第11話 終章
ゴサイ神事
二人が海面に浮かび上がると、真智子さん夫婦が心配そうな顔で迎えてくれた。
何か聞きたそうな顔をしていたが、夫婦は無言で二人を回収して湊に向かった。
「どうだった?」
と、真智子さんが躊躇いながら聞いてきたのは、しばらく経ってからだ。
「うん、行けたわ。竜宮城に」
清美がさらりと答える。
「伝説は、本当だったのね・・・」
「でも、案内が無ければ行けないみたい。あたしの顔をしたトモカズキが案内してくれたの・・」
真智子さんは神妙に頷いた。
「竜宮城、どんなところやった?」
「うん。賑やかな街みたいだったよ。でも、今は誰も住んでなくて廃墟ね」
「廃墟・・・誰もいなかったのかい?」
「ううん、居たわ。昔に行方不明になった四人の海女さんに会ったの」
「まさか・・」
真智子さんは絶句した。
戻ってどう言うかは、二人で話し合っていた。事情を知る真智子さん夫婦には、少しだけ話すと決めていた。
「ところで私達、どのくらい潜っていたの?」
と、琴代が尋ねる。
「普通より倍近く潜っていただ。私らどうしようか思って、心配で・・」
「そうだ。五分はたっぷり掛かったぞ。このまま上がって来なければどうしようかと思ったわい」
と、黒崎さんも笑顔で言った。
「五分か・・」
二人は顔を見合わせた。二・三時間、いや半日くらいは、あそこにいたのだ。それが、こちらでは数分しか経っていない。太陽の位置がそれを証明していた。
「お土産は持って無えな・・」
と、真智子さんが二人の体を見渡す。
「それだけれど・・・」
と、琴代が言い掛けて考えている。
「なに?」
「お伽話の玉手箱、西洋ではパンドラの箱っていうのもある。どちらも開けると不幸になるの。それは箱が無くても同じだと思う。其処のことを話すと災いがあるかも知れない。連れてきて貰って事情を知っている真智子さん達には話すけれど、他の人に話すと良くないと思う」
「・・・・そう言う事か。噂が広がって、嘘つき呼ばわりされるのがオチなのね。廻りから白い目で見られて、最悪だれも知り合いがいない土地に引っ越しするハメになるかも知れないね。今日の事は、夢の中の出来事だと思った方が良いね・・」
真智子さん夫婦は、何度も頷いて同意した。
静かに夕闇が訪れて、前方に薄明かりに照らされた御食媛神社の大鳥居が見えた。ここから真っ直ぐ見える参道を人々が続々と上がってゆく。その数は、小さな町にもかかわらずに驚くほど多かった。
大鳥居の両脇には大きな灯籠があり、その中に柔らかな灯りが点っていた。さらに灯籠の灯りは、参道の両側に一定の間隔を置いて、点々と長く本殿まで昇り、ひしめき合って歩く参拝者を照らし出して幻想的な光景を醸し出していた。
「凄い数・・」
と、清美が呟いた。
「ほんと。これ程とは思わなかったわ・・」
琴美も唖然として答えた。
二人共、目の前の光景を信じられない気持ちで見ていた。
「御食媛神社は、特別だよ」と、民宿の女将さんの言葉を、二人は思い出していた。
「他の神社とは比べものにならないだよ。この土地に住む人々のなかでは唯一無二の存在でよ、昔にはその事を隠していただよ・・」
昔の領主がいる時代には、絶対的な存在は迫害の矛先になり得る。そこで、神社への強い信仰を隠していたのだと言う。それ程に信仰を集めていたのだ。
そしてその信仰の対象は、神社の代表である筆頭巫女なのだ。これが、戦後のあの事件で当時の筆頭巫女の光子さんが行方不明になった時に、住民が蟻の巣を突いたような騒ぎになった訳だった。
旧暦六月二十五日の今日は、御祭(ゴサイ)と呼ばれる神社で行われる夏祭りだ。広い境内は、すでに大勢の人で埋まっていた。ここで見える人数だけでも、この町の人口を超えている事は簡単に想像がついた。
二人は比奈子に招かれて、昨日から泊まりで御食媛神社に来て、ゴサイ神事を見学していた。
竜宮の井戸に入った二人は過去に起こった出来事の真実を知った。そして、玉手箱を見る事も無く現実の世界に無事戻ることが出来た。
比奈子との絆も戻り、お互いSNSでやり取り出来る様になったのだ。
雅楽が奏でられると、巫女装束の比奈子が静かに拝殿に向かった。琴代が始めてこの神社に来たときのように、厳かな神事が始まったのだ。
巫女装束の比奈子は、とても神々しくて気軽に声を掛けることは出来なかった。
あらゆるものを超越したかのような拝殿に向かう比奈子の白い横顔を見ながら、琴代は昨夜の事を思い出していた。
昨日の夕方に神社に到着した二人は社務所の奥に招かれた。
そこは神職の大神家が暮らす家だ。比奈子がここに養子に入って、大神比奈子と名前を変えた事は既に知っていた。
「お婆ちゃん!」
部屋に入るなり、清美が声を上げた。
そこには、朝日の家に入所している米子お婆ちゃんがいた。その横には、海女の敬子さんが座っていた。さらに、比奈子の母の陽子おばさんも微笑んでいた。
「巫女様に呼ばれたのだよ。あなたたちに事情を知って貰ったことも聞いたよ。いま敬子さんに、長い無沙汰を詫びていたところだよ」
と、米子お婆ちゃんは嬉しそうに言った。
「あたし、あそこで、若い頃のお婆ちゃんに会ったよ」
清美が嬉しそうに言った。
「ほほほ、それは巫女様に聞きましたよ。清美は若い頃の私に会って、どう思ったの?」
「うん、お婆ちゃん、あたしと体型が似ていてプリプリしていたわ。結構可愛かったよ。今のあたしよりちょっと若い時だからなおさらね」
「あら、そう。私も会いたかったなあ、昔の私に・・」
「そりゃあ無理。本人だもの」
「ふふ」
琴代には、何だか米子お婆ちゃんが若返ったような気がして嬉しかった。
「ところで、あの時の騒ぎが急に治まったのは、巫女様の指示だったの?」
と、考えていた事を聞いた。
「そうよ、母が神社を通して町に伝えて貰ったの。住民の皆さんが無為に探索するのは気が引けたのね」
と、陽子おばさんが答えた。
「光子お婆ちゃんは、その後もここに巫女として来ていたのね」
「そうですよ。もっともまだ祖母も若かったし、肝心な時だけで良かったけど」
「その事は、町の人は知っていたのですか?」
と、敬子さんに聞く。
「ああ、口にはしないが私は、薄々気付いていましたよ。たぶん、皆も・・」
住民は巫女の光子が戻っているのに気付いていたのだ。それで質問に答えたくない、何となく口を濁す気配があったのだろう。
「町の人達はどうして解ったの、巫女様が光子さんだと?」
と、清美が言った。
儀式の時の巫女は、顔が判別出来ないほど離れているのだ。
「それは、確かに前の巫女様もまだ若くて、光子様と雰囲気は似ていたけれど・・」
と、敬子さんは躊躇った。
「格が違うの、巫女としての。母は何代かに一度しか出ない程の素養があったのよ。残念ながら私や祖母は並みだった。参拝者はそれを解るのよ。受ける圧力みたいなものが違う。何代かに一度しか現われない貴重な巫女を失った。それが、大騒ぎになった原因よ」
と、陽子さんが説明してくれた。
「受ける圧力・・」
琴代は、拝殿の上の巫女の目が大きくなった幻覚を思い出した。
「比奈子はさらにその上を行くわ。千年に一度の逸材よ。卑弥呼様の生まれ変わりだと言っても間違い無いわ」
陽子はきっぱりと言いきった。
「卑弥呼の生まれ変わり・・。そう言えば名前も似ているね」
と、清美。
「卑弥呼様の生まれ変わりで無ければ、竜宮の扉を開けたりする事は出来ないの。過去の祖母たちを呼び出して、あなたたちに会わせるなんて芸当はね」
「光子お婆ちゃんでも?」
「そうです。とんでも無い事なのです。過去にそれが出来たのはたった一人だと言われています。もちろん卑弥呼様を除いてですが」
「それで・・・」
琴代には思い当たる事があった。
「それで何?」
と、清美が聞く。
「その時に九人の海女が井戸を潜ったのですね」
「そのようです。彼女たちは偶然井戸に入ってしまった。そして戻れなくなったのです」
「あたしたちの案内をしてくれた娘さんたちが、そうだったのかな・・」
と、清美が呟いた。
琴代も、タオルを渡してくれた娘たちを思い出していた。
「その時の事情は、もはや伺い知れませんが、比奈子が竜宮の井戸を開けた事は、あまり力の無い私にも感じています」
と、前の巫女であった陽子が言った。
「もう一つ気になったことは、神社と九鬼氏の関わりです。神社の池が九鬼氏の家紋・巴の形ですし、七本鮫ともうひとつの家紋の七曜紋との関連性ってあるの?」
「九鬼氏は熊野の別当の士族で、当代の九鬼義隆は強力な水軍を持っていた。伊勢志摩に進出したのは、頭を持たない志摩衆の一部が彼を頼ったと言われている。密かに竜宮の井戸を守るために呼ばれたとも言われているわ。でも記録の無い昔の事で、確かなことは分らないの。七曜紋と七本鮫の関連もそう」
陽子は、自信無さそうに答えた。
「巴紋は、神社などが良く使う紋よ。九鬼家が使っていたのは、熊野大社と縁があるからね。でも、巴池と九鬼氏とは関係ないわ」
と、比奈子が明確に答えた。
あの池の名前が巴池である事を、琴代は初めて知った。
「光子さんが、孫娘三人が同い年で生まれたときに、今日のことを予感したのじゃ。それでなるべく三人を一緒に育てた」
と、琴代の質問が一息ついたことを察した米子お婆ちゃんが、自分たちの事を話し始めた。
彼女たち三人がいつも一緒に居たのは、偶然では無く親たちの意思があったのだ。
「徳永の死は、事故だった。でも人一人を殺したと言う事実は、変えられはしない。それは私ら四人の心に、常にトゲのように残っていた。それに報いるためにも私達は一生懸命働いたの。でも働く事では、心の中のトゲは取れなかった。今日まで・・」
「今日まで?」
「そうです。今日、巫女姿の比奈子に会って、やっとそのトゲが取れた。比奈子が取ってくれたのよ」
「うん、比奈子ならそんな事が出来そう。良かったね、お婆ちゃん」
と、清美が微笑んだ。
午後七時、夕闇が訪れるのと同時に御食媛神社のゴサイ神事が始まった。
境内を埋める群衆が見守る拝殿は、淡い灯りに浮き上がっていた。
数人の巫女が、本殿に供え物を運ぶ。
それが終わると、筆頭巫女の比奈子が進み出て、詔を厳かに唱える。
群衆は頭を垂れて手を合わせて聞き入っている。
詔が終わると、雅楽が響き渡ってきた。それは次第に大きくなり、巫女はゆっくりと舞いはじめる。
荘厳な調べが巫女の動きを引き立てていた。いや、巫女の動きが荘厳な音曲を引きだしていると言ってもよかった。
巫女は幻影を引き連れながら、変幻自在に舞っていた。
巫女の舞は、夢のように妖しく、幻のように神秘的だった。一千年に一人のこの巫女は、時間も空間も超越した存在なのだ。
参拝者は、粛としてその舞を見ていた。手を合わせて泣いている者も多い。
雅楽は神を楽しませ、巫女舞は神をも癒やす舞だ。
人々は、巫女の舞を見ているだけで心深く負った傷が癒やされてゆく。そして、今を生きる事の幸せと明日への希望が湧いて来るのだ。
竜宮の井戸 kagerin @k-saburou
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