手段とは、選ばない時に使われる

 南雲と中野佳音は、翌日の正午前にやって来た菅原が持ってきたタブレットPCで、ローリングレコーズ・ジャパンのオフィシャルサイトにアップされている『卒業式で貴方を好きになるなんて』のPVを見せられた。


 やって来たのは菅原だけでは無く加賀谷もだ。


 南雲はスマートフォンを入れていたリュックをスタジオに置いたままだ。

 同様に中野佳音もショルダーバッグを置いてきている。


 そしてこの別荘に普通のテレビは置いていない。どうしてもテレビが見たいのなら、シアタールームの壁に設置されているバカデカイ8Kモニターで見るしかないのだ。勿論見ない。


 昨晩は大はしゃぎの老夫婦にもてなされていた南雲と中野佳音。

 高井戸美由紀のPVが公開された事を知らなくて当然だったといえよう。


 そして……


 タブレットPCで動画を見ている南雲の反応を伺う菅原と加賀谷。勿論だが気になるので途中で中野佳音に視線を移し、可愛い事を堪能して再び南雲を見る。


「うん。確かに君たちの言う通り、これは僕が作った曲だよ」


「南雲さん、どうして僕たちに黙っていたんですか?」


「そうだぞ南雲。俺らに知られるのが嫌だったのか?」


「いや、聞いてくれ君たち。このPVは罠だ」


「ふざけないでくださいよ南雲さん」


「まあ待てよ加賀谷……さあ南雲、順を追って説明してくれ」


 南雲は、こんな僕でも仲間だと言ってくれる二人の大親友に対し、最善を尽くすべく頭を巡らせた。


 ……昨日の19時にアップって、随分早く手を打ってきたんだな……これは思った以上に手練れのようだ。

 いや、その前に……菅原と加賀谷にこれをどう説明するかだ……


 その時――

 ――自分から視線が逸らされた事を確認した中野佳音は、南雲の横顔をじっと見詰めた。


 自分だけが気付いた本当の彼……

 彼は音楽を習っていた訳じゃ無い。音楽には全くの素人で楽器も演奏できない……けれどイメージだけで曲を作れるの。本当に凄いのよ。


 ……そんな無垢な彼を――あたしは大好きになってしまったの。


「あたしが悪いんです。南雲さんを責めないで下さい」


 色々と南雲を尋問したい菅原と加賀谷だったが、涙袋が今にも決壊しそうな中野佳音を見て、「いえいえいえいえカノン様、決して南雲を責めに来たんじゃないですから」と、一瞬で南雲への尋問を諦めた。


「カノン様、どうかお使い下さい」


 片膝を付いた加賀谷が両手でポケットティッシュを差し出すと、それを見た菅原が高級ブランドのセカンドバッグからハンカチを取り出した。


「お収め下さいカノン様。新品です」


 中野佳音は両手を伸ばすと、それぞれが差し出した物を同時に受け取った。


「大切に使わせて頂きます。二人とも有り難うございます」


「「身に余るお言葉、嬉しいですカノン様!」」


 中野佳音に深々と頭を下げた二人。


「さあ、荷物を運ぼうか加賀谷」


「はい、そうしましょう菅原さん」


 二人は、自分たちの着替えを入れたキャリーバッグを菅原のマイカーまで取りに行った。要するに泊まり込む気満々である。


 中野佳音はその広いリビングに置かれているグランドピアノに目を留める。

 そこへ丁度、昼食の準備が出来たことを伝えに来た祐子に話し掛けた。


「祐子おばあ様。ピアノを弾かせて貰っても宜しいでしょうか?」


「ここ数年誰も弾いていないから、調律がおかしいかも知れないけれど、どうぞ弾いてみて下さい佳音さん」


 ポーン……ピーン……ポロン……


「おや……何だかピアノが喜んでるみたいねぇ」


 祐子はそう言って顔を綻ばせた。


 ボボン、ポロロロロロロロロロロロポロンポロン……ポンピンピン、ポンピンピン……


 そして中野佳音は、今まで誰も聞いた事の無いようなラ・カンパネラ風のキラキラ星の変奏曲を弾き始めた。


 厨房で冷製スープを冷蔵庫から取り出そうとしていた浩一も、手を止めて聞く程の、それは素晴しい音色だった。



 ◇ ◇



 腰よりも長い真っ直ぐな黒髪には、ライトブルーのマキシ丈ワンピースと、つば広のストローハットがよく似合っていた。


 澄み切った空の日差しは高く、照り返す眩しさに目を細める。


「中野さん、サングラス忘れてますよ」


「ありがとうございます、南雲さん」


 中野佳音は南雲から受け取ったサングラスを掛けた。


 軽井沢に来て今日で五日目になるが、南雲の祖父母には余計な心配を掛けたくないので、一日中別荘に籠もっているわけにはいかない。なので何かとブラブラ出掛けるようにしている。


 当然だが、観光地なので観光客が割と行き交っている。

 そして、今や中野佳音は超有名人だ。


 以前は音楽関係者とクラシック音楽も含めたピアノに興味のある人や、菅原や加賀谷みたいな限られた人々の間でしか「顔」を知られていなかった彼女だが、人々の話題を独占している高井戸美由紀のPVに、バッチリ映り込んでいる事を彼女自身も認識している。


 ここで役に立つのが超普通の容姿である菅原と、人の顔色を窺うのが得意な加賀谷だ。


 中野佳音の見事なまでの長い黒髪は、時に人の目を引くものだ。


「菅原さん、右斜め前の人がカノン様を注視しようとしています」


 その声を聞いた菅原が、中野佳音の右斜め前に移動する。


 すると、あら不思議、その相手は中野佳音を自然に見失う。

 そう……普通過ぎる菅原が間に入る事で、違和感なく見失わせてしまうのだ。


 これぞ環境にも人にも優しい菅原バリアだ。


 だが、大学生の夏休みは長いが、いつまでも続かない事は中野佳音も理解している。


「……あたし、今日で帰りますね……」


 彼を一人占めするなんて出来ない。そう思った中野佳音の言葉だった。


 菅原も加賀谷もこれだけ彼女と一緒に居たので、悪徳プロデューサーの話は嘘だったのだと気付いている。ただ何も言わず、彼女に頷いた。


「菅原さん、携帯を貸してもらえませんか?」


「どうぞカノン様、好きなだけ使って下さい」


 菅原からスマートフォンを受け取った中野佳音は、自分の携帯番号へと掛けた。

 やはり彼女の予想した通り、応答したのは豊洲だった。


「豊洲さん、長い間ご心配をおかけしました。今から戻ろうと思うのですが……え…………」


 すると何かを聞いた様子の彼女が突然声を荒げる。


「何ですって豊洲さん⁉ も、もう一度お願いします!」


 彼女のスマホに出てまで伝えたかった豊洲の言葉――


『カメラマンの江古田が、南雲君のオリジナルデータが有る事を、駒沢プロデューサーに教えてしまったんです……』


「いいえ豊洲さん、その前の部分です。その前に何て言いました?」


『今朝方、南雲君のMVが動画サイトにアップされたと言う部分ですか?』


「――ああ、何て事……」


『モシモシ……中野さん……モシモシ……』


 放心状態になった中野佳音はその場にペタリと座り込んだ。

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