1-21『彼方に浮かぶは神の眼か 1/2』

「――さて、目的もハッキリした訳だし王城ここに長居する理由も無くなったな。それじゃあ早速、聖域へ向かうとするか!」


「う、うむ、そうじゃな。……いや、少し待つがよい」


 王城一階の隅から続く東廊下を抜けて、シェイドとキツネは入城した時以来となる大広間へと戻ってくる。

 行き帰りも含め、およそ二時間弱ぶりの帰還といったところだろうか。戻ってきた彼らの前に広がる景色に然程大きな変化は無く、今も様々な役職の者達が忙しなく各階の廊下を歩き回っていた。

 そんな光景を見上げるキツネの手を引きながら、シェイドは唐突にやる気に満ちた足取りで城外へ繋がる門に向かう。しかし、どこか焦っているとも取れる少年の姿に違和感を覚えたのか、キツネは急ブレーキを踏むように足を止めた。


「うおっ!? とっとと。……なんだよキツネ、城内探索でもしたくなったのか? それなら聖域から戻った後にでも」


 直後、手荷物が何かに引っ掛かった時のような感覚に、シェイドは思わずつんのめる。

 振り返ると、何か考え事をするように指で顎を摘むキツネが、俯きながら眉間に皺を寄せていた。

 続けて少女は、大事なことを思い出したようにハッとした表情を浮べると、怪訝な顔で急かすシェイドの言葉を遮りささやかな疑問を口にする。


「お主、此処を去る前にエステルと会わんでよいのか?」


「……」


 途端、その言葉(特にエステルという単語)にシェイドの肩がビクリと跳ねた。と同時に、無言でゆっくりと前へ向き直り何も聞こえていないかのように再び歩き出そうとする。

 だが、


「いいのかのぅ。このまま何も言わずに行ったとして、次に会った時はどんな歓迎を受けるんじゃろうなぁ」


「……」


 ポツリとそう呟きながら、キツネはシェイドの隣に並ぶ。その足取りは先程ブレーキを踏んだ時とは違いやけに軽やかで、ともすれば水に浮かぶ木の葉のように行き先を少年に委ねているようにも感じられた。

 けれどそんな少女と打って変わり、今度はシェイドの足が重く止まる。やがて振り返る少年の顔にはハッキリと、『たすけて』という涙ながらの感情が浮かび上がっていた。

 このまま聖域へ向かうにしても、今一度きちんとエステルに別れを告げに行くにしても、どちらを選んでも遅かれ早かれ先は地獄であると気付いてしまったのだ。


「そ、そんな顔をせんでも良かろう。じゃが下らぬ遺恨を残さぬ為にも、去る前にせめてもう一度会っておくべきではないのか? 言っておくが、これは主の為でもあるんじゃからな」


「……ああ、分かってる。分かっちゃいるんだよ、一応は」


 十年前と違い先程の別れには、再会の契りや別れの挨拶といった約束を交わした事実はない。故に今回は何か言われたとしても、理由を付けて幾らでも己を正当化することも出来ただろう。

 しかしだからといって『じゃあいいや』と軽く構えられる程、前科持ちは楽観的な気持ちにもなれなかった。

 何より彼自身、心のどこかでこのまま何も言わずに去ることを後ろめたく思っていたのだろう。


 そんなこともあり――。




「来ちゃった」


「……ッ」


「まあ、わざわざ別れの挨拶にいらして下さるなんて、思ってもおりませんでした」


 変わらぬノリでペロリと舌を出すキツネと、脂汗を滝のように流し辛そうな表情で突然の胃痛を堪えるシェイドの二人は、王城最上階の西側にあるエステルの部屋にお邪魔していた。

 それから話し合いの機会を得た二人は、彼女の部屋で三十分ほど“たのしい恋バナのじかん”を過ごしたのだが、その内容はまた別の話。



※ ※ ※ ※ ※



「ごきげんよう、キツネ。またいつでもいらして下さいな」


「うむ。またの、エステル!」


 部屋の前に立つキツネとエステルは、互いの両掌を合わせながら笑顔で再会の約束を交わす。

 そんな二人のやり取りだけを切り抜けば、それはなんと微笑ましく華やかな光景に見えることだろう。見目麗しい少女達の和気藹々とした姿なぞ、その筋を好む者達からすれば垂涎必至だ。

 ただ一箇所、キツネの背後で老け込んだようにゲッソリと痩せ細った少年の姿を、視界に映さなければの話ではあるが。


「アア、ソチラモオゲンキデ。デハ」


 搾り出すように発せられたその一言が、彼がエステルの前で唯一口にすることの出来た言葉だったのだろう。元気よく手を振り返すキツネとは違い棒読み口調で返事をするシェイドは、エステルに背を向けるとそそくさと歩き出そうとする。

 一刻も早くこの場から立ち去りたいという思いが語らずとも滲み出ているのは、誰の目から見ても明らかだ。

 だがその時、


「待ちなさいシェイド。貴方にはまだ、言っておかなくてはならないことがあります」


「ぅぇ……」


 キツネと話していた時とは違う力強い声色で、エステルはシェイドを呼び止めた。

 途端、身震いと共に足を止めた少年は、喉にモノを詰らせたような声を漏らして振り返る。


「な、なんでございましょうか」


「……」


 怯えのあまり普段とは違う口調になったシェイドの問いに、エステルは答えない。

 ただ真剣な眼差しで少年を真正面に据えながら、コツリコツリと廊下に響く足音と共に静かにその距離を縮めていく。

 心なしか彼女の目元には影が差し、眉間には薄く皺が寄っているようにも見えた。


「あ、あの、ご用件を仰って頂けると、俺も心の準備が出来るといいますか、その、罰するにしても手心を加えて頂きたく思う所存なのですが」


「少し、静かにしていて下さい」


「あ、はい」


 顔色を真っ青に染めて慌てふためきながら、シェイドはエステルに温情を懇願する。その様を傍から眺めるキツネは、まるで借金取りに返済期限の延長を頼み込む債務者のようだと密かに思った。

 けれどエステルは一切取り合おうとはせずシェイドを黙らせると、彼のすぐ目の前で立ち止まる。

 そして大きな深呼吸を一つして、しっかりと眼を合わせて言った。


「言いたいことは、それこそ山のようにあります。あの日どうして、別れの言葉も無く行ってしまったのか、誤魔化す為とはいえ何故あのような手段を用いたのか。……今にして思えば、幼い少女相手にあの行いは気持ち悪――不適切だと存じますが」


「うぐっ……」


 わざわざ言い直している辺り、彼女なりに本音を何重にもオブラートに包んだつもりだったのだろう。表情や仕草に表れていないだけで、その声色はグッと何かを堪えるように重く低い。

 またシェイドも当時の出来事やらかしを掘り返されたことに呻き声を漏らし、気まずさと心苦しさから助けを求めるようにキツネへ顔を向けた。

 けれど少女は、それを許さない。


「目を逸らさないで下さいまし」


「!?」


「きゃっ、アダルティック!」


 エステルは咄嗟にシェイドの顔を両手で挟むように掴み、強引に自身の方へと向かせるや否や、そのまま凄むような目付きで顔を近づけた。その距離は、思わず鼻と鼻が触れてしまいそうな程に近い。

 加えてその行動は、シェイドを今以上に狼狽えさせるに充分なものだった。少年はパニックからか、頭の中が真っ白になる。

 そしてそれを見ている野次馬キツネが、なんとも愉しげな声を挙げた。残念ながら自重しろとツッコミを入れる者はどこにも居ない。


「私が言いたいのは、そのような恨み節ではありません。今更それを言ったところで、意味なんてありませんから」


 そんな二人の反応を差し置いて、変わらず真剣な口調でエステルは語る。

 近付きすぎたことによる弊害か、話す度に少女の吐息が少年の鼻腔をついた。


「私が言いたことは、ただ一つ――」


 ジリジリと、精神的に締め上げるように、二人の顔と顔との距離が縮まる。

 刹那――。


「ンッ」


「――、――!?」


 シェイドは超音波にも似た声にならない甲高い声を上げ、腰を抜かすようにその場に崩れ落ちた。

 そんな彼の右頬には、熱くて柔らかい感触の残滓。


「私が今も、こうして貴方をお慕いしているということ。どうかそのことを、覚えていて下さいな」


 一方エステルは、そんなシェイドの反応を見て満足したのだろう。


「貴方の旅路が平穏無事であることを、心より願っております」


 勝ち誇った笑みを浮べながらそう言い残すと、早足で自身の部屋へ帰って行くのだった。



「……わーお」


「……」


 エステルの部屋の扉がパタンと音を立てて閉じると同時に、キツネは心底驚いた表情で思わずそんな感嘆符を口にしていた。

 その足元ではシェイドが、呆然と右の頬に手を当てている。


「……いやー、なんというか、最後にドデカイ花火を打ち上げおったな。エステルもやるのう」


「……」


 どう声を掛けるべきか悩んだ末に思いついた、気の利いた言葉のつもりだったのだろう。気まずそうに視線を明後日の方角に向けるものの、何か言わねばという謎の使命感に駆られたキツネはそんなことを呟いてみる。何も言わずに黙っているという選択肢は、そもそも彼女に存在しなかった。

 一方、


「……ハ、ハハ、まったく手痛い意趣返しだなぁ」


「ん?」


 半ばヤケクソ気味に笑うシェイドの耳に、キツネの戯言は全く届いていなかったらしい。

 彼の瞳に光は無く、視線は揺ら揺らと天井を見上げ彷徨っていた。


「正直、心底嫌われていた方が数倍気も楽だったんだけどな。だのにどういう訳かここまで拗らせていたとは……いや流石、アウニグラル家の血筋か」


「お主、一体何を言っておる?」


「いいや、なんにも。そら、もう用も済んだことだし、改めて聖域へと赴くか」


 ほぼ無意識の呟きだったのだろう。

 シェイドは反応を示すキツネを適当にあしらいながら立ち上がると、腰の埃を払う。

 そしてどこか憑き物が落ちたような、或いは開き直った顔つきで、元の調子を取り戻したように歩き出そうとした。


 ――そんな時だった。


「そこのお二方、少々お待ちをー!」


 突如、忙しない足音と共に廊下に響く男の声が、これから聖域へ向かおうとするシェイド達を呼び止めた。

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