第12話 駆け落ち

 薄紅うすべに紫苑しおんの仲は浅縹あさはなだの家では暗黙の了解で、本家の唐棣はねず家当主蘇芳すおうは二人の交際を頑なに認めなかった。

 ひとつは薄紅うすべにほどの娘なら、もっと名のある家へ嫁ぐことが出来るという歪んだ親心。そしてもうひとつは分家の紫苑しおんが養子であるということだ。

 どこの馬の骨とも分からぬ男に、手塩にかけて育てた娘を嫁に出せるものかと、唐棣はねず家当主の自尊心が二人の仲を引き裂いたのだ。


「お父様! なぜ話を聞いて下さらないのですか!」


「聞いたところで何も変わらん。ひと月後、お前は織部おりべ家へ嫁ぐのだ」


「嫌です! 私は紫苑しおん様のもとへ参ります」


「分家の、ましてや養子の男など唐棣はねずとは釣り合わん。織部おりべ家もこの縁談には乗り気だ。相手は少し年上だが、お前を大事にしてくれるだろう」


「私は嫌です!」


 珍しく声を荒げた薄紅うすべにが、逃げるように部屋から飛び出していく。今まで文句のひとつも言わなかった薄紅うすべにが、この縁談に対してだけは真っ向から対立してくる。初めてとも言える薄紅うすべにの反抗に多少驚きはしたものの、だからといって蘇芳すおう紫苑しおんとの仲を認める訳にはいかなかった。


常磐ときわ。あれが部屋から出ないよう、見張っておけ」


 当主からそう指示されれば、一介の使用人である常磐ときわはそれに従うしかすべはなかった。



***



 薄紅うすべには部屋の隅で泣いていた。控えめに声をかけると縋るように見つめてくる。

 常磐ときわはこの屋敷で唯一薄紅うすべにの恋を応援していた。とは言っても使用人に出来る事は限られている。


「お嬢様。ふみを書かれてはいかがですか?」


 紫苑しおん薄紅うすべには、常磐ときわから見ても似合いの二人だ。出来れば二人の恋が成就するのを見届けたかったが、それは叶わぬ夢となりそうだ。蘇芳すおうが縁談を決めたのなら、それは必ず実行されるだろう。ならばせめて、別れの時間くらいは作ってやりたいと思った。


 そのふみ常磐ときわの手から浅縹あさはなだ家の使用人へ渡り、紫苑しおんから薄紅うすべにへ返事が戻ったのは五日後のことだった。


 ふみの内容を常磐ときわが知ることはなかったが、紫苑しおんからの返事を読んだ薄紅うすべにが涙を流して文机に向かう姿を見ると、常磐ときわの胸にも切ない痛みが込み上げてくるのだった。


「お嬢様。お返事をお持ちしました」


「ありがとう、常磐ときわ


 ふみのやりとりを初めてから二週間ほど経った頃には、薄紅うすべにも落ち着きを取り戻したように見えた。


「本当に、ありがとう」


「お嬢様?」


「この家で貴女だけが味方だった。それがどれほど嬉しかったか、貴女にちゃんと伝えたくて。……だから、ありがとう。常磐ときわ


 常磐ときわを真っ直ぐに見つめた瞳に憂いはなく、静かに燃える意志の強さが垣間見えた気がした。


 その夜、薄紅うすべに唐棣はねずの家を捨てた。

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