第99話 矛盾

 幼い頃、両親の使う言葉と、祖父の使う言葉は違っていた。金融関係の仕事で営業をしていた父とバスガイド経験者だった母は、標準語でも話せる。一方、方言ばかりの祖父の言葉は、意味が分からなかった。

 方言だけではない。ものの名前も違っていた。スプーンは「さじ」、ハンガーは「えもんかけ」。初めのうち、両者が同じ意味だとは分からなかった。祖父の言葉に反応する両親を見て、同じ意味だと気づいた。

 スプーンの訳語としての「さじ」は、茶の湯で使う本来の「匙」とは違って、食事全般に使う道具である。ハンガーの訳語「衣紋掛(えもんか)け」も和服を掛ける道具だが、こちらは形がずいぶん違う。

 衣紋掛(えもんか)けとは、和服の袖にハンガーの倍の幅で棒を通し、紐で吊して干す道具。曲線部分のあるハンガーと異なり、和服専用の「ハンガー」である。昔、親戚の結婚衣装が掛かっていたのを見たことがある。

 衣桁(いこう)を衣紋掛(えもんか)けと呼ぶこともある。和服を掛けておくために用いる鳥居のような形の家具。高さは二メートルほどで、和室の隅に置く。掛けた和服の柄の美しさを生かし、室内装飾にもなっていた。

 幼い頃、両親と祖父の使う言葉は違っていた。子ども向けに言葉を選んでいた両親と、古い言い方の祖父。下手な説明がなかったおかげで、言葉は豊かになった。意味の分からない状態に置かれる経験は、貴重である。

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