第10話 事件の真実
九、事件の真実
丸い半透明の空気の壁が、中心から割れて丸い広がりを見せた。
その中に風景が見える。
それは、岸壁にへばりつくような小さな建物だ。小屋の周りには、漂流してきて海岸に打ち上げられた木端が沢山積み上げられている。
(海女小屋だ・・・)
琴代はすぐに解った。志摩に来て海岸を歩けば、こんな建物があちこちにあった。
「私たちの小屋よ!」
と、小屋を見た懐かしさからか、四人の海女達からも歓声が上がった。彼女たちは七十年も前に志摩から姿を消した海女で、その当時の若い姿のままだ。そして琴代と清美の身内だった。現代にいる筈も無い人たちだったが、ここは竜宮城。現実にはありえない夢の中のような世界だ。
その海女小屋に、漁船に乗った男が尋ねて来た。
「徳永!・・」
その男を見た瞬間、四人の海女が呟き、体が強張るのが分った。
見慣れない男は、ガッチリとした体に黒く日焼けした顔をして、関西弁のなまりがあった。
「戦時中にうちの会社の商船が、米軍の銃撃に会ってその半島沖で沈んだのや。幸いに乗組員は脱出して無事やったが、積荷には貴重な物があった。それを回収したいのや」
と、男は高額の代金を提示した。
男が海女小屋の代表の年長者の海女に渡した名刺には、三港汽船・総務課 徳永英二となっていた。
「物は何だね? あたしらには大きな物は揚げられないよ」
と、年長の海女が徳永に聞いた。
「この人は、和代さんと言って私達の小屋のお母さんです」
と、四人の中の誰かが説明してくれた。
「金貨や。支払いのために名古屋に運ぶ途中だったのや。これくらいの箱に入っているんや」
男は、手で米櫃くらいの大きさを示した。
徳永はその会社の経営者の一族で、沈んだ船に乗っていたと言う。戦争が終わって世の中が落ち着いたので、会社の立て直しの為に、沈んだお金を引き上げに来たと言うのだ。
「それぐれいの物ならば、うちらにも揚げられよう。だども、沈んでいる場所が分からねえだろに・・」
「俺が大体の場所はわかる。その辺りを虱潰しに探したいのや」
「虱潰しったって、潜るのはしんどいよ。海女は一時間潜ればへとへとになって三時間は休むだよ」
海女は午前中に一度潜ると、午後二時頃まで海女小屋で休む習慣だ。その間に昼食を取って昼寝をしたり、獲物の処理や道具の手入れをしたりする。
「三日間や。その間に出来るだけ時間を掛けて調べたい。四人で行って、まず二人が交代で潜るんや。一時間経ったら待機していた二人と交代するというやり方ではどないや? なに、一・二度潜れば海底の状況が分かる。そしたら船を移動させるんや。漁より潜る回数は少ない筈やで」
「・・・しっころカズキか。トモエは経験がいるけんど、あんたがおやりになさると?」
海女が潜る事をカズキと呼ぶ。
普通のカズキは、一定時間の間にそれぞれが自由に潜るが、深い所では船に装備した滑車付きの重りを持って潜る。一度潜ると息を整え体力を戻すために、少し休憩が必要だ。その間にもう一人の海女が交代で潜るのが、しっころカズキと言うやり方だ。
船を操る船頭はトマエと言う。
トマエは、潮流や風向きに注意しながら船の位置を確保する必要があり、海女が潮に流されて移動するので、トマエは船を操りながら海女を監視するという熟練を要する作業なのだ。
「そうだ。俺は、海と船には慣れている。それに漁をするのでは無い、地形を見て沈んだ船を探しながら、万遍なく移動する必要があるんや」
「それも、大変だぁ。でもしっころカズキなら、何とかなるか・・。それで潜るのは何時から何時までだね?」
「出来れば、八時から十七時までだ。その間、行き帰りの時間がもったいないから、島で野営をしたい」
「そりゃあ、きついわ。年寄りではとてもできん仕事だぁ。おまけに泊まりとなると、家族持ちの者ではいけん。誰か行くものいるか?」
和代は、そこに居る海女を見回して言った。
「うちは無理。子供の世話をせにゃならん」
と、みちが言った。
みちは、この中では熟練者で、深く潜れる稼ぎ頭の三十代の海女だった。だけどみちには、十才を筆頭に小さい子供が三人もいるのだ。
みちの言う事を聞いて、和代は黙って頷いた。
「あ・あのう、うちはやってもええけど・・あまり深いところは・・」
と、おずおずと言い出したのは、十九才のさちだ。
さちは海女の仕事に就いて三年の若手である。若いだけあって体力がある。だが潜るのは十メートルくらいまでだ。それが経験を積んだ三十代になると、十五メートルくらいまで潜れるようになる。
「場所はどの辺りだ?」
「詳しくは言えないが、大島の南だ」
「あそこか・・」
大島とは南に三キロほど下った所にある無人島だ。その辺りには、水面下に岩礁が無数にあり、波が早く航行する船にとっては危険な海域だ。沈没船が無数にある。船の墓場と言っても良い。だが逆に岩に付く魚や貝が多く、海女にとっては難しいが最高の漁場だといえる場所でもある。
「目当ての場所は、どの位の深さだね?」
「岩礁だ、そう深くは無い。十から十五メートル位だろう」
「それならば、分銅を使えば何とかなるか。船を探すだけで、獲物を獲る時間が要らないだで・・」
和代は、おさちの技量を考えて呟いた。
海女の潜りは時間との勝負である。普通の海女は息を止めていられる時間は一分足らず。その間に潜って、獲物を探して、獲物を獲って、浮上するのである。故に深くなると、潜水浮上の時間が長くなり獲物を獲ることが難しくなる。
船から潜る海女は、それを補うために分銅と呼ばれる重りを持って一気に潜り、浮上するときにはトモエに合図をして船上に設けられた滑車によって一気に海面まで戻るのである。
「他に行く者はいねえか。さち一人では勤まらねえだ」
「じゃあ、あたいも行くよ」
「さちが行くなら、私も行く」
と、およねとさちの姉のおかつが手を上げた。
「三人か、三人でも交代で何とかなろうか・・・」
と、和代が呟いた時、光子が手を上げた。
それに気付いた皆に、動揺が起こった。
「辞めてくだせえ。光子さんは、こんな仕事に行っては行けねえだ」
と和代が止めた。和代の言葉に皆、同意して頷いた。
「私も行きます。行かなければならないのです。決めました」
と、光子は強い言葉で言った。それは、威厳に満ちていて誰にも逆らえない響きを持っていた。
「あっ・」と、止めようと言葉を探していた和代が、
「しかたがねえ。光子さんがそう言うのならば・・」
と、ガックリと首を折った。
こうして海女の中から若手の四人が行く事になったのだ。
「こういう風に決まったのですね」
と、様子を見ていた琴代が言った。
「そうです。光子お婆さんは彼女らに降りかかる運命を予知して、それを助けるために敢えて参加したのです」
と、比奈子が光子にかわって説明した。
場面は翌日に変わった。
徳永が乗ってきた船に、三日間野営できる準備をして来た海女四人が乗って湊を出た。船には、徳永が沢山の水や食料品・寝具などを積み込んでいた。
一行は、大島の洞窟にそれらの荷物を入れると、早速現地に移動して潜り始めた。
徳永は、海図とコンパスを見ながら巧みに操船をしていた。海女達は交代で潜っていた。
場面は、洞窟内で焚き火を見つめる彼女たちに変わっていた。徳永は、一人離れてランプの火で地図に何か書きこんでいた。
「一日目は、数隻の破船の残骸を発見したけれど、目的の船ではなかったのよ。大島の洞窟に戻ると、焚き火をして食事を取った。徳永は、海図とにらめっこで次の日に潜る位置を検討していたわ」
と、よね子が状況を琴代と清美に説明した。
場面は変わって、再び潜水作業に移っていた。
「ピュー、ピュー」と、もの悲しい磯笛を吹きながら、呼吸を整えている海女たち。徳永は、艪を持ちながら海図や陸地を見て位置を決めている。誰の顔にも笑みは無かった。真剣で厳しい顔を全員がしていた。
「翌日は、時間を惜しんで昼食のおにぎりも作っていったの。目的の船が見つかったのは、船で昼を取った後の事よ。
水深は十五メートルくらい。分銅を使って何とか潜れる深さだった。船端に「三港丸」とはっきり書いてあった。それを知った徳永は驚喜したわ」
「操舵室の後の船長室だ。船長室の箪笥か物入れに皮の鞄があるはずだ。それを揚げて来てくれ。上手く行ったら、さらに手当てを出すぞ」
と、徳永が嬉しそうに言う。
さちと光子が潜る。そして上がって来る。上がって来てもすぐには話せない。
二人が呼吸を整えるのを、他の者がじっと待っている。
やっと話せるようになった二人が、次の二人に何事か指示をする。頷いた二人が同時に潜る。
そう言う事が何度か繰り返された。肝心の船長室の特定や入り方が難しいようだった。何度か潜っては戻ってきた二人が明るい表情を見せたのは、しばらくあとの事だった。
緊張した顔の徳永が分銅を引き上げてみると、分銅のロープに鞄が取り付けられている。かなり重そうな皮の鞄だ。
「これだ!」
徳永が喜色を露わにした。
場面は再び洞窟の中になった。焚き火で炊飯している横で、徳永がナイフやら工具を使って、鞄の鍵を壊していた。そして鞄は開いた。中身を見た徳永は満面の笑みを浮かべた。
「よくやってくれた。これで仕事は終わりだ。なに、三日分の賃金と特別手当も払う」
と上機嫌の徳永だった。
「乾杯だー」
持って来ていた酒で祝杯を挙げた。おかつらも付合っていた。
「この祝杯がいけなかったの。私達も進められて一杯だけ付合った。だけど徳永は、仕事が上手く行った嬉しさからか、つい飲み過ぎてしまったのよ」
と、かつ代が言った。
「酒に酔った徳永は、わたしを襲ったの。抵抗したけれど、男の力には叶わなかった。それに私は、深い沈没船での作業で疲れ果て、一杯の酒でボーッとしていたの・・」
と、さち代が震える声で言った。
「私達もそうだった。気が付いた時には、おさちが組み敷かれていた。おかつさんと慌てて徳永を止めようとした。三人でもつれ合った、それで気が付いた時には・・・」
と、よね子が呟いた。
場面は、徳永を囲んで呆然と見つめる四人の姿。その中心の徳永の胸にはナイフが刺さっていた。地面には血が流れて、天井を見つめた徳永の目は動かなかった。
「なにか大変な事が起きるのは分っていたのです。ですが私には、その内容までは分らなかった。死んだ徳永を見てこれだったのかと思いました。止めることは出来なかった。だけどまだ何か出来ることはあるのでは無いかと考えたわ。ともかくこれは事故です。元はと言えばおさちに手を出した徳永が悪い。なのに皆が罪に問われて、おさちが犯された事を知られるのは耐えられなかった。それで色々考えて、皆で姿を消す事にしたのよ」
と、光子さんが説明した。
「徳永の死体を隠して、知らぬ振りをして帰れなかったの?」
と、琴代は聞いた。
「そう、それが出来れば一番良かった。だけど、皆の動揺が大きくてとても知らぬ振りをして過ごす事が出来そうになかったのよ。ですから、皆で姿を消す事にしたの」
「何処に行ったのですか?」
話しを聞いて涙を流している清美が聞いた。
「京都です。志摩から遠くに離れたかった。だけれど、実際に長距離を移動するのは困難です。その点、京都はほどほどの距離で都合が良かったのです」
と、かつ代が言う。
「それで京都なのね。だけど、若い女性ばかりで大変な事だわ・・」
と、清美がため息をついた。
「大変だったわ。でも当時は何処も焼け野原で混沌とした時代だったの。今で大変と考えるよりマシだと思うわ。若いと言っても今の十九才の若い娘とは違うのよ。何年も働いていて社会生活の経験を積んでいる。今で言えば三十才前くらいの感じかな。それに姉御肌で引っ張ってくれるおかつ姉さんと、危険な事は事前に予知して避けてくれる素晴らしい軍師がいたのですもの。私達はころころと働くだけで良かったのよ。二人のお陰で、知らぬ間に会社が大きくなって、暮らしも楽になったわ」
と、明るくよね子さんが言った。こういうところは清美にそっくりだ。
「京都は空襲の被害が少なかったのよ。そのせいで周辺の町から大勢の難民が押し寄せてきていた。神戸・大阪など焼け野原になって、雨風を防ぐ屋根さえも無かったのですから。親を空襲で亡くした孤児も多かった、なので新しい戸籍も簡単に作れた。光子さんの指示を聞いて、引き上げた金貨を大阪の闇市で換金して家を買い、事業の資金にしたの」
と、当時皆を引っ張ったかつ代が説明した。
「とにかく必死で働いたの。もっとも世の中の人皆が必死だったから、取り立てて言う事もないけれどね」
と、やっと体のこわばりが取れたさち代が言った。
「どう、琴代・清美。これがあの時に、お婆ちゃん達に起こった事よ、理解できた?」
と、比奈子が聞いた。
「うん、徳永が死んだ事情以外は、想像どおりだったわ」
「えー、さすが、不思議少女ね。そこまで読んでいたのね。あたしはそんな事まで想像していなかった」
と、清美が笑顔で言う。
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