望まなかった未来が待っている
中野佳音を抱き起こした南雲は、彼女を抱きしめずには居られなかった。
こうしなければ、彼女の全てが儚く脆く……跡形も無く消えていくような気がして……
……抱きしめられた中野佳音は、「うわぁぁぁん」と、子供のように泣き始めた。
その様子を見た菅原は、彼女の手からスマートフォンを取ると、それを自分の耳に当てた。
「――もしもし! あんたが誰だか分かんないけど、カノン様に何を伝えた?」
加賀谷も、菅原に頭を擦りつけるような勢いでスマホに耳を当てる。
『……君は?』
「カノン様のしもべ。そして南雲の親友です!」
『……南雲君は居ないのか?』
「今、取り込み中です」
『分かった。では、南雲君に伝えておいて欲しい……』
二人は、一言も聞き漏らさないよう豊洲の話を聞いた。
◇ ◇ ◇
ここで少し説明しておかなければならない。
南雲は基本オタクだ。型は古くてもそれなりに高スペックなデスクトップパソコンと中古で買ったノートパソコンを持っているので、敢えてスマホで動画を視聴しない。また、スマホでゲームもしない。
それと、南雲は電車通学を避けたかった為、大学まで徒歩で通える場所に部屋を借りた。なので大学に進学してから電車に乗る事は無い。
そして、これは決して南雲が強要しているのではないが、衣料品や食料品、更にシャンプーや歯ブラシに至るまでの生活用品の買い物は、加賀谷が代行してくれるので自分では行かない。
菅原も南雲に用がある時はスマホ等の携帯ではなく、有名店の美味しいスイーツを手土産にマイカーで駆け付けるが、決して南雲から呼び出す事はない。
要するに南雲は、おサイフケータイ機能も使っていないし、菅原と加賀谷以外の他人との交流を図らないのでSNSなども利用していない。
以上のような理由で、スマホを活用する事が無い南雲は、画面ロックをしていない。
これ即ち――
パソコンとブラウザを共有している南雲のスマホさえあれば、オートでログインするように設定しているNAGー0.45Rという動画チャンネルに、他人が勝手に動画をアップするのは簡単だという事を意味する。
そして、中野佳音はスマートフォンを二つ持っていた。豊洲が応答したスマートフォンは中野佳音の私物では無く、㈱ダズリング企画から、連絡用として渡されていた物なので、当然だが画面ロックをしていない。
◇ ◇ ◇
――南雲の動画がアップされたその日の夕方。
「奴のチャンネルに奴の動画を上げただけだぜ? 別に罪にゃ問われねえだろ月島よ?」
「ああ……だが駒沢さん、これはやり過ぎだ」
駒沢は、高井戸美由紀のMV制作の為に、以前の貸しスタジオでは無く、撮影を含めた様々な設備の整っている大きなスタジオに月島を呼び出していた。
「俺にゃ、これしか手が無かった……すまねぇ月島」
「いや……謝る相手が違うだろ」
そこへ、「失礼します」と、入ってきた女性スタッフ。
「駒沢プロデューサー。中野さんと南雲さんがお見えになったので、それぞれミーティングルームへ通しておきました」
「おう、楽屋に居る高井戸と豊洲に声を掛けて、中野が居る部屋へ連れてってやってくれ。暫くしたら俺も行く」
「分かりました。失礼し……」
「ちょっと待て。これを中野に返しておいてくれ」
駒沢はそう言って、中野佳音のショルダーバッグを渡した。
受け取った女性スタッフは再び「失礼します」と、お辞儀をするとそこから出て行った。
「嫌な役を押しつけちまった……」
「ああ、それは俺に対してか、それとも高井戸美由紀に対してか?」
「けっ、相変わらず意地が悪いな月島。ほらよ、奴の荷物だ」
南雲のリュックを受け取った月島。
「一つだけアドバイスをしておくよ駒沢さん。今後は彼に中野佳音を近付けないようにする事だ」
「ふんっ、分かってらぁ……ところで月島、奴が居るのはそっちじゃねぇ。向こうのドアから出た突き当たりだぜ?」
「ああ……俺とした事が緊張していたようだ。感謝するよ駒沢さん」
◇ ◇ ◇
――南雲の運命は更なる変革を迎える。
こちらは南雲の動画のチャンネルにMVがアップされた直後。
近所のカフェで朝食がてらお喋りを楽しむ彼女達。
「ねえ、この人って同じ大学の人じゃない?」
「え、ちょっと……これってラスボスじゃん!」
直接本人に対して使われた事はないが、同じ大学に通っている彼女達の間で『ラスボス』と言えば、それは南雲の事を指す。
「彼の名前……確か南雲だっけ?」
「そうっ、入試でトップだった人!」
あっという間に本名と年齢と大学が特定された。
「彼って……こ、こんなに格好良かったっけ?」
「……ホント……格好良いよね」
彼女達は顔を見合わせる。
「夏休み早く終わって欲しいー!」
「だよねー!」
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