先輩に会いたくて、この大学に来たんだよ?
加賀谷にとって、敬語は習慣化されている。
なので、相手が例え幼稚園児だとしても、敬語以外は使わない。
敬語が習慣化したのは、加賀谷が小中学校では、いじめられっ子だった事に起因している。
加賀谷にとっては辛い毎日だった。だから加賀谷は勉強に励み、馬鹿では入る事の出来ないそこそこの高校を目指した。
――話は、加賀谷が高校に進学して三日目まで遡る。
中学までは、友達なんて居なくていい、いや、友達なんか出来っこないと考えていた加賀谷だったが、頭の悪いいじめっ子などいない高校に入ったので、気の合う奴もいるに違いないと考え始めていた。
そしてこの日も、加賀谷は気になった部を見学したり説明を聞いたりと、ようやく自分の置かれている立場が、かなり良い方向に向かっていることを実感していた。
――ああ。先輩達にも馬鹿っぽい奴は居ない。僕は晴れて自由だ。
だけど気を抜いてはいけない。どの部に入部するかで今後が左右されるので、ここは慎重に……うん、もっともっと部を回って慎重に選ばなくてはいけない。
だけどこの高校なら、琴線に触れるような仲間が集う部はきっとある!
……さて、今日は三箇所回ったし、そろそろ帰ろう。
ところが――
――昇降口近くのシューズボックスの前で、初めて南雲と遭遇した加賀谷は、思わず背筋を凍らせた。
何故なら、過去に自分を虐めてきた誰よりも、南雲の顔に恐怖を覚えたからだ。
「――ヒッ!」
シューズボックスに入れようと持ち上げていた上履きを、ポロリと床に落とすと共に、スクールバッグも手放し、奇声を発してしまった自分の口を両手で塞いだ。
その様子はさながら、声を出すと殺されてしまう設定の、映画のワンシーンの様でもあった。
しゃっくりのような奇声を聞き逃さなかった猫背の悪魔(南雲)が、小さな加賀谷にゆっくりと迫る。
「フシュー……フシュー……」
因みにこれは南雲が発した威嚇音や効果音ではなく、両手で塞いでいる加賀谷の口から漏れる空気音だ。
午後四時半の春の太陽が昇降口を照らしている。その太陽を背に、死を覚悟した加賀谷は、ぎらぎらと反射する南雲の眼光に耐えきれず瞳を閉じた。
まるで走馬灯のように、過去のいじめっ子達の顔が、次々と加賀谷の頭を過っていたその時。
「なんか……ごめん」
南雲はそう言って、加賀谷のバッグを拾い上げると、付いていた土埃をポンポンと払った。
目を閉じたまま動かない加賀谷は、ついに幻聴でも聞こえてきたのかと思った。
「バッグ、ここに置いておくね?」
やっぱり幻聴だと思ったその時。
「なあお前、返事くらいしてやれよ」
先程の、心臓を握り締められるようなハスキーな声とは明らかに違う。
第三者がいると感じた加賀谷だが、閉じてしまった瞳を開く勇気は無かった。
「いや、いいよ菅原。僕はこういった事には慣れっこだから」
「何言ってんだよ南雲。親友が勘違いされたままなんて、俺が我慢できないよ」
「いや……その言葉は嬉しいけど、今月は小遣いがピンチだからおごれないぞ?」
「じゃあ、ポテトだけでいいよ」
黒縁眼鏡の分厚いレンズ越しに、カッ――と、目を見開いた加賀谷は、その光景を確かめる刹那、顔を真っ赤に染めた。
――普通の人と、普通に会話してるじゃないか。
僕の勘違いだ。人を見た目で判断するなんて……ああ、僕はなんて恥ずかしい人間なんだ……でも怖いよこの人。
……そして、眼鏡を外すと大きく息を吸い込んだ。
「あ、あの……ぼ、僕におごらせて下さい!」
「「何で?」」
「ぽ、ポテトだけでも……ご、ご一緒に……だ、駄目ですか?」
「おごるの無しで良ければ、一緒に行こう」
そう言って南雲が差し出したバッグを、加賀谷はギュッと抱きしめると笑顔で頷いた。
この出来事以来、三人はとても仲が良い。
RPG制作ソフトを使ってゲームを作るという共通の趣味が出来る程に。
◇
――話を学食に戻す。
「南雲さんの声は元々ハスキーですから、歌えば凄いとは思っていましたけど……これほどとは……」
「まあ俺達、カラオケとか行かないもんなぁ」
菅原はそう言ってサンドイッチの残りの小さな一切れを、ぽいっと口に放り込んだ。
「それにしても南雲さん、あんな古いハードシーケンサーで、よくこれだけの曲が作れましたね」
「その腕をもっと早く発揮して欲しかったな」
菅原は、自分たちの作ったゲームが、去年の大学祭で不評に終わった事を思い出しながらそう言った。
「確かに、内容とBGMが全く合っていないって酷評されましたからね」
加賀谷がそう言うと、紙ナプキンで唇を拭った南雲が眉をひそめる。
「いやいやいや、待てよ君たち、その言い方だと僕だけが悪者みたいじゃないか。そもそもBGM担当は菅原だっただろ?」
「まあ、そうなんだけどさ……でもなあ、この曲の再生回数と高評価数は納得できないよなあ」
確かに菅原の言う通りかも知れない。何故なら、十万という再生回数に対し、高評価が六万以上も付けられていたからだ。これは普通では有り得ない。
「それはやっぱ、僕のネーミングセンスが共感を呼んだって事じゃないかな」
高評価が異常に多い原因は南雲本人にも分からないので、そう答えるしか無かった。
「呼ばれた気がして振り向いてみたけど誰も居なかった……か。どう考えても曲名はホラーなんだけどなぁ」
「菅原さん。歌ってる本人もホラーですから仕方ありません」
「加賀谷、それ酷い」
そう言いながら両手で顔を覆い、泣き真似をする南雲だった。
――その時。
「あれ? それって……呼ばれた気がして振り向いてみたけど誰も居なかった、だよね?」
そう声を掛けてきた女性に対し、思いっ切り顔をしかめる加賀谷。
「人のスマホを覗き込むなんて、いい趣味ですよね?」
ド近眼の加賀谷は、声を掛けてきたその相手が、大学入試の為に引退した元人気アイドルだとは思っていなかった。というか、目が悪すぎて見えなかった。
そして、相手を睨み付けたままの加賀谷は、テーブルに置かれた眼鏡を手探りで取ると……それを掛けるなり奇声を発した。
「ユゥ! みゃぁぁぁぁぁーーーん!!」
彼女の名は阿佐ヶ谷ゆうみ。通称:ゆうみゃんだ。
まさかそんなアイドル様が話し掛けてくるなんて、思いもしなかった加賀谷の頭の中は真っ白になっていた。
顎が外れんばかりに、パックリと口を開けている加賀谷。勿論だがその隣に座っている超モブ菅原も一応驚いている。念のため。
ただ、その向かいに座っている南雲は、顔を手で覆ったままだった。
誰だか知らないが、きっと驚かせてしまうと思ったからだ。
指の隙間から見える彼女は、今の季節の若葉のように、キラキラと眩しくて……
などと、顔に似合わずロマンティックな妄想を抱く南雲。
リアルの恋愛を完全に諦めている南雲は、アイドルには全くといっていいほど疎い。
だが――あれ、この子何処かで……と、そう思った刹那。
「ひ、久し振りだよね……先輩」
阿佐ヶ谷ゆうみは、ふわふわと軽く揺れるサイドの髪を、指先にクルクルと絡めながらそう言った。
その様子を見た菅原が口を開く。
「あ……うん。久し振り、ゆうみゃん」
だが、先輩と呼ばれる覚えは全く無いにも関わらず、取り敢えず答えてみた菅原の方は見てはいなかった。
――阿佐ヶ谷ゆうみの瞳には、顔を隠している南雲だけが映っていた。
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