1-20『一人目の召喚者』

ロードよ、今回も無事定例会ミサを執り行えること、真に嬉しく存じます」


 神の声が部屋に響いて直ぐ、レイは他の魔法使い達が静観する中代表するように堂々と立ち上がり、神繋の水晶に向かい恭しく頭を垂れる。

 見れば水晶は仄かに青い光をぼんやりと放ち、テレビの砂嵐のようにガサつく画面の中に人型のシルエットを薄っすらと浮かべていた。

 恐らくそのシルエットの正体こそが、彼等が言う神なのだろう。

 そんな姿を目の当たりにして、キツネは素直に思ったことを小声でシェイドに囁いた。


「(のぅ、シェイド。あの砂嵐は安易に姿を晒さぬという、神の威厳的なアレなのか?)」


「(いや、水晶の不調って聞いてる。なんせ整備無しで数千年も使い続けているそうだからな、今はいつ映らなくなってもおかしくない状態らしい)」


「(ミステリアスな雰囲気とは裏腹に理由がしょうもなっ)」


「(おいこら、態度に出てんぞ。って――)」


 期待していたものとは違った返答に、キツネは肩を落としガッカリするように額に手を当てる。

 そんなあからさまな態度には、神の御前ということもありシェイドも流石に苦言を呈した。

 しかし不意に、その声が止む。


「(……? どうしたんじゃ?)」


「……見上げてご覧」


 そう告げるシェイドの声に抑揚は無く、見上げる表情には静かな空間で盛大にクシャミをしてしまった時のような気まずさが滲む。

 またそれを見たキツネも、自身が知らぬ間にまた何かやらかしたのではないかと、慌てて神繋の水晶を見上げた。

 すると、


『汝は、何者か』


 電源を入れてから徐々に映りを良くしていく真空管式のテレビのように、少しだけガサつきが治まった水晶から、唐突にそんな言葉が発せられた。


「(……おい、お前のことだぞ)」


「え? あ、ワシか!」


 シェイドが囁いたこともあってか、その言葉が自身に向けられたものだと遅れながらも気付いたらしい。

 キツネはそれを理解すると遽しく少年の膝から降り、再度水晶を見上げた。――その顔に、何処と無く不敵な笑みを浮べながら。

 そして、堂々と言い放つ。


「では、失礼して。――お初にお目に掛かる、エリクスの創世神よ。ワシは異世界からの召喚者にして神、名をキツネ、姓を稲荷いなりと申す。以後宜しくの」



『……』


「……」


 直後、少女の言葉に場がシンと静まり返った。しかもその静けさは、神繋の水晶に魔力が通い始めた時の緊張感を遥かに凌駕するものだった。

 言ってしまえば、失敗の許されない厳格な場で盛大にアドリブをカマした挙句ダダ滑りしたような空気に近い。誰もが、居た堪れない思いと共に目を逸らしてしまいたくなる光景だった。

 そんな空気の中、無言を貫く魔法使い達の胸中はというと――。 


(プッ! ククク……)


 第二位レイは、思わず吹き出しそうになる笑いを必死に堪え、


(神の前で、ああも堂々と異世界の神を名乗るとは……)


 第五位クローバは、少女の度胸に目を見開けば、


(法螺吹き以前に、ただの阿呆であったか)


 第六位ガンマは、呆れたと言わんばかりに目を瞑り、


(言うと思った)


 第九位シェイドは、分かりきっていたと頷き、


(酔狂な)


 第十一位バフマンは、特に興味も示さず天井の水晶を見上げ続けていた。

 全く以って、多様な反応の数々である。けれどその中で皆が唯一共通して抱く感想があるとすれば、誰も少女の言葉(特に神の自称)を本気にしていないという点に限るだろう。


「お主ら、揃って信用しておらんな? 空気で分かるぞ」


 またキツネも、それぞれの表情や仕草から彼等の思考を具に感じ取ったのだろう。

 口をへの字に曲げて不満気な表情を浮べると、睨むように周囲を一瞥した。

 

「じゃが神よ、貴殿ならば、ワシの言うことが真実であると解るのじゃろう?」


 だがしかしと、キツネは水晶に映るシルエットに向けて挑戦的な視線を向ける。彼女の脳裏を巡るのは『曰く、神はなんでもお見通しらしい』という、シェイドが道中で語っていた言葉。

 故に、あまりに不遜なその態度は、しかして少女が有する自信の表れでもあったのだ。

 その時、


「――ッ!?」


 映りの悪い砂嵐の狭間から、少女は奥に居る存在と確かに“眼が合った”。


「……ッ」


「おい、どうしたキツネ?」


 直後、キツネは突然頭を押さえるや否や覚束ない足取りで後ずさり、そのまま倒れるようにシェイドへ凭れ掛かる。

 少女の首筋には汗が透明な線を引いており、心臓は全力疾走直後のように鼓動を早め、顔は血の気が引いたような青色に染まっていた。

 そんな少女を抱き留めるシェイドは、心配そうに声を掛けた。


「……分からん。ただ眼が合った瞬間、異様な寒気とゾワゾワを体中に感じた」


 その感覚は、まるで心臓を指でなぞられたかのような、或いは脳に直接息を吹き掛けられたようだと、キツネは語る。

 兎にも角にも、少女はフラつきが治まらないのか余裕無くシェイドに体重を預けたまま、けれど視線だけは水晶に固定し見上げ続けていた。

 一方、そんなキツネの状態に微塵も興味を抱いていないのか、神は厳かかつ静かな声色で端的に用件を述べるように語る。


『――我は、視た。故に汝キツネを、“聖域”へ招こう』


 そして神はそれだけ告げると、深い水底へと沈むように影を水晶の奥へと隠す。

 すると徐々に水晶の青い輝きと画面中の砂嵐は色を薄めていき、やがて魔力が通う前の状態へと戻っていった。



※ ※ ※ ※ ※



「……なんと」


「ふむ……」


「そうじゃないかと薄々思ってはいたけど、やっぱりか」


「……あの誘いはつまり、どういうことじゃ?」


 神の言葉が終わり、その姿を水晶の奥底に潜めてから数秒の後、目を丸くした一部の魔法使い達から驚きの声が上がった。

 それは神が、少女を聖域なる場所へと招いたからか。無論、それもあるだろう。だが、それだけではなく――。


「聖域への招きとは即ち、神が認めた証……。いやはや、本当に召喚者であったとは」


 キツネが異世界の人間であると、暗に認められたことにだろう。

 顎から伸びる自慢の髭を撫でながら、思わず零れるように呟かれたクローバの言葉に、晴れて疑惑が解消された少女は耳聡く反応を示した。


「クローバお主、本心では一切信用しておらんかったな」


「ハッハッハ! ハッ、ハッハ……。いや、すまぬ。まさか生きてる内に“二人”も召喚者が現れるなど、正直なところ思ってもおらなんだ」


「何を笑うとるんじゃお主は。……いや待て」


 誤魔化すような笑声を徐々に力の無い苦笑へと変えていくクローバに、キツネは此処だけ梅雨シーズンが到来しているんじゃないかと思える程のジットリとした視線を送る。

 一体何が、少女の癇に障ったのか。それは道中であんなにも親しげに接してくれたにも関わらず、その実一切信用されていなかったことが判明したからだ。確かにあの時も自分が疑いの身であると念押しされたが、まさか信頼度0ここまでとは思ってもみなかった。

 しかし、男が弁解する中で発した言葉の中に、どうにも聞き捨てならない一文があったことにふと気付く。


「“二人”とは、一体どういうことじゃ。もしや、ワシの他にも存命する召喚者が?」


 それは、別の召喚者がまだこの世界に存在することを示唆する言葉。

 流石にそんな話を聞き逃す訳にはいかないと瞬時に悟ったのだろう、キツネはクローバへの不満を一先ず端へ置いて追求を始める。

 だが、その問い掛けに答えたのはクローバではなく、


「シュウ・ナルカミ。現在序列第四位の魔法使いにして、異世界からの召喚者。そして、十七年前の大陸戦争を終結に導いた英雄だ」


 少女の後ろで、どこか懐かしむようにそう語るシェイドだった。


「シュウ・ナルカミ……。そういえば、主が度々『シュウ』という名を口にしておったの。誰のことじゃと気になっておったが、もしやそやつが」


「ああ。二十二年前、お前と同じく町渡りの丘で拾った異世界人だ。それも多分、お前と同郷のな。出会いは確か、俺が長期遠征から帰還していた時だったか。広野のド真ん中で一人ポツンと膝を抱えて座っていたところを――」


「んなっ!? ちょっと待った待った!」


 ピクリと耳を揺らして振り返るキツネに、シェイドはかつてあったのだろう出来事の一つ一つを思い出すように頷きながら簡潔に説明する。しかし何故だろう、その表情は不思議と普段以上に活き活きとしており、どことなく少年時代の思い出を語る年寄りのような印象をキツネに抱かせた。

 だが、そのまま説明を放り投げて昔語りを始めようとするシェイドに、少女は急ぎ待ったを掛ける。

 聞き流してはいけない情報が、ここにもあった。


「どうして主は、そのシュウとやらがワシと同郷ではという考えに至ったんじゃ?」


「確かお前、生まれはニッポンって言ってたろ? 記憶違いでなければ、シュウも出身地に同じ名前を挙げていた覚えがあってさ。もしかしたらって――」


「それは真か!?」 


 思わずピンと耳を立てたキツネは、表情を驚愕に染めながらシェイドの言葉を遮るように詰め寄る。驚くのも無理は無い、シュウ・ナルカミなる人物は召喚者という共通点があるばかりか、かつて生きた世界まで同じかもしれないというのだから。それも話を聞く限り、可能性は充分にあると言っていい。

 よもや同郷の者召喚者が今もこのエリクスで生きているとは思ってもいなかったのだろう、もしかすれば何処かで出会えるのではないかという期待からか、キツネの瞳は秒毎に輝きを増していた。


「ああ、なんでもトラックってのに轢かれそうになった子供を庇った瞬間、気が付いたら町渡りの丘に居たんだとか」


「会いに行こう、今すぐ行こう! 何処に居るじゃ?」


 途端、キツネはシェイドの膝から急いで飛び降りると、彼の腕を引っ張り興奮気味に出口を指差す。その仕草と表情は、遊園地に来てはしゃぐ子供とまるで大差無い。加えて身体のフラつきも気付けば治まっていたようで、その行動一つ一つが溌剌としていた。

 けれどその豹変振りに困惑するシェイドは、慌てて待ったを掛ける。

 彼等にとって早急に達成しなければならないクエストが、たった今発生したばかりであったからだ。


「ちょ、おいおい引っ張るな。今向かうべきは聖域だろ? 神が名指しで招いたのに無視するとか、バチが当たっても知らないぞ」


「そうは言っても、ワシとしては一秒でも早くシュウとやらに会ってみたいんじゃが。しかし、ふむ。先の神は意外にもバチってくるタイプか……具体的にはどのように?」


「カミナリが落ちる。物理的に、ドギャーンと」


「バッチバチじゃのう!? さ、流石に冗談じゃよな……?」


 途端、キツネはその言葉に思わず仰け反るようなリアクションを起こすと共に、引き気味にピクピクと口端を引き攣らせる。

 そして少女は頬に一筋の汗を垂らしながら、それが冗談であることを願うような反応を見せた。

 けれどシェイドは、哀しげな表情で首を横に振る。


「残念ながら。既に一回、それで危うく死に掛けたやつがいる。シュウって名前なんだが」


「これ、何をグズグズしておる。早く聖域とやらに案内せんか」


 その話を聞いて尚、最優先事項にシュウを据え続ける勇気は無かったのだろう。

 キツネは熱が引いたように無表情になると、ペシペシとシェイドの膝を叩いて立ち上がるよう促した。

 またシェイドも、そんな少女に応えるようにゆっくりと腰を上げると、背骨に針金を通すようにグッと背筋を伸ばす。

 そして魔法使い達へと振り返り、


「と、いう訳だ。忙しなくて悪いが、俺たちはこの辺で失礼するよ」


 それだけ告げた後、黙って手を振るレイや頷きを返すクローバを横目に、少年はキツネに手を引かれて部屋から出て行くのだった。







「あはは、もう行っちゃったか。まあ神が通信を切った時点で、半ばお開きみたいな空気になるのはいつものことだけどね」


「……」


 シェイド達が扉の向こうに消えてすぐ、レイの声が部屋に響く。

 その内容は限りなく独り言に近しいものであるのだが、しかし明らかに他の面々に聞こえるよう意識した声量で発せられていた。

 また彼等もそのことに気付いているようで、皆返事はせずとも静かにその声に耳を傾けている。


「でも久々に会えたんだし、もう少し話をしていきたかったな。それと――あの獣人の召喚者についても、ね。貴方はどう思います?」


 そう言いながらレイが視線を向けていたのは、今はこの場に居ない第四位の空席。それを見つめる眼光は鋭く、ともすれば獲物を狙う狩人のように研ぎ澄まされている。

 しかしすぐに表情をニコやかな笑顔に戻すと、キツネについて意見を求めるように不機嫌な表情を保ち続けるガンマに顔を向けた。


「……獣人の召喚者なぞ聞いた事も無いが、聖域へと招かれたことが何よりの証明。それ以上、どう思うもなかろう」


「あはは、それを言っちゃあ元も子もありませんね。でも、召喚者が二人も同じ時代に顕れるなんてことも、今までありませんでしたよね?」


「……何が言いたい」


 どこか含みを感じられるレイの言葉に、ガンマは眉間の皺を更に深めて聞き返す。

 するとレイはワザとらしい仕草で慌てて見せると、とんでないと手を振った。


「いえいえ、識者に意見を求めたかっただけで、これといった深い意味はありませんよ。ええ、ホントに」


「ふむ、確か歴代の召喚者と言えば――」


 そんな時、二人の会話を聞いていたクローバが、顎鬚を撫でながら加わる。


最初始まりに、神にその力を与えたとされる名前無き御方。二人目に、拳一つで魔王からこの惑星ほしを救った歴代最強の召喚者にして勇者、ジョン・スミス。三人目に、一代で文明をおよそ千年進めたとされる技巧の王、ハジメ・イエモリ。そして四人目に――」


「十七年前、百年続いたとされる大陸戦争を終わらせ英雄となった男、シュウ・ナルカミ。だね」


 クローバの台詞の後半を引き継ぎ、レイは此処に集まる魔法使いを今一度グルリと見回す。

 そして、


「五人目の召喚者として認められた、キツネ・イナリ。彼女がこの世界に一体何を齎すのか、楽しみにするとしようじゃないか」


 愉しむようにそう言った――。




 一方、魔法使い達が召喚者キツネについて議論を始めていた頃、当の本人達はというと――。


「一体どうなっておるんじゃ? 入る時はあんなにも長い暗闇の中を歩かされたというのに、帰りは扉を抜けるとそのまま王城の廊下に繋がるとは」


「入るに難く出るには易い、詳しくは分からないがそういう仕組みなんだと。にしても異世界人の反応は皆一緒だな、シュウも全く同じ驚き方をしてたぞ」


「魔法なぞ、ワシ等の世界では空想の存在だったんじゃ、仕方なかろう。しかし二十二年前に連れてきた、か。シェイドお主、実際のところ歳は幾つなんじゃ?」


「四百二歳」


「いや、そういうボケは要らんから」


「言うと思ったよ」


「……」


「……」


「ところでシェイド、これから向かう聖域とはどういう場所なんじゃ? どうせ一辺に言われても覚え切れぬ故、簡潔に頼む」


「各大陸に一つずつ、計五つ存在する神聖区域。基本的に招かれた者のみが立ち入りを許されることから、別名“神の領域”とも呼ばれる場所だ」


「いつもながら流れるような解説、感謝する」


「へっ、よせやい」


 来る時に案内された廊下の道順を逆に辿りながら、そんな会話を繰り広げていた。

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