏感なのは体の大きなもの達ではなく、小さな虫や哺乳類。デッカードの存在に怯え方々に散り、遠くから彼の様子を伺っている。

 彼はまるで最初からこの世界に居たかのように、何事もなく歩き始めた。感覚器官も動力もまるで問題無いが、彼の知性は主人を失ったことに伴って殆ど消失していた。考えることができるのは “続く” というこの世界の善だけだった。

 いったいどうすれば “続く” ことができるのだろう。それだけがぼんやりとした頭の中を巡り続け、彼自身を構築していく。

 まずは動力源だ。永遠にこのまま動き続けるというのは不可能なので、外部から何かしらのエネルギー確保しなければならない。彼はまず、そこかしこに生えている植物が手頃であると判断した。それらを摂取できるよう体の仕組みを変え、様々なサンプルを試して徐々に慣らしていく。

 彼が到達してから三度目の花々の色付き。彼は自らを構築する物質の軟化に気付いた。以前までは気にならなかった衝撃や気温・気圧の変化に対し、反応が過敏になっているのだ。

 かつてのような知性は既に跡形もなく、ただ “続く” ことへの執着が本能として刻み込まれているのみだった。痛みや熱さ、体内伝達への干渉に対して良いアイディアが浮かばなかった彼は、やがて周囲の動物を模倣するように変化していった。

 最初は小型のネズミだった。彼は近くに偶々潜んでいたネズミを捕まえて、隅々まで解析し、自らを完全に同種の存在に仕立て上げることに成功した。隣人は成り代わりの彼を見て完全に騙され、同じ巣に籠り、繁殖行為を行った。

 そうして出来た彼の子供たちは彼と同じ存在となった。“続く”ことが最優先事項としてプログラムされた同士達は、彼と同じように限られた思考と無限に広がる可能性によって、各々が様々な変化を遂げた。

 あるものは牙を持ち、あるものは危機を事前に察知する耳や鼻を手に入れた。中には巨大な体を手に入れたものもいるが、不運なことに体の機能をてんこ盛りにした同士は突然の天変地異によって敢え無く消えていった。

 しかしそれからというもの、彼の躍進は目覚ましかった。彼はその数を急速に伸ばし、最早自分と自分の境界が生命体一つ一つに回帰している。隣の同士が自分自身であった自覚が薄まり、それを他者だと思い込むくらいに、彼の自意識は薄く広くこの世界を覆っていった。

 そして、彼は漸く思考の奥深くに眠っていた原型を取り戻しつつあった。非常にゆっくりとではあるが知性をも取り戻しつつある。

 彼は道具を操り、物語を操り、集団を形成した。

 やがて彼はこの世界の生命としては最大規模の数を占めることとなった。

 


※     ※     ※     ※     ※



 「つまり、人類の祖先である有胎盤類の進化の過程で、その進化的跳躍が見られたということですね、神山教授」

 「その理解で間違ってないでしょう。我々はこれまで、人類の進化はなだらかな変化の連続だと信じてきました。しかし、琥珀に閉じ込められた複数個体のネズミ目の体毛からは、どう考えても相同性が有り得ない塩基配列のパターンが見つかっています。同じ時代のこれ程近くに存在していたはずの同種が遺伝子的に別の生命体、と言うことはまず考えられません。明らかに進化と言うには飛躍的すぎるのです」

 これ程力説しても、相手はオカルト系の企画が有名な雑誌記者だ。彼のおべっかに乗せられて興じていたお喋りも、段々やる気が無くなってきた。

 「いやぁ、今日は貴重なお話、ありがとうございました。記事にしたら一冊送りますので、是非読んでやってください!」

 元気な奴だ。まあ、誰もまともに取り合ってくれない私の研究成果を世に広めるには、こんな地道な努力が必要なのかもしれない。彼も悪い人間では無さそうだし、記事の人気が出れば連載なんかも取れるかもしれない。

 そんな妄想に憑りつかれていると、窓の外で大学キャンパスを横切り、走ってこちらの棟に向かってくる人間が見えた。私の研究室まで到着するまで、ものの数十秒という驚きのタイムを叩きだした研究生の1人、菊地くんは息を切らしながら訴えてくる。

 「教授、やっぱり僕は神の存在を諦められません! 今からでも研究室、いや専門を変えてもよろしいですか?」

 彼を邪険には扱えない。それはかつての自分自身を否定するのと同じだ。それはできない。私がここまで頑張ってこれた原動力は正に、その姿勢にあったのだから。

 「うーん、それについては止めはしないけど、でもお勧めしないかなあ」

 「何でですか。結局教授は進化論からしかものを見ていません! 僕はもっと別の角度から、人類の起源を立証できると思うんです!」

 「いいかい、今メジャーな論説というのは、少なくとも君が思っている以上に確固たる理屈で固められているんだ。それを突き崩そうと言うのであれば、君もこの論説をしっかり理解しなきゃいけない。わかるね?」

 先程より冷静さを取り戻した彼だが、きちんと答えが出せないらしい。すこし間を置いてから、もう一度考える、と言いその場を去ってしまった。

 彼の言い分は痛いほどわかる。だが、辛い現実から逃げて欲しくないのだ。

 私は彼に期待しているのかもしれない。彼なら、私に出来なかった理論組を立てることが出来るかもしれない。彼が出来なくとも彼の弟子が、そのまた弟子が。

 恐らく私にはその夢を達成することが出来ないだろう。学生を取る身分に慣れるまでは焦燥感に駆られ、何が何でも夢を叶えるという意気込みであった。

 けれども、今は違う。この意志は続いてゆくのだ。私が成さずとも、後を継ぐものは必ず現れる。そして、いずれ解明されるのだ。やっと生命の連続性、その真の意味に気づくことが出来た気がする。



 ※     ※     ※     ※     ※



 彼は自らの作った、存在している11の空間指向性を4つに限定した箱庭を眺めていた。

 指向性の11全てが存在する空間から見た箱庭は、目まぐるしくその姿を変えていった。彼が見たいのは、やはりデッカードの行く末だ。

 デッカードが一つの生命として放り出され、群としての侵略を始めてからかなりの年月が経ったであろう。アリの巣観察キットを眺める少年の様に、デッカードが活動している様子を見ているだけで彼は満足だった。

 「時間よ、坊ちゃん。戻っておいで」

 彼の表情が落胆に転じる。昨日のほうがよっぽど長く遊んでいられたことが不服だったようだ。

 「わかった。」

 彼はそう言うと、箱庭に入れたばかりの頃のデッカードを取り出す。

 「ごめんね、今日はここまでなんだ」

 ぐったりとしたデッカードについているボタンを押す。彼は動かなくなった人形を抱え、再び中に戻っていった。



※     ※     ※     ※     ※



 神山教授、と後ろから呼び止められた時、私の世界が急変した。

 突如、私の意識が全ての物理法則を無視したかのような、乱気流に攫われる。肉体から解き放たれ、螺旋状にどこまでも落ちていく精神。様々な色の幾何学体がいくつも飛び交っており、背景色がぼんやりと白、灰色、黒、緑、赤、青の順に移り変わっていく。

 やがてそれは収束地点へと繋がっていることを理解する。今声をかけてきた雑誌記者も、助手となった菊地くんも、私が研究対象としていたかつてのネズミすら、あそこへ終着するのだと気付いた。

 今までの全て、無尽蔵の分岐を経た私が回帰する場所。私の回答はここにあったのだ。まったく異なる経験を経た無数の私と融合し、次第に神山徹としての意識が遠のいてゆく。

 だが、これもこれで悪くない。私は意図せず解に辿り着いたのかもしれない。あまりにも多くの意識が融解し、何もかもが朧げで整理のつかない乱雑な意識が心地よい。この経験・思考全てが私の範疇となれば、何もかもが思い通りになる、そんな万能感に酔いしれていた。

 そんな中、私の体を抱えている者。「彼」が私の首元に手をかける。「彼」が何をしようとしているのか、私は覚えていた。

 待ってくれ、もうちょっとで成就するんだ。それを押してしまっては、また組み込まれただけの「デッカード」に戻ってしまう。やめてくれ!

 騒ぎ立てる意識はこの体を操るに至らず、「彼」が首筋のボタンを押すと私の意識は糸が切れたように闇へと消えた。

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