1-19『魔の頂に立つ者達 2/2』

「……のうシェイドよ、先程からずっと気になっておったんじゃが」


 ガンマとの睨み合いにも一段落がつき、ふぅっと息を吐くキツネはすっかり脱力してシェイドに凭れ掛かる。

 余程気を張っていたのだろう。その姿は、まるで湯船で睡魔と闘う徹夜続きの受験生のようだ。

 それでも好奇心はどうにも抑えが効かないらしく、少女は密かに気にしていた疑問を口にした。


「右隣に座る、先程から微動だにせんこの男は、一体何者なんじゃ?」


 そう言ってキツネが顔を向けた先には、背凭れにドッシリと身体を預けて毛深い筋骨隆々の腕を組む、フードを深く被った背の高い男がいた。その貫禄と不動っぷりはまるで石造の如く、近くに寄らなければ精巧な置物と勘違いしてしまいそうになる程だ。

 今も、少女からの視線を浴びていることに気付いていないのか、男が姿勢を崩す気配はない。


「当ててみな。多分すぐに分かるだろうからな」


 そんなキツネに、シェイドは自力で疑問を解消するよう促した。一見すれば、すごく面倒臭い輩に違いない。

 けれど彼の言い方に意地の悪さは無く、わざわざ教えるまでも無く分かるだろうというニュアンスが含まれていたことに、少女は気付いたらしい。

 故に、


「むぅ、勿体ぶりおってからに。しかし、ふむ――」


 素直に答えればいいではないかと唇を尖らせはするものの、キツネはあまり食い下がろうとせず素直に顎を指で摘みながら考え始める。

 やがて思い至ったのは、今しがたクローバが教えてくれた席順と序列の並びについて。


「ワシ等から見て右隣に居るということは、序列十一位の席ということになるの。……待て、十一位と言うともしや」


「ご明察のとーり」


 序列十一位という、エリクスに来て四日と経たないキツネにはあまりに少なすぎる情報。しかし今の彼女には、ほぼピンポイントで思い当たる節があった。

 少女はハッとした表情で目を見開くと、身を乗り出すように男の方へと身体を傾け、深く被られたフードの中身を慎重に覗き込んだ。

 その時、


「……何をしている?」


「ぬわおっ!?」


 威圧するような低い声を上げ、フードの男が不意に顔を持ち上げた。

 途端、キツネは驚きの声を上げてバランスを崩し、盛大に男の足元へと転げ落ちる。

 その際、ゴスン! と鈍い音を立てて床に腰を打ちつけた。


「あ゛ーッ! おお、ぬおお……」


「……」


 ジンジンと骨髄に響くような痛みに、キツネは溜まらず濁った悲鳴を上げ、直後には唸り声と共に仰け反るような姿勢で腰を抑える。端から見たその動きは、例えるならリアクション芸人のソレに近い。

 一方、そんな少女の姿を見下ろすように眺める男の表情は非常に感情の起伏に乏しいもので、ただただ眠たそうに目を細めるだけだった。

 だが、そんな視線に負けじとキツネは痛みに歯を食いしばりながらも立ち上がると、正面から向かい合い指を突き出す。

 そして言った。


「お主が、獣王バフマンじゃな!」



※ ※ ※ ※ ※



「獣王……? ……ああ、確かに。周りからそう呼ばれてはいる。それでお前は、何処の誰だ?」


 途端、男ことバフマンは背凭れから背中を離して座り直すと、フードの下から覗く眠そうな瞳を一変させキツネを鋭く捉えた。

 そんな彼が放つ威圧感は正に、腹を空かせた獰猛な獣と例えても過言ではない。常人ならば瞬く間に恐怖で腰を抜かし、悲鳴を上げて逃げ出してもおかしくないものだ。

 ――そう、相手が常人であるならば。


「ワシはキツネ。異世界からの召喚者じゃ」


 キツネはバフマンの問いに一切気後れすることなく、まるでそよ風を受けるように平然と答えてみせた。……今も痛そうに、腰を押さえながらではあるが。

 

「異世界からの召喚者……あぁ確かに、そう聞いてはいた。だが此処を訪れて尚、そう名乗り続けるか」


 一方、少女の返答にバフマンは些かの驚きを見せながらも、一人納得した様子でシェイドの方を向いた。

 その視線に、何処と無く同情的な色を滲ませて。


「“また”連れて来たのか。本当にお前は、数奇な巡り会いに事欠かないな」


「……。ハァー……」


 男の言葉に、シェイドは右の掌で顔を覆いながら無言で天井を仰ぐ。続けて、大きな溜息を一つ。

 その仕草が示すものは一体何なのか。傍目にそれを見るキツネは何か言いたげな顔をしながらも、グッとその気持ちを押し込んで言葉を続けた。


「バフマンよ、お主は昔、山賊をコテンパンにした覚えはあるか? あるいは、元傭兵を名乗る男と拳を交えた経験は? もしくは、煌びやかな馬車に乗っている時に襲撃された覚えは?」


「質問内容がどれも暴力的過ぎる……」


 声を低くして、凄むように目付きを険しく細めながら、キツネは矢継ぎ早に問い掛ける。ここまで条件を限定しているのだ、当事者ならば思い当たる節の一つや二つはあるに違いないだろう。

 すぐ傍で若干引き気味に呟くシェイドの声を聞き流しながら、少女はバフマンからの返事を待った。

 だが、


「……すまない。身に覚えがあり過ぎて、どれのことを言ってるのかさっぱり分からない」


「……?」


 なんということだろう。

 男は数瞬の沈黙の後に、圧を感じさせる目付きから表情を一転させ困ったようにそう言った。

 その返答に、今度はキツネはキョトンと首を傾げる。


「スマン、何を言ってるのかよく分からん。ワンモアプリーズ?」


「日常茶飯事、と言うやつだ。襲われる経験など、十数年前に丁度五百を超えてからは数えるのを止めている」


「……」


 絶句。空いた口が塞がらない。

 キツネは、目の前の男は一体何をしでかしたのだろうかと、遠巻きに危険物を見るような眼差しをバフマンに向けつつ身を引いた。

 そして、スタンド式の充電器に収まる携帯電話のように、再びシェイドの膝に腰掛ける。


「のぅ、シェイド。あれほど襲われるのは、この世界ではよくあることなのか?」


「旅をしていれば、年に数回は。どの大陸も、郊外は治安が悪いからな。……とは言ってもあそこまでじゃあ無い」


 『ご愁傷様』と生暖かい視線をバフマンに向けるシェイドは、もはや当然のように膝に腰掛けるキツネを意に返さず淡々と答えてみせる。

 そんな視線にバフマンは深い溜息を零しながら、今度はキツネに問いを返した。


「ハァ……。ところで、そこの小娘」


「小娘ェ!?」


「さっきは何を訊ねようとしていたんだ? 悪いが仇討ち等といった類の話は受け付けていないが」


「ムッ、違わい」


 小娘という一言に心底驚いた様子を見せながらも、その後に続く男の台詞にキツネは心外だと頬を膨らませた。

 そして人差し指を立てると、再びバフマンに突き出して言う。


「獣王バフマンよ。お主、ガルガダックという男の名に聞き覚えがあるじゃろう?」


 それは、キツネが先程からバフマンに執着を抱く理由。

 つい先日いきなり攫われた挙句サンドバックにされた、圧倒的理不尽と暴力の思い出。そしてそうなるに至った原因の一つが、すぐ隣に座るこの男の存在なのだ。

 無論、この件に関して一体誰に非があるのかと問われれば、それは間違いなくガルガダックに他ならない。けれど“それはそれとして”、少女はこの機会にバフマンに何か一言言ってやらねば気が済まなかった。

 果たして、男の返答はというと――。


「無論だ。国が魔導師取締り機構アルカトラズの解決を待たず個人に依頼を回すなど、そうある事ではないからな」


「いや、そうではなくて。それよりもっと昔に、一悶着あったじゃろう?」


「? すまない、全く心当たりが無い」


「ぐぬぬ、では――」


 至極残念そうに項垂れるキツネは、しかし負けじと執拗に質問を投げかける。その執念深さは、他の魔法使い達が一言も発さず静かにドン引きする程だ。

 やがて質問を繰り返す少女もまた、今の自分の行動があまりに不毛であることに気付き始めたらしい。


「本当にすまない。アルゲダ山でのことではないなら、ルビア山脈で修行していた頃の――」


「……そうじゃよなぁ、日常茶飯事じゃもんなぁ。どうしても思い出せぬなら仕方ない、手間を掛けさせて済まなかったの」


 結局、バフマンがガルガダックとの因縁を思い出すことは無く、最後はキツネが諦める形でこの話は終わりを迎えた。

 そして少女は、消化不良感否めないといった風の男を尻目に、シェイドに倣って溜息と共に天井を見上げる。その目尻に、小さく涙を浮べながら。


「ドンマイ、ガルガダック。ドンマイ、蹴られ損のワシ」


「ドンマイ、椅子にされてる俺。ていうか、もしバフマンアイツがガルガダックのことを覚えていたら、お前は何を言うつもりだったんだ?」


「そりゃあお主……っと、そういえば、一言申してやろうという思いばかりが強過ぎて発言の内容は考えておらんかった。……テヘッ」


「お前……もうちょっと後先考えた方がいいぞ。いつか蝶々を追っかけて崖に突っ走りそうな気がして、俺怖い」


 誤魔化すように目を逸らしながら舌を出すキツネに、シェイドは呆れたように首を振った。

 いや、シェイドだけではない。暇つぶしに丁度いいと聞き耳を立てていたレイやクローバといった魔法使いの面々も、それぞれ肩を竦めたり頷くといった反応を示していた。

 その時、


「――静かに」


 ボソリと呟くような、しかし緊張感に満ちたガンマの声が、部屋の空気を一変させた。


「おっと、確かにそろそろだね」


 続けてレイが、天井を見上げ目を細める。

 それにつられて、キツネを含めた他の面々も顔を持ち上げた。


「神繋の水晶に、魔力が通い始めた。もう間も無く、ロードがお見えになられるよ」


 その認識を、この場の全員が獲得したのだろう。

 ゴクリと誰かが唾を飲み込む音を鳴らし、皆表情を一層堅く引き締める。

 やがて――。



『――よくぞ集った。魔の頂に立つ者達よ』



 腹の底に深く圧し掛かるような重みある老人の声が、部屋に響いた。

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