次は私の番だよね、と、彼女は言った

弥月ねお

テンション高かったので、勢いでアップしてみた

 いつも見ています。

 ええ――いつだって見ています。


 そう――貴方のすぐ後ろで……


 ラララーララー、振り向いた貴方のー……



「う~ん……背後霊じゃあるまいし、やっぱこれは無かったな……」


 この春、大学三年を迎えたばかりの南雲がそう呟くと、すぐ前を歩いていた菅原が振り返った。


「わっ⁉」


 どうやら本気で驚いているようだ。


「お早う、菅原」


「俺を驚かせる前に声掛けてくれよ。只でさえお前の顔を見るのには心の準備が必要なんだから」


 かれこれ小学三年くらいの頃から、三白眼のうえに目付きが悪い事もあり、人に怖がられる顔だという事は自覚しているので、怖いと言われるのには慣れているが、旧知の仲だと思っている奴にそこまで言われると流石に傷付いちゃうぞ。

 南雲は心の中でそう思ったが、出来る限りの笑顔を菅原に向けてみた。


「お前の困り顔、下がりマユになって尚更怖いな……あははははっ、冗談だよ。お早う南雲」


 笑顔を見せたつもりなのに困り顔と言われた南雲は、スマホで自撮りして、今現在の顔を確認したい衝動に駆られたが、すぐに歩みを止めると深呼吸をして気を取り直す。


 その様子を見た菅原は、少しやりすぎたと自覚している様子で、南雲と共に歩みを止めていた。


 付き合ってやれるのは俺ぐらいだろ。と、これから始まるであろう自虐ネタに期待する菅原が、自分よりも頭一つ分ほど身長の高い南雲に向かって顔を上げた。


 その菅原を見下ろすでもなく、顔を下に向けたままの南雲が、その極端な猫背姿勢から、視線だけを前に向ける。


「……菅原。確かに僕は昔から、魔王だの番長だの親分だのラスボスだの、散々言われてきたけどさ……」


 その猫背からの上目遣いが特に怖えんだよ! と、ツッコミを入れたい菅原は必死に笑いを堪えながら口を開いた。


「つうか、さっきのさ、いつも見ています、とか、貴方のすぐ後ろでって何だよ? そんなの後ろから囁かれたら、誰だって怖えに決まってんだろ」


「――え⁉ き、聞こえてたのか?」


「聞きたくなくても丸聞こえだったよ……ところでさ、あれって誰かの曲?」


「……い、いや、ちょっと動画のおすすめに出てたからチラッと聴いただけで……」


 菅原は少し疑るような表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべる。


「学食で豚汁定食おごってくれるなら、これ以上追求するのはやめてあげるよ?」


「いやいや、とっておきの話を聞かせてあげるから、僕にカツカレーをおごってくれよ。豚汁付きで」


「……そりゃまた大きく出たな」


 南雲にとっても菅原にとっても、それはごく当たり前の朝。

 二人が通う大学までの道程の一コマだった。



 ――そして、午前の講義が終わった休講時間。


 学食でカツカレーを頬張る南雲の向かいの席で、スマホ片手にイヤホンを付けている菅原は、驚きの表情を隠せなかった。


「お前がアップした動画が、十万視聴回数を超えるだなんて……確かに俺がカツカレーをおごる程の案件だな」


 その言葉を聞いた南雲は、満足そうな顔で頷く。


「アップしてまだ二日目だけどね。自分でも信じられなくて……」


 再びカレーを頬張り始めた南雲は、相変わらず目付きは怖いが、明らかに照れているようだった。


「豚汁お待たせしました、南雲さん」


 南雲に声を掛けてきたのは、かなり小柄な体格と反比例する程、大きな黒縁眼鏡とおかっぱ頭が特徴の加賀谷だ。


 うどんと豚汁が乗せられたトレーをテーブルに置いた加賀谷は、菅原の隣に腰を降ろすと、トレーを南雲の方へ押すように滑らせた。


「有り難う、加賀谷」


 南雲はトレーから豚汁を取ると、うどんが残されたトレーを加賀谷の方へと押し戻した。


 学生達で賑わっている学食。

 片隅のテーブルに居ても、その三人の様子を見ていた連中がヒソヒソと囁き合っているのは分かった。


「お礼ついでに、加賀谷……」


「何ですか、南雲さん?」


「僕に対して、敬称と敬語を使うのはやめてくれないかな。高校以来の親友なんだし」


「構図的に僕がパシリだと思われてるという事なら自覚しています。でも、僕は気にしていませんからどうぞお構いなく」


 加賀谷は何食わぬ顔で、うどんに七味唐辛子を満遍なく振りかけ終わると、分厚いレンズの眼鏡を外して横に置き、瞳を閉じて合掌をした。


「いただきます」


 一礼するとパチリと瞳を開け、パチンと割り箸を割った。


「いや、加賀谷。そうじゃなくてさ……僕たちだけで、この八人掛けのテーブルを占拠してしまっている事が問題なんだよ」


 ピタリと箸を止める加賀谷。


「毎日勝手に指定席になっているんですから、僕にとっては有り難い限りですよ」


 そして、箸でつまみ上げていた麺に、フーフーと息を吹きかける。

 激辛党のくせに極端な猫舌の加賀谷。眼鏡を外していると、くりくりとした瞳も相まって、可愛らしく見えなくもない。


 このアンバランスさは、今このテーブル席に座っている三人を象徴しているようにも思えた。


 南雲は加賀谷に対して何か言い返そうとしたが、うどんをすすり始めた加賀谷を見て、恐らく無駄だと諦め、折角のカツカレーが冷めてしまわない内に、食べる事に専念し始めたようだ。


 軽快なテンポで、カツカレーをパクリパクリと口に運ぶ南雲。

 これまでの流れでも分かるように、南雲はもの凄く顔が怖い。

 例えば、裏家業が本職の方達の写真に南雲の写真を混ぜ、百人アンケートを行ったとするならば、百人全員が「カタギでは無いのは絶対この人です」と、南雲の写真を指差すと確信出来るほどだ。


 その見た目が恐ろしい南雲の向かいの席には、中の具がはみ出さないよう、ポテトサラダサンドをチマチマと食べている菅原。この男は、可も無く不可も無く、唯々普通の容姿だ。

 例えば百人の中からこの男を捜せと言われても、「そんな人は居ませんでした」と、ほぼ全員が見落とすと思える程、全く目立たない。そう、目立つところが皆無の男なのだ。


 そして、その至って目立たない菅原の隣には、唐辛子で喉が咽せないよう、うどんをチュルチュルと慎重にすする加賀谷。

 この男については、この後の展開で分かるので割愛する。


 ◇


 菅原が、二つ有るポテサラサンドを一つ食べ終わるまで無言は続いていた。


「うどんだけじゃ大きくなれないぞ?」


「大きなお世話ですよ菅原さん。それより、早く僕にもそれ聞かせて下さいよ」


 加賀谷は南雲だけではなく、誰にでも敬語で話をする。



 菅原から受け取ったイヤホンを付けると、スマホ画面を顔から十センチ程度まで近付けて操作を始めた。

 分厚いレンズの眼鏡を掛けていた事から分かるように、眼鏡無しではこれくらいの距離じゃ無ければ見えないほどの近眼なのだ。


「えっ、これってFM音源じゃないですか……でも、このイントロは中々いいですね」


「うん、結構いいだろ? 特にサビの部分がいいと思わない?」


「まだ、サビまで聴いていませんし、少し黙っていて下さいよ菅原さん。それに、サンドイッチ残ってるじゃないですか。早く食べて下さいよ」


 割とずけずけと物を言う加賀谷だが、眼鏡を外している時は、人の顔色を窺わなくて済む所為か、人格まで変わってしまうのである。


 加賀谷の言葉を聞いた菅原は、気付いたように食堂内を見回した。


「そうだな。結構混んできたから早く席を譲らなきゃだな」


 大盛りカツカレーに、具だくさんの豚汁というヘビィなメニューの南雲は、二人のやり取りに口を出す余裕は無く、ただ黙々と平らげていた……。


「……高評価も納得ですよ、この曲」


 加賀谷はそう言いながら、リプレイをタップした。


「歌ってる本人の顔を知ってるだけに、俺は何とも言えないなあ……」


「んぐっ……ごほっ」


 豚汁をすすっていた南雲が咽せる。菅原ならではの普通のジョークに、危なく吹き出すところだったようだ。



 南雲がいる限り、他の学生達はこのテーブルには着かない。

 故に本来なら南雲も、学食を利用する時は、菅原や加賀谷のような軽い物で済ませ、さっさと食堂から出て行く事を心がけている。


 魔王と下僕。そして村人A。

 他人が思い描くであろう近寄り難い構図を、この三人は心得ている。


 でも、この日は何故か、南雲は浮かれていた。

 いつもなら断るはずなのに、菅原からカツカレー、そして加賀谷からは豚汁のご馳走にあずかったのだ。



 この時、南雲は考えていなかった。

 高評価の数だけ、自分の作った曲のファンが既に存在しているのだという事を。


 そして予想もしていなかった。


 ――この一ヶ月後には、視聴回数が三千万回を超えるだなんて。


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