1-21『彼方に浮かぶは神の眼か 2/2』

「ゲフッゲフッ……ふぅ、ふぅ……、なん、とか、間に合いゲフッゲフッゴパァ!」


「待て、落ち着け、話す前に一旦呼吸を整えろ!」


「シェイド、こ奴は?」


「あぁコイツは、えーっと……」


 二人を呼び止めた男は、息を切らせながらもシェイド達の元へ辿り着く。

 どうやら相当急いでこの場に赴いたようで、今は背中を丸めるように両手を膝に付け、会話はおろか呼吸すらも怪しい程に咳き込んでいた。

 その姿を見て心配に思ったのだろう。キツネは老婆心からか男に近付くと背中を擦り、続けてシェイドに彼が何者であるのかを尋ねる。

 けれど意外なことに、シェイドも中々心当たりが思い浮かばなかったらしい。故に少年は、ふと脳裏に浮かんだ人物の名を当てずっぽう気味に口にした。


「お前、もしかしてハルザか?」


「フゥ、フゥ……。は、はい。お久しぶりでございます、シェイド隊長」


「イケトにも言ったが、隊長は止めろって。というか――」


 どうやらシェイドの直感は見事的中していたらしく、またハルザと呼ばれた男は息を整えながらゆっくりと顔を上げると、ピンと背筋を伸ばして敬礼のポーズをとる。

 そんな姿に思わず苦笑するシェイドだったのだが、


「随分と変わったな、お前……」


 直後には、記憶とかけ離れた男の姿に口端を引き攣らせていた。


 彼がこのような言葉を放った理由は別段、ハルザと呼ばれた男の容姿や身なりがあまりにも奇天烈な為気付かなかった、という訳ではない。

 身に着けているのも、格式の高さが際立つ白いスーツとその胸元に掲げる勲章のような三つの飾り。そして上から羽織る魔法陣の紋様が刺繍されたスカイブルーの外套という、城内では然程珍しくも無い格好であった。その中で特徴として挙げられる点があるとすれば、魔法陣の紋様が銀色の刺繍で拵えられていることぐらいだろうか。

 また容姿も、前後共に短く切り揃えられた金髪に混じる白髪と顔の皺が少々目立つくらいで、その見目は奇異な点が一切見当たらない初老の美丈夫と言えるだろう。

 けれど続くシェイドの言葉は、何を以って彼に変わったと言い放ったのかを如実に表した。


「ホントに老けたなぁ」


「如何せん、私にこの役職は余りに荷が勝ち過ぎますれば、こうもなりましょう……」


 ハルザはシェイドの言葉を受けて憂うように呟くと、心底辛そうな表情と共に両手で顔を覆う。しかし指の隙間からチラリチラリと少年を見るその眼差しは、何かを切望、或いは期待するような淡い輝きに満ちていた。

 一方それに気付いているのか、そうでもないのか。シェイドはそんな男にハッキリと言い放つ。


「悪いが、改めて就職する気は微塵も無ェよ」


「ま、まだ何も言っていないというのに、そんな殺生な……」


「言わなくたって分かるわ、んなもん」


 途端男は、哀愁を撒き散らしながら悲しそうに眉を八の字に歪めた。

 けれどシェイドは鼻を鳴らし、申し訳無さを微塵も感じさせない表情で首を横に振る。

 その時、


「――盛り上っているところ悪いんじゃがのぉ、シェイド。この男は何者なんじゃ?」


 そんな男二人のやり取りに置いてけぼりを食らっていたキツネが、痺れを切らしたように声を挙げた。


「おっと、これはこれは。大変失礼致しました、キツネ様」


 すると男は瞬時に、草臥れた老人から麗しい紳士ジェントルマンへと態度を変えるや否や、キツネへ向き直り右手を左胸にあて恭しく頭を垂れた。

 その切り替えの早さたるや、まるでガンマンのリロードが如く。もはや細胞レベルにまで染み付いた反射的動作の域と呼べるのではなかろうか。十分の一秒の早業である。


「……日頃の気苦労が窺える」


「そう思われるのでしたら、是非ご復職を考えては頂けませんか」


「それはヤダ」


 男の懇願をバッサリと切り捨て、シェイドはキツネへ向き直る。


「こいつはハルザ・バーニヤ。頭が切れる上に教え上手、加えて戦闘でも腕の立つ、まさに一群の指導者となる為に生まれてきたようなすごい男だ」


「……そのすごい男が今、ひどい顔色を晒しておるんじゃが。にしても――」


 シェイドの紹介を受けて渋い顔を浮べる男――ハルザを気の毒に思ったのだろう。キツネはハルザの傍に立つと慰めるように背中を叩き、ジットリとした視線でシェイドを見る。

 しかし次の瞬間には、頭に疑問符を浮かべて首を傾げていた。


「イケト然りハルザこやつ然り、誰も彼も二言目にはお主のことを隊長などと、一体どういうことなんじゃ?」


「リーガについて説明した時に少し話したろ。元・王都魔導部隊隊長だったんだよ、俺は」


「……え゛、あれマジ話じゃったの?」


 途端、心底驚いたようにキツネは目を丸くする。

 あの時は空気の読めない冗談だと思って聞き流していた彼の言葉が、ここにきて真実ではないかという可能性が浮上したからだ。

 一方そんなキツネとは反対に、シェイドは少女の言葉にガックリと肩を落とす。


「今の今まで嘘だと思われていた俺のほうが正直驚いてるよ。一体どんな気持ちでイケトが話しているのを聞いてたんだ、途中で『あれ?』とか思わなかったか?」


「そういう異世界ジョークかと、風呂に浮べるアヒルを隊長と呼ぶみたいな」


「ねーよ。どこの世界の話だ」


「鉄腕DASH」


「なんだそりゃ」


 キツネが口にしたよく分からない単語に肩を竦めるシェイドは、頭を掻きながら溜息を一つ零してハルザと向かい合う。

 

「それで、用事はなんだ? あんなに急いでいたんだ、『久々に会いたかった』とか『職場復帰お願いします』とか、そういう話をしに来た訳でもないんだろ?」


 その口振りには言外に、何か不測の事態トラブルでもあったのかと心配するようなニュアンスが含まれていた。そんなシェイドの脳裏に過ぎったのは、軍が管理している筈の電雷灯が、あろうことか賊の手に流出していたという本来ならばあってはならない事実。

 もしやそのことで大変な問題が起きているのではないかと、彼は密かに危惧していたのだ。

 けれど次の瞬間――。


「後者は今この瞬間も切望しておりますが、違います。実は王妃シャステル様からシェイド殿にお呼び出しが――」


限外躯体オーバーロード起動。逃げるぞキツネ、しっかり掴まれ」


「えっ、ちょ、何をおおおおおおおおおお!?!?!?!?」


 ハルザがまだ話している途中であるにも関わらず、シェイドはある単語を耳にした途端目を見開き、呟きと共に全身に緑色の血管のような跡を薄く浮かび上がらせ突然駆け出した。

 そして、そんな少年の行動にポカンとした表情を浮べるキツネを素早く肩に担ぐように持ち上げると、事態に気付き悲鳴を挙げる少女の声を無視して、そのまま王城の窓から外へと飛び出した。


 さて、唐突ではあるが、ここで彼等が居る王城について少し説明の時間を頂こう。

 建物の名は、アウニグラル城。ディーア大陸アウニグラル王国領の首都グローリアに威風堂々と佇む、王家の名を冠した古城だ。その歴史は古く、記録によればエリクスの人類が最初に築き上げた王国、その象徴であるという。

 当初はロードを奉る神殿として建てられたものが、旧代の終焉という歴史の転換期を経て以降、人々の中から選ばれた君主が住まう所となっていた。

 やがて月日が経ち、見栄を追求した歴代の王族達による改修に継ぐ改修が進められ、今ではその高さは天辺から地上までおよそ百メートル程と、キツネがかつて居た世界で言うところのビッグ・ベンに相当するものとなっていた。


 そして現在、彼等が絶賛落下中の高さでもある。


「落ちる落ちる落ちる落ちる落ちるう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛!!!!」


 上へと流れる涙を眺めながら激しい空気抵抗を後頭部に浴びるキツネは、指の間をすり抜ける風にすら縋るように腕を彷徨わせ声帯が千切れんばかりの絶叫を挙げていた。けれど振るえど振るえど虚しく空を切るばかりの手は、今がどうしようもない状況であるという現実を少女に叩き付ける。

 一方、そんな少女を巻き添えに同じく落下中であるシェイドは、額に汗を浮べながらもあろうことか不敵な笑みを浮べていた。そして地面までの距離を測るように目を細めると、小さく呟く。


風よシルヴェストレ、巻き上がれ」


 すると、


「う゛ぉぇ」


 地面まで残り三メートルという高さにまで迫ったところで、突如シェイドの真下に竜巻のように渦巻く高密度の突風が発生した。

 そしてシェイドは、顔色一つ変えることなくその中へと飛び込んでいく。するとどうだろう、二人は綿飴ように絡みつく風に身体を包まれながら、深い水底へと潜航する潜水艦のように、弱まる勢いに身を任せゆっくりと地に足を付けた。その際、肩に担がれたキツネが小さく嘔吐くような声を漏らした気もするが、恐らく気のせいだろう。

 それからシェイドは肩を上下に揺らして息を整えながらも自身が飛び出した場所を見上げると、呆れた表情で見下ろすハルザの姿を捉える。

 途端、シェイドは血相を変え、キツネを担いだまま再び慌てて駆け出した。


「お、覚えておれよ、シェイド……。あとでぶん殴ってやるからの……」


「……あの呼び出しに応じるくらいなら、そっちのがまだマシだ」


 彼等が向かう先は、城門見張り棟から借りている馬車がある厩舎。

 それから密入国者よろしく人の目を気にしながらどうにかそこまで辿り着いたシェイドは、キツネの恨み節に背筋を凍らせつつ逃げるように王城を跡にするのだった。



※ ※ ※ ※ ※



 ――城門(外壁側)前。


「……なんかあったのか?」


「いや、別に? 全然何も、ていうかなんで?」


「あー……いや、なんでもない。それより出立するってんなら、滞在認可証と馬車、早く返せ」


 左頬や右目瞼を真っ赤に腫らしながらも白々しく振る舞うシェイドと、その後ろで不機嫌そうに腕を組むキツネの姿に、王都衛兵団団長リーガ・アスメントは何かを察したように話題を逸らす。下手に関わったところで厄介に巻き込まれるだけだと、冴え渡る直感が彼にそう囁いたからだ。

 代わりに男は手を出して、滞在認可証――入都の際手渡された蒼いプレートを返還するよう二人に促す。


「わーってる、ほらよ。おいキツネ、お前も」


「……」


 シェイドは差し出された掌の上にプレートを置くと、振り返ってキツネを呼ぶ。そんなシェイドの声にふてぶてしい膨れっ面を浮べてソッポを向くキツネだったが、リーガにまで迷惑を掛けるのは筋が通らないと思い直し、足早に男の傍まで寄ると少年に倣った。

 また男もそんな少女の振る舞いをあえて黙殺しながら、それが彼女等に預けていたものかを確認するようにプレートを裏返すと、手に持つ紙にチェックを入れる。そして改めて二人を見ると、その身を退けて城門を指し示した。

 

「手続き完了だ。忘れ物を思い出しても、もう取りに返れないから気ィつけろよ。――ところで、嬢ちゃんが出歩けてるってことはつまり」


「ああ、そういうこと。因みにこれから向かう先は聖域、神直々のお招きだ。……てか、忘れ物云々の注意は手続き前にしろよお前、不安になんだろ」


 シェイドはそう言いながら城門の先へ視線を移すと、入都した時と比べて随分見通しの良くなった外の景色を捉える。最後尾は城門が見えるかすらも怪しい程に続いていた長蛇の列も、今は綺麗サッパリ片付いていた。

 この様子を見るに、オッベ一行も無事入都を果たしたのだろう。再び絡まれることは無さそうだと安堵するシェイドは、しかし今になってあの小銀貨を受け取っておいても良かったんじゃないかと、一人小さく後悔の念を浮べていた。

 一方、キツネはそんなシェイドの横顔を訝しげに見ながら、少年の尻を引っ叩いて言う。


「そら、聖域へ向かうのであろう? そんなところで足を棒にしている暇があるなら、早ぅ案内せんか鈍間め」


「……なんか、言動に随分とトゲが感じられるような」


「誰の所為じゃと思うておる。置いて行くぞ」


 ツンとソッポを向くキツネは、今も不機嫌な表情のままシェイドを置いて足早に城門を通り抜けて行く。案内しろと言うわりに自分が先を歩いている矛盾に思わずツッコミを入れかけたシェイドは、咄嗟に下唇を噛んで「おいおい、道分かってんのかー?」という言葉を抑えることに成功した。

 もしそれを口にしていたら、今の空気はきっと大変なことになっていただろう。


「悪かったって! ……ったく、っつー訳だ行ってくる。土産は期待すんなよ」


「安心しろ、帰ってくるとすら思っちゃいねぇよ。――っと、そうそう、最後にいいかー?」


 謝罪の声を無視して先を歩いて行くキツネに、シェイドは頭を掻きながら深い溜息を零す。が、直ぐに顔を上げるとリーガにそう言い残し、少女の後を追いかけた。またリーガも、その言葉を受けて早く行けと手で払うように少年を見送る。

 けれどふと、何かを思い出したのか。男は城門を通ろうとするシェイドを大声で呼び止めた。


「んぁっ、なんだよ。いい加減追い掛けてやらないと、アイツいよいよ本格的に不貞腐れそうなんだが」


 見ればキツネは足を止め、固く拳を握りながら空を見上げていた。垂れた尻尾は微塵も動いていない。

 恐らくは、勢いで先を行ったものの何処に向かえばいいのか検討が付かず、しかし再びシェイドの元へ戻るのも癪という、プライドの袋小路に迷い込んだのだろう。そんな状態でこれ以上の放置はより状況を拗らせると予感したシェイドは、手短に済ませるようリーガに求める。

 けれど次に男が発した言葉は、少年の動きを止めるのに充分なものだった。


「いや、ちょっとな。アメリアの嬢ちゃんを見てねぇかって」


「は?」


 目を丸くして空気の抜けるような声を漏らすシェイドに、リーガは気まずそうな表情で顔を伏せる。

 そしてそのまま大きな溜息を一つ零すと顔を上げ、そのような質問をした理由とその顛末を語りだした。


「事情聴取中、嬢ちゃんが外の空気を吸いたいっつうから休憩も兼ねて部屋から出してやったんだが、それから戻って来ねえんだよ。一応護衛として団員を一人付けちゃいたんだが、数秒目を離したら居なくなったとか抜かしやがってな。お陰で今は駐在の団員総出で嬢ちゃんを捜索中だ」


「何やってんだよ……」


 呆れて目を細めるシェイドの言葉に、リーガも「全くだ」と同意の意を込めて頷く。

 けれど少年の反応から、彼が今初めてその事実を知ったのだと察すると、


「まあ見てねぇってんならいい、んなことよりさっさとキツネの嬢ちゃんのトコに行ってやれよ。いつまで待たせる気だ」


「自分から呼び止めておいてあんまりじゃねえかな!?」


 新たに得られる情報もないと判断するや否や、リーガは早くキツネを追い掛けるよう言いヒラヒラと手を払いながら背を向けた。

 流石のシェイドもその態度には思わず驚愕と憤りが織り交じった声を挙げたが、時間が惜しいのか結局それ以上は何も言わず、少女の後を追う方を選んだ。

 尤も、キツネはものの十数歩で到達する場所に立ち竦んでいた為すぐに追いつくことが出来たのだが。

 少年は意を決するように、少女の後ろに立つと言う。


「なあキツネ、俺が悪かった。だからいい加減機嫌を直し――」


「のう、シェイド」


 不貞腐れる子供の顔色を窺うように、シェイドは腰を引き両手を合わせ頭を下げながら少女の反応を待つ。

 彼自身、突然の百メートル紐無しバンジーは流石に申し訳無いと思っていたのだろう。下げた頭を引っ叩かれることも覚悟の上と、固く目を瞑り歯を食いしばった。

 しかしどういう訳か少女はシェイドへ振り向こうとせず、代わりに――。


「アレは、一体なんじゃ?」


「アレって……」


 興味深く瞳を輝かせながら、遥か空を指差した。

 そんなキツネの仕草につられて空を見上げるシェイドは、直後その目を見開きゴクリと唾を飲み込むと、呟くように言う。


「……“逆さ星”、か。珍しいな」


 それは、空のど真ん中をまるごと覆うかのような、淡い光を仄かに放つガスのような靄に包まれた灰色の巨星。少年が“逆さ星”と呼ぶものであった。

 表面に見える靄が絶えず模様を変えて星を覆っている為か、中の様子を観測することは一切出来ない。

 また、その大きさと圧倒的存在感は人によっては恐怖を覚えてもおかしくないほどで、本来なら月のある位置に土星がある状況、を地球から俯瞰した様子をイメージすれば分かりやすいのではなかろうか。

 そんな天体が彼等の真上に何の前触れも無く現れ、二人を、いやエリクスそのものを見下ろすように佇んでいた。


「逆さ星?」


 振り返りシェイドの方を向いて首を傾げるキツネは、そんな存在への説明を求めるように少年の言葉を繰り返す。

 一方シェイドはソレから目を離すことはなく、しかしポツリポツリとキツネの声に応えた。


「ああ。規則性も無く、まるで気紛れのように顕れるその様から、別名『神の眼差し』とも呼ばれる不可思議事象だ。その正体は、全てにおいて謎。星ってのも、便宜上そう呼ばれてるだけってくらいにな。……俺も実物は、今浮かんでるアレを含め片手の指で数え足りる程にしか見た事がないよ」


 そう語るシェイドの声は驚きに上擦りながらも、それでいて打ち震えるような興奮を滲ませてもいた。それ程までに、この光景は珍しく興味深いものということなのだろう。或いは、彼にとって何かしらの特別な意味を持っていたのか。

 吸い寄せられているのではと思えるほどの眼差しを空に向けながら、少年は今一度深く息を呑んだ。


「何じゃそれ、ロマンの塊ではないか! ……しかしアレだけの存在感がありながら、何故気付かなかったワシ。のぅシェイド、アレはどのようにして現れたんじゃ?」


 そんなシェイドの説明に、キツネは瞳を輝かせ興奮しながら再び空を見上げる。しかしすぐに、とある疑問が脳裏を過ぎったのだろう。

 疑問とは即ち、どのようにしてあの星は出現したのか。少なくとも王城で紐無しバンジーに付き合わされた時点では、彼の星の影は微塵も見なかったと少女は記憶していた。

 果たしてアレ程巨大かつ存在感のある物体が、今ほど姿を晒して漸く気付くことなどあるだろうか。否、恐らく輪郭の四分の一が空に浮かび上がっただけでも一騒ぎ起きるに違いない。

 では一体何故、今の今まで気付かなかったのだろうという少女の疑問に、シェイドは首を横に振りながら答えた。


「さあな。ただ一つ言えるとすれば、アレは“そういうもの”ってことだ。瞬きの刹那に現れたかと思えば、少し目を逸らすと綺麗サッパリ影も形も無くなっていて、現れる瞬間も消える瞬間も、誰も見たことが無いんだよ」


「はぇー……」


 理解を諦めた声が、キツネから零れる。けれどそんな反応をしてしまうのも、ある種仕方の無いことだった。

 この世界の人間であり、加えて魔法使いシェイドという識者を以ってしても未知と言われてしまえば、自らが幾ら考えたところで無意味であるという理解に至ったからだ。無知の知である。

 そんなキツネにシェイドは肩を竦めつつ、見上げ続けた所為で痛み始めた首を擦りながら前を向くと、少女の前を歩き始める。


「一応、何か大きな出来事の前触れだとか、新たな歴史が始まる合図だとか、色々言われてはいるよ。御伽噺程度の信憑性だけどな」


「もしかしてじゃが、それにワシが関係していたり?」 


「どうだろうな。――さて、いい加減道草を食うのも飽きてきた。そろそろ本格的に、聖域へ向かうとするか」


 キツネが後に付いてきている事を確認しながら、シェイドは城門から真っ直ぐ前へと進む。向かうは南、神の居る地『聖域』。

 未だ存在感を示し続ける彼方の星の下、神の眼差しを一身に浴びる一行は、王都を背に歩き旅を再会した――。

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お稲荷様と魔法使いのアトリエ 佐藤 景虎 @whimsicott547

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