妄想力が才能である事に気付かないオタク
演技だと納得していても、彼女の涙は南雲の心を大きく揺さぶった。
南雲は、彼女のMV作成の協力者として呼ばれている以上、彼女に合った曲を作るのが道理だという結論に至ったのだ。
妄想は南雲の得意分野だ。彼女の雰囲気と涙は、南雲の創作意欲を多いに掻き立てた。
◇
折りたたみ式テーブルに折りたたみ式チェア。
大きなスタジオではないので、それらテーブルとチェアは、コントロール・ルーム横の小部屋に、折りたたまれて収納されている。
テーブルとチェアをいくつかブースの空いている場所に並べると、ヘッドホンを付けた南雲が、例のミュージックシーケンサーで作業を開始した。
四十代半ばの音響担当の井口だけが、南雲のミュージックシーケンサーを見て「へぇー、懐かしいなぁ」と言っていたが、それぞれ担当している楽器のプロ奏者であるバンドメンバー達は、興味津々で南雲の作業に見入っていた。
某有名音楽学校出身の中野佳音は、南雲が既にアップしている動画を聞きながら楽譜に起こしたのだが、こんな旧式のミュージックシーケンサーでは無く、そこそこ性能の良いシンセサイザーでも使って演奏しているものとばかり思っていた。
南雲は随分と使い慣れた様子で、たまにメモを取りながら、特に無駄な動きも無く操作をしている様に見える。
だが、音が全く聞こえないので、しびれを切らせた様子の神田が口を出す。
「どうやってメロディーを組み立てているのか、俺達にも聞かせて下さいよ」
「いえ、外部出力端子は一個しか付いてないので、ヘッドホンかアンプのどちらかなんですよ」
「じゃあ、出力端子をアンプに繋いで、スピーカーで聞きながら作業しませんか?」
「各パート毎に微妙なサウンドエフェクトを付ける作業は、ヘッドホンじゃなければ難しいんですよ」
神田は、過去に色々と曲を作ったが、一度も評価された事は無かった。今の彼にとって、南雲の地味な作業はもの凄く気になるところだが、超売れっ子の作曲者様には、何やらこだわりがあるのだろうと諦めた。
ただ、南雲の横に座っている高井戸美由紀は、瞳を潤ませた悩ましげな表情で南雲を見つめているのだった。
デリバリーで、夕食代わりの弁当が届けられ、皆が食事を始めたが、南雲は「あと少しですから僕は後でいいです」と、作業を続けていた。
作曲ってそんなに簡単な物なのかと、誰もが耳を疑ったが、本人がそう言っているので疑う余地はない。
◇
皆が弁当を食べ終わり、コーヒーやお茶などを飲みながらくつろぎ始めた時。
「出来ました」
「ぶっ!」
神田はコーヒーを吹き出すほど驚いた。
南雲が作業を開始してから一時間も経っていない。
音響担当の井口が大慌てで、コントロール・ルームから、アンプ内蔵の卓上型スピーカーを持ってきた。
その他の面々も大急ぎで弁当容器などを片付け、南雲を取り囲むように椅子を移動させ、緊張した面持ちで着席した。
昔のRPGを彷彿とさせるFM音源。
それが絶妙に加えられたエフェクトにより、まるで思い出のオルゴールでも聴いているような、物悲しい雰囲気を醸し出している。
間もなくパーカッションが加わると、突然雰囲気が変わり、目の前がパッと開けたような錯覚を起こす。
更に音が重なってくると、それまで曖昧だったベースラインがもの凄く輝いてくる。だが、決して主張はしない。
個々の音は本物の楽器には遠く及ばない。
この音はピアノの音だと言われれば、取り敢えずピアノっぽく聞こえるし、フルートだと言われれば、そういえばフルートっぽいかもねと感じる程度だ。
そんなチープともいえる七つの音が、絶妙に融合し合い、胸が熱くなるようなノスタルジックな世界観を作り出している。
――あまりの完成度の高さに、聞き終わった誰もが言葉を失っていた。
ところがここで、更に皆を驚かせる言葉を南雲が吐く。
「これが歌詞です」
――ガタガタッ!!
信じられないと言った表情で、皆が一斉に立ち上がった。
「一回歌ってみますね?」
歌詞と曲を、この短時間で同時に作った事に驚いている皆を他所に、南雲はミュージックシーケンサーのリスタートボタンを押した。
◇
歌詞の内容は、新社会人として戸惑いながらも懸命に恋をする女性をテーマとしていた。
その顔で、よくこんな曲が歌えるものだ。誰もがそう思ったが、それにもまして南雲が高音域で歌っている事にも驚いた。
文句の付け所が無い出来栄えに、一同は唸るばかりだった。
「高井戸さん、歌ってみて下さい。きっと貴女に似合います」
――確かに! と、一同が相づちを打ったのは偶然では無かった。
確かに……確かにこの男は天才だ。
音痴なのは抜きにして、ボーカルを高井戸美由紀に当てはめて考えると、ピッタリとそこに収まるからだ。
早速、マネージャーの豊洲が、南雲に契約を申し入れてきた。
ところが……
「いいえ豊洲さん。もう、この曲は彼女の物です」
「は? ……で、ですが……」
「彼女の為に作った曲です。全ての権利は彼女にあります」
完全にハートを射貫かれた様子の高井戸美由紀。
本気で南雲とお付き合いしたいと願う彼女は、今の自分にそんな資格は無いと泣き崩れた。
「歌えるまで僕がサポートしますから、そんなに悲しまないで下さい」
――駄目!
これ以上優しい言葉を掛けられたら、私……
――貴方しか見えなくなっちゃうじゃないの。
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