小さなハードシーケンサー

 本人の承諾が無い限り、転載・複製はしない。


 この確約の元、南雲のMVは撮影された。



 バンドメンバー全員がフレームに納まる位置に、一台だけ据えられたカメラ。


 イントロ部分の照明は、南雲の頭上にあるライトのみ。俯き加減の南雲の顔に真っ暗な影を落とす。


 イントロが終わり、南雲が歌い始めると、不定期な間隔で正面からフラッシュライトが光る。


 ブーム式のマイクスタンドのマイク部分には手を掛けず、その先のブームを両手で握り締めて歌う南雲。


 マイクスタンドの高さの調整方法も知らない南雲は、高井戸美由紀の身長に合わせられたままのマイクで歌っていた。


 背中を丸めるその姿が、まるでマイクという恋人を包み込んでいるようにも見える。


 端から見れば素人丸出しだが、何故か妙に様になっていた。


 そして時折のフラッシュにより、断片化された鋭い眼光が、見ている者全ての心臓を瞬時に貫く。


 ……やがて、曲がサビの部分に差し掛かったタイミングで、頭上のライトとフラッシュが消されると同時に、上下左右四方向からの、オレンジ色のライトが全ての影を消し去った。


 夕陽のような淡いオレンジのライトに浮かび上がるコワモテ。

 その俯き加減の姿勢が底知れぬ哀愁を醸し出す。


 そして間奏――


 再び頭上のライトのみ点灯。南雲の顔が闇に沈み、シルエットだけが浮かび上がる……


 間奏が終わり、暗闇の中で再び歌い始める南雲――そこへ連続フラッシュ。


 演奏するバンドメンバーの動きが、コマ送りのように映し出される中――カメラを眼中に固定し、全く動くことの無い南雲の瞳だけが、フラッシュを弾き返す。



 ――カメラは固定されたまま、寄ることも引くことも無かった。



 その場に居る全員が、異次元にでも迷い込んだかのような、不思議な感覚に陥る中。

 やがて、撮影は終了した。



 ◇



「……もう一度聞くけど、本当に公開する気は無いのか?」


 カメラマンの江古田を始め、音響スタッフ、照明スタッフ、バンドメンバー達は口々にそう言ったが、南雲の気持ちは変わらなかった。


 唯一複製されたメモリーカードを渡されたのは高井戸美由紀だった。

 彼女から言い出した事でもあるし、ここは喜ぶべき場面だが、何故か彼女の表情は沈んでいた。


 いくら音楽ド素人の南雲とはいえ、彼女がリハーサルを始めた時点で、この曲のキーは彼女には合っていないと感じていた。

 だからはっきりと「僕を演じるのは無理だと思います」と言ったのだ。


 にも関わらず、彼女の演技に乗せられ、調子に乗ってしまった自分を恥じた。


 だが、沈み込んだ彼女の表情を見た南雲は、やはりあれは演技だったのだと納得をした。


 恐らくこの表情は、彼女自身がその事に気付いたという事なのだろう。

 彼女が少し可哀想だとも思った南雲。


 どんなに抱き付かれても演技だと割り切って、断っていれば良かったんだ。

 僕が彼女に好意を持たれる理由なんて、これっぽっちも無いんだから。


 色々と込み上げてくる感情を、グッと抑え込む南雲。


 ……ところで、ホールが静かになったのは、皆が自分の気持ちを察してくれたのだろうと思った。

 きっと、心優しい人達なのだろう。


 さて……どうしようかと、考え始めた南雲の耳に、微かにむせび、微かに震える声が聞こえてくる。


「こんなに素敵な物、私だけが貰っていいの?」


 南雲が顔を向けると、彼女の頬には涙が伝っていた。


 皆が静かだった原因はこれか……

 凄い演技力だと思った南雲。


「いえ、僕の方こそ、こんな物しかあげられなくてすみません」


 何かを否定するように、二度三度と首を左右に振る高井戸美由紀。

 その間にも、溢れた涙は次々と床へ落ちた。


 本気で泣いているとするならば、泣かせたのは自分だ。


「貴女に合った曲を今から作ります。それで勘弁してもらえませんか?」


 そうだ。仕事だけはきっちりとさせてもらう。マネージャーの豊洲さんの土下座を無駄にはしたくないから。

 などと、半ばこじつけとも思える理由を無理矢理に見付けようとする南雲だったが……。


「「「「「えええええええーーーー⁉」」」」」


 自分が大ヒットメーカーなのだという自覚が全く無い南雲の言葉に、スタッフ一同は騒然となる。


 そして南雲は、コントロール・ルームに置いていた自分のリュックを持ってくると、その中からB-5サイズ程度の大きさの、ミュージックシーケンサーを取り出した。


 それを見たピアニストの中野佳音が声を掛ける。


「南雲さん、ピアノをお貸ししますよ?」


「いえ、僕はピアノなんて弾けないので」


 そう言って頭を掻いた。


「じゃあ、俺のギターを使って下さい」


 神田が、肩に掛けていたギターを外そうとしたが、その行動を制止するように片手を上げる南雲。


「……いや、ギターも弾けないので、これでいいです」


 南雲が手に持っているのは、数十年前に発売されたミュージックシーケンサー。

 それはジャンクでも中々お目にかかれない骨董品だ。

 その小さなハードシーケンサーには、あらかじめ作られた、ピアノ、ギター、サックス、フルートにストリングス。それにマリンバと鉄琴を加えた七種類の楽器の音源。それと独立した簡単なドラムマシン機能も付いているが、最新の物に比べればそのスペックは相当に低く、天と地ほどの開きが有ると言えよう。


「ええと……コンセントコンセント……」


「まさか……」


「ええ。YFD(呼ばれた気がして振り向いてみたけど誰も居なかったの略)も、これで作ったんですよ」


 まさかそんな物で、あれだけのヒット曲を作ったなんて……それどころか、南雲本人が楽器を弾いた経験も無いド素人だとは、この場に居る全員が思っていなかった。

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