第二話 味のないハンバーグ
次の日、案の定学校はざわついていた。
「バットマンだって」「こわ」「一人の子、まだ意識不明なんでしょ?」「皆森虐めてた子達」「二人組だったらしいよ」「男が、凄い大きい奴だったんだって。二メートルぐらいの」「それは有り得んだろ」「レイプされちゃったらしいね」「人間の本質は何か?って聞いたんだとよ」「やだー」
噂に尾ひれが付いたものが、意気揚々と生徒の間を泳いでいる。
「よっす」
と突然肩を叩かれた。振り向くと、友人の黒子が居た。
「聞いた?」
黒子が馬鹿に真剣な顔をする。
「バットマンだろ」
「やばくね?バットで全身殴られて、最後にはレイプ。鬼畜のする事だよな」
強姦?と僕は内心首を傾げた。そして同時に、同級生達を襲った近くにホームレスが住んでいる公園がある事を思い出した。
「犯人まだ捕まってねーの?」
「まだ。なんか二人組だったんだって。すげぇ大きい男がバットマンで、なんか着ぐるみ来てたらしい。ガチャピンか何かのお面付けて。あと女。女の方はさ、セーラー服着てて、すげぇブスだったらしい」
すげぇブスとは、中々の褒め言葉だ。そう思っていると、不意に黒子が声を低くして囁いた。
「それで、実は、皆森が犯人じゃねぇかって」
「そうなの?」
黒子が眉を顰めて、ちらちらと皆森を盗み見た。
「だって、皆森を虐めてた奴がリンチされたんだぜ。しかも皆森も背ェ大きいじゃん。あと皆森ってなんかやべーし」
「うーん……皆森ならやりかねないよな」
「やっぱお前もそう思う?」
「そりゃそうじゃん」
「……まぁでも正直、ただの噂だけどな。ってか二人組だし。それに皆森、女だもん。レイプなんて出来ねーもんな」
「どうなんだろ。でもさ、セーラー服着てた方が男だったら出来るんじゃね」
黒子がはっと目を見開く。
「ほんとだな……でも皆森ってそんな事出来る男友達なんかいたか?」
「居るんじゃねぇの、知らん」
「何で知らねぇんだよ。お前皆森と結構仲良いじゃん」
「やだよ。別に仲良くないし」
「仲良いじゃん。お前ら付き合ってんだろ」
「付き合ってないよ」
「でもよく一緒に帰ってんじゃん」
「そうだけど、別にそう言う意味で好きじゃないし。ペット見たいな感じ」
黒子が驚いた表情で、僕を見つめた。
「お前、なんか変わったよな」
僕が口を開けかけた瞬間、腑抜けたチャイムが教室に鳴り響いた。
僕と皆森は天文学部の部室でポテチを食いながら、窓を全開にして、暑苦しい雄叫びを上げる陸上部を上から見下ろした。天文学部の部員は実質殆どが幽霊部員で、部員全員が集まる事は殆どない。だから僕らはよくここで時間を潰した。
「皆森が犯人だって疑われてんじゃん」
と僕が言うと、皆森が首を傾げた。
「完璧だった筈なのになぁ。でも容疑者を見つけるには被害者の身元付近から探せって言うもんね。知り合いとかはやっちゃ駄目だなぁ。次は気を付けなきゃね」
皆森は鞄から手帳を取り出した。僕の筆箱から勝手にシャーペンを取って行く。
「睦国は人間の本質って何だと思う?」
「それって、答えられなきゃバットで殴られる?」
「殴らないけど、怒るよ」
僕は少しだけ考えた。
「怒り」
皆森が不思議そうな顔をする。
「怒り?何で?」
「なんとなく」
皆森は首を傾けながら、ふぅんと鼻を鳴らした。僕は皆森の手帳を覗き込んだ。灰色の横棒が幾つも並ぶその一つに、『疑い』、『嫉妬』、そして『怒り』と書かれていた。
「人間の本質?」
と聞くと、皆森は頷いた。
「人間の本質は何か皆から聞いていくの。で、ここにメモする。良いアイディアでしょ」
「そんなんやって意味あるの?」
「あるよ。少なくとも、人間が何なのか、少しだけ知る手掛かりになる」
下校を告げるチャイムが鳴り響く。僕達は部室の鍵を閉め、それを先生に届けてから、何時ものように一緒に学校を出た。
皆森と歩いている時、ふと、黒子と今朝した会話を思い出した。確かに傍目から見れば、僕達は付き合っている風に見えるのかもしれない。僕は消えゆく太陽の光を全身に浴び、地面を見ている皆森を横目で見た。
僕は皆森の事が好きなんだろうか。好きだ。だけど恋愛感情では無い。ねぇ、と肩を叩くと、皆森は顔を上げて僕を見た。
「皆森は僕のこと好き?」
と皆森に尋ねる。皆森は「うん」と、上を見ながら答えた。道の向こうの境界線から覗く夕日の所為で、皆森の顔は昨日の夜よりも真っ赤に染まっていた。
そして十字路の近くで、僕と皆森はいつもの様に別れた。
僕の家に行くまでの間、僕は暫く皆森の事を考えていた。
皆森も、僕も、互いの事を好きだけど、それは恋愛感情ではない。
僕達はやっぱり、同級生の頭をバットでぶっ潰したりしたけれど、普通のただの人間だった。暴力や死やセックスやドラックに強烈な憧れを抱きながらも、その傍らで純粋な物を切望していた。僕にとって皆森は自分を純粋な所へ置いて置く一つの方法であったし、また皆森にとっての僕も同じような存在だった。
つまり偉そうな言葉を並べた上で簡潔に説明すると、僕にとって皆森は外部の汚れから守るべき存在だった。自分よりも価値のある、純真無垢で唯一の存在。それが僕にとって、皆森だった。きっと、皆森だった。そして……。
強烈な喉の渇きに気づき、鞄の中から飲みかけの烏龍茶を取り出す。烏龍茶を傾けた時、微かに幼い誰かの笑い声が聞こえた気がした。
扉を開き適当に靴を投げ捨てる。恐らくまた二階で寝ている母さんを起こさない様に、細心の注意を払い埃だらけの廊下を踏み歩きリビングへ行く。当然のように用意されてない夕食のかわりに、駅前で買ってきた二人分の安弁当をテーブルの上に置いた。辺りに散らかった塵を放置したまま、割り箸を取り出し弁当を開く。薄暗い部屋の中、冷めきった白米と味の濃すぎるハンバーグ、そして自分の唾液が口の中で混ざり合わさっていく音が響いた。
「違います」
そう言って智彦は僕の手を叩いた。呆気にとられた僕の手から牛乳を奪い取る。そしてさっきの場所から五センチほど離れた場所に牛乳を置き直した。
「先程の場所ではありません。ここに牛乳は置くのが通説です。私は以前にも同じ事を言いましたし、そしてしました。きちんとした場所に置いて下さい。私は同じ事を何度もしました」
僕よりも二倍小さい身長で、大人のようにこましゃくれた言い方で僕を睨みつける。
「出た」
と僕は言った。わざと嫌そうに顔を顰める。
「何処に置いたっておんなじだろ」
智彦が眉の皺を深くさせた。
「全く違います」
「めんどくせぇな、おんなじだよ」
僕は牛乳を取り、冷蔵庫の一番上に置いた。智彦が驚いた顔をする。
「違いますッ」
智彦が叫んだ。
「自分で取ってみろよ、おら」
僕は智彦の頭をぐりぐりと抑えた。柔らかい髪が掌の下で潰れる。智彦の目が潤んで行く。
「場所を戻して下さいッ」
僕は智彦の脇に手を入れ、智彦を持ち上げた。牛乳が触れるか触れないかの寸前の所で智彦を揺らす。
「おら、取ってみろよ、んーー?おらおら」
智彦の体が震える。そしてとうとう、ぎゃーーーッと智彦が絶叫した。やべ、と智彦を離しリビングを出る。廊下に出た瞬間、二階から降りてきた母さんと鉢合わせした。
「直樹っ!!また虐めたの!!」
ヒステリックな母さんの声が僕に降りかかる。僕は苦虫を噛み潰したような表情で母さんを見上げた。智彦が泣き叫びながら母さんにしがみつく。
「あんた何回やるの!!お兄ちゃんでしょッ、もっと優しくできないの!?」
「ちがっ、別に何もしてねーって!智が勝手に泣いただけだし!」
「そんな訳ないでしょ!本当にいい加減にしなよッ」
母さんが智彦を抱きかかえた。あやすように智彦を軽く揺らし、頭を撫でる。
「高校生が小学生虐めるなんて、聞いた事ないわ、ねー、智くん」
すんすんと智彦が鼻を鳴らす。そんな智彦の様子に何故かイライラとし、僕は思わず鼻を鳴らした。
「母さんは智に甘すぎなんだよ」
そう言った瞬間、母さんが僕に向かって手を振り上げた。母さんの拳骨が頭にのめりこみ、頭皮に張り巡らされた神経に刺激を与え、それが痛みとなって全身を震わす。僕は思わずしゃがみ込んだ。ズキズキと鈍痛が襲いかかる。あまりの痛みに、目からうっすらと涙が滲み出た。僕の予想外の反応に、やりすぎたと気づいた母さんが、僕の肩に優しく触れた。その手を思いっきり叩く。
「智はいいよな、病気だから仕方ねーもんなッ!」
母さんが息を飲む。あ、と僕は声を漏らした。僕は立ち上がり、自分の部屋まで走り鍵を閉めた。ドアの向こうの母さんの声が聞こえる。僕の心臓が、冷水を被ったように激しく、冷たく鼓動していた。
僕はもう一度味のないハンバーグを飲み込んだ。
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