そして彼らは事実を知る

 夜の九時を迎えた軽井沢。

 デンマークの風景から切り取ったような悠久たる屋敷が、夜天光の中にポツリと浮かんでいる。


 カーンコーンと、デジタルでは無いチャイムの音が向こうの方で鳴り響いた。


「おや、こんな時間に誰かしら……」


 祐子は老眼鏡を外すと、読んでいた冊子の上に置いた。

 椅子から立ち上がろうとした祐子に、小さな丸テーブルを挟んで向かいに座っている浩一が声を掛ける。


「出なくていいぞ祐子。どうせ食材屋のバカ息子だ。集金なら勝手口から声掛けろって何度言っても学習しやしない。全く、玄関までどれだけ距離があると思ってんだアイツは……」


「やれやれ浩一さん。今年は孫が来なかったからって、なにも食材屋さんにあたる事はないじゃないの」


「孫って言葉使うの禁止って言ったじゃないか祐子」


「あら、そうだったわね。うふふ」


「そのうち、こっち(勝手口)に回ってくるだろ」


 すると、再びチャイムが鳴った。


 カーンコーン……


「食材屋さんじゃないみたいね」


「……そうだな」


 最近は何かと物騒だ。


 祐子は壁に掛けていた護身用の箒を持つと、薙刀のように構えながら玄関へと向かった。

 勿論だが浩一も、高い所に置いている物を取るのにも使う、防御用の踏み台を両手で抱えると祐子の後に続く。



 二人は、長い廊下を進んで玄関まで辿り着いた。


「どちら様で御座いましょうか?」


 祐子が声を響かせた。


「祐子さん、俺だよ俺」


「……まあっ――その声は菅原の坊ちゃん⁉」


「こんな時間にごめん。ちょっとお願いしたいことがあってさ」


 踏み台をそこに置いた浩一は、鋳物と真鍮で出来ている大きな内鍵を外すと、重厚そうな木製の扉を開けた。


 ――あっ⁉


 北欧スタイルのアンティークなポーチライトに照らされているのは、長身で目付きの悪い三白眼の男だった。


 上目遣いのその男は、ニィっとした笑みを浮かべた。


 目を丸くする浩一と祐子。


 咄嗟に浩一がその男に飛び掛かる。


「孫ぉーーー!」


 と、叫びながら、この上なく綻んだ笑顔で、その南雲に思いっ切りハグをした。



 住み込みで菅原家の別荘を管理しているのは、腕の良い料理人の浩一と、その妻の祐子。

 そう――南雲の祖父母である。


 ここなら変な気は起こさない。南雲がそう考えるのも当然だったと言えよう。


 そして菅原は、中野佳音は菅原家が招待した客人で、観光のために暫く滞在するが、その間のガイドを南雲が引き受けてくれたのだと説明をした。


 しばらく孫と過ごせると思った老夫婦にとって、それは喜びを与えるサプライズのような出来事だ。感極まる二人は中野佳音を心より歓迎した。


 ……だが、南雲と二人っきりで過ごせると思い、オフショルダーのパーティードレスまで買っていた中野佳音は大いに肩を落とすのだった。



 ◇ ◇ ◇



 帰路に就いていた菅原と加賀谷は、常磐自動車道の上里サービスエリアに立ち寄った。

 二人とも夕食を取っていないのでお腹がペコペコだった。


 どうやら、フードコートはまだ営業しているようだ。車から降りた二人は足を速める。



 加賀谷は水沢うどんが食べたいと言っていたが、「ちょっと車借りる」とだけ言って家を出てきた菅原は、勝手に別荘を使用させている事情もあるので、一刻も早く帰宅し、父親に対して説明をしなければならないと考えていた。


 菅原の父親は基本的には息子に甘いが、勝手な振る舞いだけは絶対に許さない。

 スマホで連絡すればいいと思うだろうが、重要な事は直接伝えるというルールも有る。


 ……要するに、スマホでお願いしても「絶対に駄目だ」と言われるが、直接お願いすれば「いいよオッケー」なのだ。



「加賀谷、水沢うどんは諦めてくれないか?」


 ところが加賀谷は、何かを見上げたまま動かない。


「明日にでもマイカーで連れて来てやるから、今日は水沢うどんは諦めてくれよ加賀谷」


 それでも動かない。


「ほら加賀谷。カレーパンだって美味しいんだから、今日はこれで……え、さっきから何見てんのお前……」


 加賀谷の視線の先にあるテレビモニターに顔を向ける菅原。


「ん……高井戸美由紀の緊急記者会見?」


「菅原さん、これって……」


「おおーっ、ついに歌手デビューしたって感じだな。へぇー、卒業式で貴方を好きになるなんて、か……よし、後でダウンロードしよう」


「そういう事ではないですよ菅原さん」


「ミュージックセンターでダウンロードするんじゃなくてCDを買えって事か……確かに高井戸美由紀の歌手デビューCDならその価値はあるな。よし、あとで通販サイトから……」


「それも違います。このテロップを見て下さいよ菅原さん。作詞作曲:NAGー0.45Rって流れてますけど、これ……南雲さんの動画チャンネル名じゃないですか?」


「まさか……」


 菅原は疑うような顔で、生中継で放送されている高井戸美由紀の緊急記者会見で、繰り返し流されているテロップを読んだ。


 間もなく読み終わった菅原は、両手に持っていたカレーパンを、両方ともポロリと地面に落とした。


「マジかよ……南雲」


 そう呟いた。

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