君は笑う、僕を取り残したままで
瀬戸内海晴夫
第一話 フルスイング
皆森が僕の学校へ転校してきたのは、半年前の事だった。転校の理由は、親の転勤と言う、凡庸な理由。けれどクラスメイトの大半は、皆森と接して一日目で、それが表向きの理由だと言う事に気づいた。そして皆森は三日目にはクラスから孤立し、一週間目には虐められた。虐められていた、と言っても、皆森は気づいて居なかったけど。
皆森明美は、変わっていた。変わっている、と言うよりはおかしかった。個性的だと言う表現で収まる程では無かったのだ。
「私、自分の事、病気だと思うのね。脳の病気、それか心の病気、全ての病気かも、あははは」
皆森が何かの病気だとは思えなかったけど、実際の所そうだったらしい。授業中は聴覚過敏で皆森だけ居なかったり、ごくまれに参加する時もある物の、その時は読書や勝手に自習をしたりしていた。その自由気ままな態度がクラスメイトには反感を買った。しかしその割には成績も良い方で、また親の圧力もあり、教師に注意されることはあまり無かった。
そしてどういう訳か分からないが、そんなおかしな皆森と、僕は何時の間にかつるむようになっていた。
「何故人を殺していけないのか、ってのは誰でも聞く疑問だよね」
屋上の上で寝っ転がっていた時、皆森が突然言った。僕は読みかけの漫画から目を話し、何時ものように演説を始めようとしている皆森の向こうに広がる青空を見た。限りなく透明に近いブルー。微かに辺りにマリファナの匂いが漂っている気がする。
「だけど何故人を食べてはいけないのか、ってのはあんまり効かない疑問だよね」
僕は青空では無く、今度こそ皆森を見た。
「食ったことあんの」
そう僕が聞くと、皆森は目を大きくして頷いた。
「何処で」
皆森は黙って僕の前に両手を突き出した。皆森は爪の欠けた人さし指を、もう片方の人さし指で指差す。
「爪を食べたの?」
僕がそう尋ねると、皆森が頷いた。
「ふざけんなよ、そんなん食べた内に入んねぇよ」
皆森が眉を顰め、目を吊り上げ、鼻の上に皺を作った。
「食人は人を食べる事でしょ。爪も肉体の内に入る」
皆森は目を薄めて僕を微かに睨むと、拗ねた様に横を見た。そしてまた、直ぐに口を開く。
「本当は皆、人間の奥底に触れたいのかも」
僕は顔を顰めた。
「何言ってんだよ」
「だから、食人って、簡潔に言えば人間のすっごく本能的な部分でしょ。最近、人を食べる漫画とか小説と漫画か流行ってる。それに限らず、昔から人間は小説とかから、何かを学びたがってるよね。純文学がそれの筆頭じゃない?」
「純文学って何」
「例えばさ、車でびゅーーん、高速道路を突っ走る。高速道路を突っ走って、追手が来たり、魔法使いが現れたりするのを表現するのが、大衆文学。高速道路を突っ走って、大したことは起きないけど、主人公の感情を事細やかに表現するのが、純文学」
「ふぅん」
僕は間の抜けた音を鼻から漏らした。
「だからさ、ねぇーーっ、聞いてる?」
「聞いてるって」
「つまり、人間は何にせよ、人間の本質を知りたいの。つまり心理、そして真理。吐き気のする様な暴力性にだって馬糞に集る蠅みたいに人気が出るのは、人間は人間を知りたいからじゃないかな。だから意味の無い娯楽に意味を付属させて売ったりするの。そっちの方が大衆は求めている」
こういう意味不明な理論を語る時、皆森は普段からは考えられない程のスピードと滑舌の良さを発揮する。いつもはふわふわとした、「だ」が「ら」に聞こえるような舐め切った滑舌なのに。
「強い暴力は本質なのよ。だから皆は私を虐めるのかも」
驚き過ぎて、僕は呼んでいた漫画をつい顔の上に落としてしまった。
「虐められてんの気づいてたんだ」
「えっ、………冗談のつもりで言ったんだけど……」
気まずい沈黙が皆森との間に流れた。僕は漫画を再び開いた。
「それだーーーーッ!!」
と皆森が突然絶叫した。僕の体が反射神経でびくつく。
「皆森さぁ、まじで突然叫ぶ癖止めろよな。毎回びびんだよ」
そう言ってみる物の、案の定皆森は僕の声何か聞こえてやいない。
「それだ!虐め!仕返し!大手柄だ!睦国はみたいに天才じゃないけど、閃きの導力体には間違いないね。シャーロック・ホームズ読んだ事あるっしょ?」
「無いよ」
「今のはちょっとした引用だよ。あたしは引用が好きなんだ、ご存知の通り」
皆森がにぃっと僕の目の前に歯を突き出した。そして立ち上がり、屋上のフェンスに登る。フェンスの真ん中辺りまで登った後、皆森は人さし指を軽々と上げ、腕周りの空気を上に持ち上げた。
「私は決心した!一種の啓示を得たのだ!私は苛めっ子に仕返しをするぞ!」
はぁ、と僕は頷くしか他ならなかった。
「人間の本質を知るには、手っ取り早く暴力が手頃な手段」
皆森は歌うように言うと、放課後ホームセンターで買ってきた五寸釘を僕のバットに打ち込んだ。昔は常に手放さなかった思い出の木のバット。だけど今ではそのバットは、かつての面影を何処かへ置いて来たかのように変貌を遂げている。まるで僕を見ている様だ、とひっそりと心の底で思う。
「その為に私を虐めていた子をリンチしちゃろう。で、どうして私を虐めたのかを聞きだす。少しは人間の本質が分かるかもしれない」
意味不明の事を言う皆森は、とどのつまり、思春期のティーンがいつも求めている様な自己のアイデンティティの確保を求めていただけに過ぎない。人間の本質と言う奴を知る事によって、自分の本質と仲間を探ろうとしていたのだろう。かんかんかん、乾いた木の表面を、鋭い釘の先端が凹ませ、抉り、入って行く。
「人間ホームラン期待しててね」
ホームセンターの隣のドンキで買って来た、安っぽいスティッチの着ぐるみと、去年の夏祭りに買ったピカチュウのお面を装着した皆森は、口の端でぎざぎざの歯を見せながらにやりと笑った。嫌に様になっていやがる。
僕は着ぐるみと共に買った、アニメに出てくる様な阿保みたいなセーラー服を着て、脛毛を剃って、ヴィッグを被って化粧をした状態で皆森のDIYを見守った。
このハロウィン並みのコスプレは、皆森曰く、警察避けの物らしい。確かに皆森は背がクラスで一番高いから、だぼだぼの着ぐるみを着て髪を隠せば、少なからず男に見える。そして僕はクラスで三番目に身長が低いから、女装をするのには適している。だから警察沙汰になっても捕まらずに済む、らしい。馬鹿みたいな話だけど。
面白い事に、僕の顔は決して女顔では無いのだが、皆森の手にかかれば完全な『女』の顔に作り替えられてしまった。鏡の向こうの、街中でよく見かけそうな顔を見ながら、こんな感じの女性は元は僕の様な顔なのだと考えると、流石に鳥肌が立つのは抑えきれなかった。
そして二時間後、僕達の目の前には皆森の虐めっ子が血を垂らしながら頭を地面に擦り付けていた。虐めっ子の大名行列の農民の様な列の前に、髪の端を淡いピンクで染めた同級生が、地面で赤い花火を散らせていた。
『ホームラン行ったか?』
皆森はいつの間に買ったボイススチャレンジャーで、声を昼ドラの強迫犯みたいに変化させて、僕に話しかけた。変声機械を持っていない僕は、取りあえず親指を皆森に見せた。
『イエイ、もう一発やりて―気分』
そう言った瞬間、しょおぉぉぉと水の流れる音が何処からかして、それと同時に虐めっ子一人のスカートの股の色が濃くなっていく。
「ふぅう……うぐっ」
耐え切れなくなったのか、嗚咽が失禁した子から漏れる。皆森は釘バットを持ち上げ、その子の顔に向かってフルスイングした。叫び声を上げる間もなく顔面の肉がぶじゅんと血を吹き出し、ぱきぽきと骨が折れる。柔らかい歯肉を飛び出した歯が地面に飛び散らかる。ぎゃはーーっ、と皆森は楽しそうに笑った。ぴくぴくと痙攣し、血反吐を吐くそれを放置して、皆森は血に濡れたバットを上に上げた。
『こんにちは。バットマンです。君たちがご存知の通り、俺は悪い奴だし、バットをフルスイングする事が好きだ。宜しくゥーーッ』
がたがたと同級生達は地面に顔を向けている。
『隣に居るのは、俺の恋人、ハニー。可愛いだろぉ、いえー』
とんとんと、皆森は彼女らの頭をバットで軽く叩いた。
『君達には用件があるんだ。いえー、つまり聞きたい事だ。いえー、君たちって、人間の本質を知っている?』
同級生達は何も返さない。
『………ファイナルアンサー?』
そう言った瞬間、皆森は再びバットをスイングさせた。今度は右端の子の花火が地面に咲く。
『君たちって、人間の本質を知ってる?いえー』
残った三人ががくがくとヘドバンのように頭を振った。
『おお~~』
と皆森が嬉しそうな声を上げる。
『じゃあ右から言ってみよー』
がたがたと震えながら同級生が口を開く。
「え、あ、ぅ……」
皆森が苛々と貧乏ゆすりをし始める。そしてバットをゆっくりと上げた。
「疑うッ!疑う事っ」
皆森のバットが止まる。皆森は成る程、と言うように大きく頷いた。
『次』
「ひひぃ、ううたがう…?」
もう一度フルスイング。
『同じ答えは認めません。次』
と言うと、最後の一人が絞り出すようにして叫んだ。
「しッ、しし嫉妬…ですっ…」
皆森はもう一度大きく頷いた。
『興味深い答えだ。……ところでさ、君達は虐めっ子と言う話を風の噂で聞いたよ。これは真実?』
二人がおずおずと頷く。
『どうしてそいつを虐めたんだ?』
「……かっ……よっちゃんの、彼氏が、皆森を好きになって……」
『それだけで皆森と言う奴を虐めたのか?どうして?』
「………皆森は頭おかしかったし、ききききもかったし……よッちゃんの彼氏はイケメンで、だから、しし…嫉妬としてた…それに、中本君も皆森が、気になってたみたいだったし……」
知らなかったけど、皆森は案外モテるらしい。皆森のこのどきつい性格と、酷い外斜視が無かったら、多分クラスの人気者にでもなってるんだろうなと、ぼんやりと思う。
ふぅん、と皆森は鼻を鳴らした。
『まぁいいや。終わり』
皆森は二人に背を向けた。二人が茫然とした表情で僕らを見つめる。
『終わり。終わりだ。帰って良し』
二人は何をしたらいいのか分からないのか、それとも動いたらフルスイングされると思っているのか、少しも動かない。
『終わりだって。帰っていいよ』
「え、ほ、ほほ…んとうですか」
『本当だよ。早く帰りなよ』
二人はお互いに顔を見合わせ、ゆっくりと後ろに後ずさり、立ち上がろうとした。
『あ、ねぇ、まさかだと思うけど』
二人の動きがピタリと止まる。皆森が振り向いた。
『君たち、俺らの事、警察には知らせないよねえ』
二人は顔を真っ青にしながら、一生懸命に顔を縦に振った。
『嘘つき』
皆森は笑うと、バットを振り上げた。
「どうすんの、これ」
と僕は気絶した少女達の体を指した。
『放っとけば良いんじゃない。誰かが発見して、どうせピーポーピーポ呼ぶよ』
皆森がそう言いながら、バットに着いた誰かの血を指で弄って、その指を舐めた。
「美味しい?」
と僕は聞いた。
『吸血行為によって人間は特殊な能力を得ることが出来る事例を知ってる?ある有名な女の連続殺人鬼によると、彼女が吸血をした後、暫くの間人間の体の全ての血管が透けて見えていたんだって』
「……知らないよ。ってか、その声止めてよ。気持ち悪い」
僕がそう言うと、皆森は楽しそうに笑ってピカチュウのお面を取った。
「楽しかったね」
皆森はいつもの声でそう言った。
「彼女らは人間の本質のまま生きてたんだね。彼女らは中本があたしを好きではないかと疑った。そしてイケメンに好かれたあたしに嫉妬した」
「そうだな。こいつらは自分に正直に生きてるんだよ、多分」
僕は誰かのを足で踏み、小刻みに揺らした。
「こいつら死んだのかな」
意識を失った体が足の動きと一緒にぐらぐらと揺れる。
「死ぬ子も中には居るのかも」
皆森は笑った。彼女の底抜けの笑顔に、僕も少しだけ微笑み返した。
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