短冊の願いはきっと届く。遮るものさえなかったら。

 

 坂春は手元の懐中電灯を手に、テントから飛び出し、その何かに懐中電灯の光を照らした。


「……七夕の……笹の葉か?」


 坂春はその笹の葉を手に取り、全体をじっくりと眺めた。

 その笹の葉はおよそ150センチと、普通の笹の葉よりも小さいサイズだった。


 にょき


「キャッ!?」「ぬおっ!?」


 笹の葉の先から、何かが生えてきた。

 タビアゲハは垂直に飛び上がり、坂春はのけぞるのけぞるように驚いた。

 しかし、それでも笹の葉を手から放そうとはせずに、しばらくするとふたりは生えてきたものに目と触覚を向けた。

「コレッテ、オ願イ事ヲ書ク紙……」

 生えてきたものには、文字が書かれていた。


【みんなのところに連れて行ってください】


「短冊だな……まさかだとは思うが……おまえは変異体か?」

 坂春は笹の葉に向かって語り掛けると、うなずくように笹の葉が縦に揺れ、今度は別の先から短冊が生えた。


【一応、変異体です】


「みんなとは、誰のことだ?」

 次に生えた短冊には文字が生えておらず、代わりに地図のような図が書かれていた。

「矢印ノ方向ニ歩ケバイイノ? デモ、コノ波線ッテ……」

「川という意味だったら、橋を通らないとだめじゃないか? それに、明日の朝にはできないのか?」

 心配はないと首を振るように笹の葉は横に揺れ、答えの短冊がふたつ生える。


【川は浅いから大丈夫】


【今すぐでも、みんなに会いたい】


 その言葉を見たタビアゲハは、笹の葉の変異体の気持ちに気が付いたように口を開け、坂春の顔を見る。

「坂春サン、連レテ行ッテアゲテモイイ?」

「そうだな……本当は夜中に歩くのは危険だが……ここにいても眠れないだけだからな……」






 暗闇の中を、一本の懐中電灯が輝く。

 横を見れば、竹と暗闇のしまもようが点滅を繰り返す。


 坂春は懐中電灯を、タビアゲハは笹の葉の変異体を抱えて歩いていた。


 さらさらと、川の流れる音が聞こえてきたころ、懐中電灯は小さな川を照らした。




「ンッ……」


 タビアゲハははだしを小川の水につけると、少しだけ体を震わせた。

「こけてローブをぬらさないようにな」

 坂春は右手にシューズとブーツを持ち、左手で懐中電灯を前に向けたまま後ろを確認する。

「ウン、ワカッテル」

 そう答えるタビアゲハの手には、ちゃんと笹の葉の変異体がある。


【ここのあたり、お気に入りの場所】


「また何かを言っているのか?」

 短冊が生える音を聞いて、坂春はタビアゲハに確認を促す。

「コノ当タリッテ、コノ人ノオ気ニ入リノ場所ダッテ」

「ということは……このあたりに住んでいたのか?」


【お母さんとお父さんと、お兄ちゃんと弟と、いっしょに】


「……ダッテ」

 これ以降、タビアゲハの通訳は省略する。

「それなら、おまえが行きたいっていう場所は……」

「……!! オジイサン、川ヲ見テ!!」


 タビアゲハの声に、坂春は小川に懐中電灯を向ける。




 懐中電灯の光は、小川に浮く赤色を照らしていた。




 それは、短冊だった。




 子供の書いたものなのか、大人が書いたものなのか、




 水ににじんでわからないまま、坂春の両足の間をすり抜けていく。




 なぜ短冊が川を流れていくのか、理由を考察する間もなく、




 青、紫、緑、黄緑、黄色、オレンジ、白、黒、金、銀、赤……




 さまざまな色の短冊が、願い事を載せて、流れていく……




【お母さんの、短冊かも】


 笹の葉の変異体が、短冊を生やして説明する。

「コレ全部……オ母サンガ書イタノ?」

 タビアゲハの質問に、笹の葉の変異体は横に揺れて答えた。


【お母さんは笹の葉を作る仕事をしている】


【幼稚園に飾った短冊を、子供たちが大きくなるまで家に置いている】


「デモ、ドウシテ流レテイルンダロウ……」


【大きくなったら、お母さんの家に集まって、みんなで流すの】


「なんだか校庭に植えるタイムカフセルみたいな習慣だな」


 坂春の年代ではないふたりには理解できないのか、笹の葉の変異体とタビアゲハは、枝と首をかしげた。






 やがて、懐中電灯の光は小川を移さなくなった。


 少し進んだところで光は立ち止まり、坂春とタビアゲハの足元を照らす。


 ふたりが靴を履くと、再び光が動き出した。






「ふう……ちょうどいい運動にはなったな」

 ひたいの汗を温いながら、坂春は光が照らす建物を見つめている。

 その建物は、小さなログハウスだった。玄関の側には笹の葉が立てかけられており、窓は暗闇しか移していない。

「ココマデ来タケド……ドコニ置イタライイノ?」

 タビアゲハがたずねると、笹の葉の変異体は指をさすように、枝の先を曲げる。

「……玄関の笹の葉の近くがいいんだな?」

 縦に揺れたことを確認したタビアゲハは、他の笹の葉が立てかけられている場所の隣に、そっと変異体を立てかける。


 立てかけられた笹の葉の変異体は、ただ一言、


【ありがとう】


 短冊を生やした。






 暗闇が消えていこうとしていた時、まるでもう十分だろうと言わんばかりに、雲が離れていく。


 竹林を流れる小川に朝日が差し込んだころ、人影が小川に近づいてくる。

 黒いローブを身にまとった少女……タビアゲハだ。


 タビアゲハは小川の元にたどり着くとしゃがみ込み、小川に手をつける。まぶたを閉じ、まるでその温度を味わうかのように。


「タビアゲハ、なにしているんだ?」

「キャッ!?」

 後ろから聞こえてきた声に、タビアゲハは素早く立ち上がった。

 恐る恐る振り返ると、後ろに坂春が立っていた。タビアゲハは緊張のガス抜きと安心の一息をはく。

「ビックリシタ……坂華サン、起キルノ早イネ……」

「ああ、あの夜はすぐに寝られたんだが、なぜだかすぐに目が覚めてな……タビアゲハの姿がなかったからちょっと慌てたぞ」

「ゴメンナサイ……ドウシテモ、考エタイコトガアッテ……」

 タビアゲハは後ろに手を組むと、小川をチラリと見てから坂春に笑顔を向けた。


「私タチ、天ノ川ヲ渡ッタンダヨネ」


「……? なに言っているんだ?」

 坂春の目の瞳は、ゴマ粒になっていた。

「7月7日ハ、互イニ天ノ川ノ向コウ側ニイル、オリ姫トヒコ星ガ出会エル日……昨日ノ夜ト重ナッチャッテ」

 しばらく首をかしげたのち、坂春はようやく納得したように、そして申し訳ないように「ああ……」とつぶやいた。

「言い忘れていたんだが……ふたりが会うのは天の川の橋の上なんだ。片方がもう片方に会いに行くわけではないんだぞ」

 タビアゲハは関心したように口を開き、数回うなずく。

「ソレデモ、私タチハ渡ッタヨ。アノ時天ノ川ッテ頭ノ中デ考エタ瞬間ダケ」


 そう言いながら、坂春から小川へと体を向ける。






 そして、タビアゲハの笑顔は消えた。




 小川の上流から流れてきたのは、黒い液体……




 ふたりの前に通った時に見えたもの……




 それは……いくつかの笹の葉の枝と、短冊だった。




 坂春は思わず、枝の一本をつかみ、引き上げる。




 枝の切れ目からは、血液のように黒い液体があふれ出る。




 その先には、短冊が……生えている。






【みんなは……どこ……?】






 竹林の中にあるログハウス。

 その前に、一台の車が止まる。


 音に気がついたのか、ログハウスの玄関の扉が開き、質素な服装の女性が現れた。


 車から降りてきたのは……モデルプロデューサーである、細目の青年だ。





「母さん、変異体にあったの?」

 ログハウスの中のテーブルで、紅茶を口にしていた青年が聞き返す。

「ええ……笹の葉のような、化け物だったわ」

 女性はテーブルに肘をのせ、ため息を交えながらうなずいた。

「他になにか特徴は?」

「特にないわ。少し小さいだけのなんの変哲もない笹の葉。でもひと目見ただけで悲鳴が上がりそうで、心臓が破裂しそうだった……それに、切ったら黒い液体がでたのよ」

「……切ったってどういうこと?」

 クエスチョンマークを出しそうな表情でたずねる青年に対し、女性はキッチンの方向を見た。

「本当なら警察に捕獲してもらうべきだったろうけど、あの時は頭がおかしくなりそうで……訳もわからずに千切りしていた……そして、川に流した」

「……」

「あたしって、やっぱり狂っているよね。昨日来ていた大学生の子を見ていたら……あの子を思い出しちゃって、ただでさえ疲れていたのに……」

 女性の話を聞いた男は、「そうか……」とつぶやきながら、後ろを振り向いた。


「あれからもう半年だったね……あの子が行方不明になって、母さんが父さんと別れたのは……」




 男の目線の先に、1枚の写真立てがある。




 幸せそうにほほえむ父親と母親。




 少し照れているように頭をかく青年。




 その下で、元気よくピースサインをする少年。




 その隣にいる……笑顔の少女。




 小学生ぐらいの体形に不釣り合いな長い髪は、まるで笹の葉のようだった。






「タビアゲハ、気が済んだか?」


 ログハウスの窓の外からのぞいていたタビアゲハに、坂春は声をかける。


 タビアゲハは坂春を向いてうなずくと、ふたりは何も言わずに歩き始めた。






 竹のならぶ道を進む途中で、タビアゲハは空を見上げた。






 今日の空は、願い事が届きそうなほど、晴れていた。

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