勇者の息子は魔法使い

とぉ

この世界の真相は

 魔王が倒されて十五年が過ぎた。

 魔王という絶対的な死の恐怖から解放され、人々は平穏な生活を送れる時代がやってきたのだ。

 今の時代、進んで冒険者になる人口も減少し安全に生活出来るよう世界が動き始めていた。

 しかし魔王が討伐されたとしても魔物はまだ確かに存在し、冒険者という職業が無くなることはなかった。

 でもだからといって進んで冒険者になりたいだなんていう子どもはもういない。時代遅れなのだ。

 ここは若草村。木々に覆われた自然豊かな村。俗に言うド田舎である。

 その中の何の変哲もない小さな家に俺は住んでいる。

 昼食を終え、片付けをし始めようとした矢先、不意に話題が振られる。

「ユウ、いつになったら旅に出るの。もういい年なんだから冒険の一回や二回してきなさい」

「行かないよ。それに冒険に出るのを一回二回の単位で聞いたことがない」

 なぜ家の母親は息子を旅に出させたがるのか理解が出来ない。

 冒険なんかしなくてもこれからの時代は平和に生きていける。

 そんな世の中をわざわざ危険を冒して生きていくだなんて、余程スリルを求める考えの持ち主でないと選択できないであろう。

 とにかく俺は平和に生きていきたいのだ。平和が一番。

 うんうんと自分の考えに浸っていると体が宙に浮かび上がる。

「しょうもない言い訳してないで外にでも行ってきなさい」

「どわッ」

 家からつまみ出されるとバタンとドアが閉められた。

「ったく、家では魔法は禁止だって言ってるのに」

 魔法。万物をも操れる力。物理法則をもねじ曲げる力。そして禁忌の力。

 こんな小さな村でも魔法を操る者がいるように、何も特別な力ではない。

 ただその力の多くは生活に活用されるような小さなものであり、鍛錬して冒険者として使えるようになるのは難しいと聞く。

「仕方ない。アオイの所にでも行くか」

自宅から目と鼻の先に住む幼なじみのところへ足を進めた。

この村には子どもと呼ばれる年齢の住民は俺達しかいない。故に遊び相手はアオイぐらいしかいないのだ。

「おーい。アオーイ。出てこいよ」

家の中にも聞こえるように大きめの声で目的の人物を呼ぶ。

 すると外に居ても聞こえるようなドタドタという足音が段々と聞こえてきた。

 勢いよくドアが開かれると息を荒げた女の子が姿を現す。

「ちょっとユウ!そんな大きな声で呼ばなくても聞こえてるから」

 琥珀色の目は彼女の性格を現したかのように澄んでいて、黒よりも明るい色の髪はポニーテールにしている同じ歳の幼なじみ。

 そんな彼女に会いに行くのが俺の日課となっていた。

「暇だから遊びに行かない?」

 ちょっとそこまでといったジェスチャーをわざとらしくしてみた。

「また家を追い出されたんでしょ?仕方ないから付き合ってあげるわよ」

「サンキュ」

 まったくという表情でアオイはドアを閉め歩き始まる。

 行き当ては森の中にある少し拓けた場所。そこでいつもよく時間を潰している。

「でもあんな大きな声で呼ばないでよね。村の皆に聞こえるじゃない」

「ん、聞かれたらまずいのか?」

「まずいも何も…。わ、私まで遊び癖があるみたいじゃない!」

「何だよそれ。まるで俺がいつも遊んでるだけみたいじゃないか」

「その通りでしょ」

「はっきり言うなー」

 にししと笑ってみせる。

 アオイもまた微笑み、たわいもない会話をしているうちに目的の場所へとたどり着いていた。

 さて、と前言葉を言いアオイは口を開いた。

「ユウ、お父さんの話…何か聞けた?」

アオイが言うお父さんというのは俺の父親のことを指しているのであり、この町で鍛冶屋を営む元冒険者の話である。

俺の父親は魔王を討伐した勇者である、と一ヶ月前に母親から聞かされてからアオイとはこの話が主になっていた。

「それがなかなか話してくれないんだよ。冒険の話とか、魔王のこととか」

「なぜ話してくれないのかしら。別にお父さんはユウが冒険者になることは反対してないのよね?」

 アオイは顎に指を添えまるで名探偵になったかのように確認の質問をぶつけてくる。

「ん。でも母さんと比べると積極的でないというか…。俺に剣技を教えてくれる訳でもないし。何を考えているのか読めないんだよな」

 実際勇者の話を聞いたのは、パーティメンバーの母さんとの馴れ初め話であったりどうでもいい話ばかりだ。

 唯一確信に迫った話だと思ったのは、魔王を討伐した剣が親父に鍛治屋奥にしまってあるということ。チラッと見せてくれたことがあったが、それは普通の剣にしか見えなかった。

「お母さんは何か話してくれていないの?」

 父親からの情報がないのなら母親の方だと思ったのだろう、アオイは質問を変えてくる。

「母さんは「当時のお父さんは格好良かった」とか「お母さんも凄かったのよ」とか聞いてもないことは言ってくれるけど、冒険の事は何も」

「そっか。今日も新情報はなかったのね」

 残念と付け足しあからさまに肩を落とす。

 アオイにとってこの話題は何の変哲のないこの村のやっと見つけた刺激のようなものなのだろう。

「まぁ、また親父に聞いてみるよ」

だから…な、と子どもをあやすように気を使った。

「分かった。…じゃ今度は研究している魔法について発表よ!ユウ何かない?」

 切り替えの早さはさすがだなぁと温かい目で見守りつつ、最近研究している魔法についてアオイに教えてやる。

 魔法は正しい詠唱と構想の理解、体内に溜まっているマナを消費することで発動できるものが基本とされるが、研究を重ねれば自分で開発することもできる。

 ただし熟練の魔法使いでも開発することは難しいとされ、十四歳の俺達にはゼロから作るのは到底出来ない。

 しかし無理でもやってみようというアオイの一言から数年前から魔法についての研究を重ねている。

「今考えているのはアンチ魔法、リジェクト。…見せた方が早そうだな。アオイ、簡単な魔法使ってみてくれ」

「ええ、いいわよ。ライト」

 アオイの右手から光の球体が浮かびあがる。ライトは明かりを照らす日常でも使う簡易的な魔法だ。

「よし、じゃ早速」

 アオイのライトで暖をとるかのように両手を近づける。

「リジェクト」

 するとアオイの魔法が段々と弱まっていき次第に消えていった。

 さすがのアオイも驚いたようだ、目を見開いてバッと顔を俺の方に向ける。

「凄い!ライトが消えちゃった。ねぇ、どうやったの?」

 目をキラキラさせながら俺の言葉を待つ。

「簡単に説明すると魔法を持ち主に返すイメージでやってみたんだ。魔法を発動して生み出すのと逆のイメージで」

 口では簡単に説明してみせたが、実際自分の魔力消費量が激しい上に、アオイがライトを生み出し続けたら消されても問題ない魔法である。

「実用化にはまだまだ課題が山積みだけどな」

 たははと頭を掻く。

「でも凄いじゃない。これでまた魔法使いとしてのレベルが上がったわね!」

 テレテテッテテーンとBGMが流れるような台詞だな。

 俺の魔法に対抗したいのだろう、アオイも研究している魔法について語り始めた。

「じゃ…次、私。私が研究してるのはね…テレポートよ!」

 ドヤと言わんばかりの決め顔で、無い胸を張るアオイ。

 と思っていた事が顔に出ていたのか、アオイはムスっとしてしまった。失礼しました。

「…まぁ見てなさい。テレポート!」

 すると目の前にいたアオイが突然消えてしまった。着ていた服を残して。

 何が何やら分からなくなった俺はアオイが居た場所をずっと眺めていたら、突然背後から目を覆われた。

「えーと、アオイさん?」

「ユウごめん。こんなつもり無かったのだけれど…。とりあえず、ね?」

 アオイが何を謝っているのか分からなかったが、とりあえずうんと頷いた。

「…ライト」

 その瞬間俺の目に直接まぶしい光が差し込んできた。

「ぎゃあぁぁぁぁ!目が…目がぁ!」

 堪らずのたうち回る。何も見えねぇ。

「ホントごめん」

 アオイの申し訳ないようなつぶやきとガサガサという音しか情報を得られなかった。

 この後一時間ほどかかりやっと目が見えるようになった。


「じゃ、ユウ。また明日ね」

「ん、また明日」

 アオイと魔法の研究や与太話などをしていると辺りは暗くなり始めていた。

 また明日会うことを当たり前という風に、各々の自宅に向かう。

 俺は自宅横の鍛冶屋に入り、目的の人物に話しかける。

「親父、ただいま。勇者の話…聞かせてくれないか」

「おかえり、ユウ。何度も言ってるが面白いもんじゃねえぞ」

「それでも――」

 俺の話を遮るように親父は飾ってある剣を手にする。

「ユウ、そういえば明日誕生日だったな。剣、見てやるから部屋から自分の剣持ってきな」

「…分かったよ」

 話を聞きたかったが、剣の稽古を見てくれるなんてことは今までなかったため素直に従うことにした。

 鍛治屋を出てすぐ隣の自宅の扉を開ける。

「ただいま、母さん。親父が稽古つけてくれるってさ」

 自分の部屋に向かいながら状況説明を済ます。

「へぇ、気をつけるのよ。ユウ」

 勢いよく部屋の扉を開け棚の上に飾ってある剣を手にする。

 物心つく前から飾ってあるその剣は、装飾こそあまりしていないが大事にされているのが自分でも分かるぐらい丁寧に手入れされている。

 母さん曰く、お守りになるように置いているものであり大事にしなさいと言われてきた。

 その剣を手に親父の待つ鍛冶屋に足を急ぐ。

 鍛冶屋の前で待っていた親父はやっと来たと言わんばかりの顔で俺の到着を見届ける。

「ユウ、俺が剣を見るのは初めてだったな」

 そう言い懐に刺している鞘から剣を抜く。

 親父の剣はまるで龍をイメージしたかのような見た目をしており、俺の剣より太く切れ味も良さそうだ。

 剣の先を俺の方に向け、俺が剣を抜くのを待っている。

 大きく深呼吸をし、剣を握る。

 そして勢いよく剣を抜いた。

「いつでもいいぞ」

 先に斬りかかってこいと自信満々に親父は言うものだから、遠慮無く斬りかかるとする。

 全力で走り出す。

「うっらぁぁぁぁ!」

 走った勢いを殺さないように少し飛び大きく振りかぶって真上から剣を落とす。

 それに対し親父は左に半歩動き、自身の剣で俺の剣をいなして斬りかかってきた。

 いなされた事に驚いたが、すぐさま左手でも剣を握り、親父の剣に対応する。

 ズシンと重みのある一撃に堪らず右膝を地面に着いた。

「まだまだ甘いな」

 親父は左足で俺の顔に蹴りを入れる。

「ぐぁっ」

 蹴りにより吹き飛ばされた俺はすぐ体制を整える。

 が、顔を上げた時には親父の剣の先が俺の顔近くに向けられていた。

「ここまでだな」

 親父はニコと笑いかける。

 分かっていたがここまで差があるとは思っていなかった。

 勇者とはこれほど強かったのか。どれだけ訓練を重ねてきたんだ。

 悔しさと自分の弱さで自分が嫌になる。

「まぁ落ち込むな。相手が悪い」

 ポリポリと頭を掻き慰めようと言葉をかける。

 それでも立ち直れない俺に痺れを切らしたのか、しゃーねぇと親父は続きを言葉にした。

「…特別に技を一つ教えてやる」

 そう言うと親父は手に持っている剣を鞘に戻し、体勢を深くする。

 目を閉じすぅっと息を吐いてしばらく止めた。

 シーンと静かな時間が流れる。

 カッと目を開き、剣を思い切り抜刀した。

 何か光るものが一瞬見えたので、親父から直線方向の景色に目をやる。

 すると五〇メートルは距離がある木が一本倒れ始めた。

 信じられないと思い親父の方へ振り向いた。

 親父は、にししと笑いながら自慢げに口を開いた。

「一閃だ」

 そう技の名前を言い、剣を鞘に納める。

「剣に魔力を込めろ。切り裂くようなイメージで剣を抜け。それだけだ」

「それだけだって簡単にいく訳…」

 そんな簡単に出来たら皆使うだろ、と心の中で意見した。

「出来なきゃ出来るようになるまで練習しろ。工夫次第で出来るようになる時もある。慣れりゃ魔法だって付与出来るしな」

 そう言うとくるっと親父は振り返り鍛冶屋の方へ歩きだした。

その後ろ姿は大きく親父の人生をも俺に考えさせた。


 夜が明けても俺はまだ一人で剣の鍛錬を積んでいた。

 昨夜親父が見せた一閃が未だ出来るようにならない。

 もう一度技の一連を思い出してみる。

「まずは、こう」

 重心を深くし剣を鞘に納める。

 そして息を整え目を閉じ瞑想する。

「………」

 ここでイメージする。

 魔力を剣に集中し、抜くと同時に鋭く飛ばす。

 ただそれだけ。大丈夫だ。いける。

 太陽が姿を見せ始め、草々の微かに揺れる音だけが聞こえる。

 集中すればするほど環境音が耳に響く。

 もう一度決心を固め勢いよく剣を抜刀した。

「一閃!」

 一瞬、ほんの一瞬だけ光の刃が見えた。

 親父のように強くハッキリとではないが出来た。

「ぷはぁ」

 ずっと張り詰めていた集中力が一気に切れ地面に倒れ込む。

 背中が感じるひんやりとした感覚と少し暖かくなってきたそよ風が凄く心地良い。

 目を閉じしばらくその感覚を味わっているとおしとやかな足音が聞こえる。

「ユウ、よく頑張ったわね。でも頑張りすぎもダメよ」

 いつもの元気な声音ではなく包み込むような語り方をしてきた。

「母さん、親父って凄いや」

「…知ってる。だってお父さんなんだもの」

 そう言った母さんの目はやさしくどこか遠くを見ているような強さがそこにはあった。

 そして今思い出したかのように手を合わせそっと口を開いた。

「朝ご飯、できてるわよ。さっさと戻ってきなさい」

 他に何も音がしてないのでハッキリと聞いてとれた。

 その声には重みが込められているように感じた。

 そして少し間を開け付け加える。

「それと誕生日おめでとう、ユウ」

 そう言うと母さんは自宅に向かってゆっくりと歩を進めた。

 その姿をしばらく目で追い、俺は立ち上がって歩きだした。



 朝食を食べ終えた俺は疲れのせいか泥のように眠ってしまい目が覚めると隣にはアオイが頬を膨らませながらこっちを見ていた。

 その光景がすぐに理解出来ず固まっているとアオイの方から声を掛けてきた。

「ずいぶん幸せそうに寝てたじゃない。良い夢でも見てたのかしら?」

 その声音には優しさもくそもなく、ただただ謝らないといけない雰囲気を醸し出す。

「おはよう…ございます?」

「えぇ、おはよう。今何時だと思ってるの」

 そう言われチラッと時計を確認する。

「えーっと。朝の8時かな」

「えぇ、8時は合っているわね…。でも外を見てみなさい。朝という割には暗いわね」

 何を寝ぼけたことを、とアオイは眉間を押さえため息をついた。

 ええ、分かってますとも。

 今が夜の8時だということぐらい。

 そしてアオイがなぜ俺の部屋にいて機嫌が悪いのか、も。

 ふう、と息を吐きベットから起き上がる。

 そしてアオイの方を向き姿勢を整えた。

「遅くまで寝てしまい、申し訳ありませんでした!」

 土下座である。

 これ以上ないほどに精神誠意、気持ちを込め謝罪する。

 清々しいほどの謝罪に対しアオイはやれやれといった表情で俺の肩に手を置いた。

「もう…誕生日ぐらい普通に祝わせなさいよ」

 そう言いプレゼントを渡してきた。

 袋に入ったそれを受け取りもう一度精神誠意の気持ちを込めて。

「ありがとう。うれしいよ」

 今度は謝罪ではなくお礼の言葉を口にする。

「開けていいか?」

「どうぞどうぞ」

 俺が袋を開けるのを優しい目で見守るアオイ。

 俺も誕生日のプレゼントをもらった高揚から自然と笑みが溢れだす。

 きれいにラッピングされた紐を解こうとした、その時。

 ドンッ!

 という音と共に地響きが起こった。

「きゃぁッ」

「……!」

 いきなりの出来事にアオイは悲鳴を上げ、俺はプレゼントから手を離しアオイを抱き寄せる。

 しばらくすると地面の揺れは収まったが、外では何やら大きな音が起こっている。

「外で何が起こってるんだ」

「…見に行ってみましょう」

 アオイは俯いたまま俺から離れ、急いで部屋から出て行く。

「…一応持って行くか」

 何が起こっているのか分からないので、部屋に飾っている剣に手をかける。

 そして俺もまたアオイについて行くように部屋から飛び出した。


「どうなってんだ」

 家から出た俺は村の現状を見て驚いた。

 いつもは静かで穏やかな風景が一変し、何かが起こっていることは明らかであった。

 木々は倒れ炎が立ち上がり、家に至っては半壊しているところもある。

 爆発のような現象が起こったのが目で見えたことで我に返ることができた。

「様子を見に行こう。アオイ」

「…………」

 チラッと隣を見るがアオイは固まったまま動かない。

「アオイ…、アオイ!」

 少し大きな声を出したことでアオイは動き始める。

「あ、ユウ。何、これ」

「分からない。だから様子を――」

 見に行くぞ、と言おうとした瞬間強い風が吹いた。

 咄嗟に目をつぶったが、風が収まったタイミングで目を開けると目の前に誰かがいる。

「おや、純度の高い魔力の所に来てみたら子供が二人、ですか…」

 突然現れたそいつは長い耳と羽、おまけに尻尾までついている、一目で人間ではないと分かる風貌をしていた。

 人以外の種族は沢山存在するが、この特徴に当てはまるのは一種族しかいない。

 

 魔族である。


 魔族の中でも人型のそれは一際魔力が高く、知恵もあることから最も危険とされる存在。

 その悪魔が目の前にいる。

「……ッ!」

 目の前にいるだけなのに体が萎縮するのが分かる。おそらくアオイも同じであろう。

「どちらが純度の高い魔力の持ち主なのでしょうか…。まぁ、どちらも殺しますが」

 その悪魔は右手で空をなぎ払うように横に動かす。

 その動きが何を意味したのか分からないが、咄嗟に俺は左にいるアオイの頭を押さえしゃがみこんだ。

「…よく反応できましたね」

 悪魔はその行動が不快だったのか、一瞬間をおいて話し出した。

 何が起こったのか全く分からなかったが、少しだけ振り向き視線を後ろに向ける。

 するとそこには家の扉に深い切れこみがあった。

 まるで剣で斬ったかのようなそれは目の前にいる悪魔の仕業であろう。

「何が、目的なんだ…?」

 恐怖からかすらすらと言葉が出てこない。

 自分でも質問が跳躍しすぎだと思ったが、この状況を何とかするために会話で時間を稼ぐ。そして生き残るために頭をフルスロットルで回転させる。

目の前にいる悪魔は、はて、といった表情でその質問に答える。

「強いて言うなら、暇つぶしでしょうか」

「なっ」

 さっきの攻撃で躊躇がないことを見るに殺しにかかっていることは分かっている。

 その理由が暇つぶし。

「ふっざけるなぁぁぁ!」

 思い切り地面を蹴りその悪魔に向かって走り出す。

 剣の柄を握り、悪魔に当たる距離まで近づいたら抜刀しようとする。

「うぐッ!」

 が、あと距離が二メートルといったところで襟元をひっぱられ後退していた。

「何が――」

 起こったんだ、と言うより早く目での情報がその結果を教えてくれる。

「ユウ、危ないからここから早く逃げなさい」

 そう言い放ったのは普段見飽きている母の姿ではなく、真剣な表情の今までに見たことのない母の姿。

 手には大きなステッキ状の装飾が施されている魔法の杖。

 先ほど後ろに引っ張られたのはおそらく母さんの魔法であろう。

「おや、あなたは…もしや勇者と共にいた魔法使いの女ではないですか?」

 母さんの姿を見るやいなやハッと思い出したかのように悪魔は言う。

「……」

 母さんは悪魔の方をじっと睨んだきり反応はしなかった。

「…こんなところで勇者パーティの生き残りに会えるとはラッキーですね。こちらとしましても探す手間が省けたというところです」

「あなた魔王軍の悪魔よね。私とどこかで会ったかしら?」

 冷静にお互い探りを入れていく。

 その会話が繰り広げている中、俺とアオイは息を殺してただ見守るしかなかった。

 当然隙を見て逃げようとするが目の前の悪魔がそれを許してくれない。

「おっと、名乗るのが遅れましたね。私は魔王軍が幹部、参謀のマルファミトス。すぐに殺しますので、覚えても意味がないと思いますが、どうぞお見知りおきを」

 ペコリと人間のようにお辞儀をするマルファミトス。

「…その幹部の悪魔が何をしに来たのかついでに聞いてもいいかしら?」

「そこまで話す気は毛頭ありません。つけ上がらないで下さいますか。小娘風情が」

 ニコリと笑っているようだが全然楽しそうな雰囲気ではない。

 通常もし悪魔と遭遇するようなことがあるなら普通の冒険者レベルでもただでは済まない。良くて帰還、悪ければ死ぬだけだ。

 目の前にいるのは、その悪魔の幹部ときた。

 圧倒的な死の恐怖に迂闊な行動は許される訳がなかった。

 母さんの表情を見ても絶望的な状況。

 視線を変えることはなく、ただ冷汗が流れ落ちた。

 誰もが様子を伺う中、最初に動きたのはマルファミトスだった。

「……!」

 動いたというより動かされたと表現した方が正確だろう。キンっと音が響く中、マルファミトスは明後日の方向を見ていた。

「流石幹部の悪魔様だなぁ。これに対応するとは」

 マルファミトスから見て、死角の方向からその男は剣を片手に携えている。

 突然の登場にマルファミトスも驚いたのか、ただ冷たい目でその男を見ていた。

「遅いわよ。シン」

 母さんがシンと呼ぶその男は俺の親父だ。

「悪かったよ、アカネ」

 お互い口調は軽いが表情は決して緩んでいない。

 から視線を離さずに最小限の話を交わす。

「いやー、驚きました。いきなり攻撃してくるとは」

 敬意を払うようにマルファミトスは口を開く。

 さながら鳩が豆鉄砲を食らったような表情で小さく拍手をしてみせた。

「俺も驚いたよ。この騒ぎがまさか魔王軍の幹部が起こしたものだとは思わなかったし」

「シン、他は大丈夫だった?」

 この場所以外にも被害がでているのは見れば分かるが、辺りを見てきた親父に母さんは問う。

「大丈夫だよ。こいつ以外は雑魚ばかりだ。村の奴らでも何とかなる」

 マルファミトス意外にも魔族が村に来ていて、村の冒険者で対応している、という解釈で良いのだろうかと俺は父さんの言葉から推測した。

「それよりアカネ、シンとアオイちゃんを連れてここから離れろ。こいつの相手は俺がする」

 手に持っている剣を構え直し親父は大声で言う。

「いいえ。ここにいる人間は一人残らず皆殺しです」

 しかしマルファミトスは逃がすつもりはないらしく、自身の周りに尖った物体を展開した。

「どうやらここでこいつを倒すしかないようよ。私も一緒に戦うわ」

 親父の隣に並び自信満々の様子で母さんは言う。

 その言葉と様子を見て父さんはやれやれといった表情で母さんの方を見る。

「久しぶりの戦闘だ。足を引っ張るなよ、アカネ」

「シンこそ腕はなまってないでしょうね」

 そう言葉を交わし、マルファミトスの方へ向き直した。

「最後の会話は終わりましたか…。ではそろそろ死んで下さいませ」

 そうマルファミトスは言い、周りの物体を飛ばしてくる。

 その攻撃を親父が剣で捌きながら母さんが遠距離から魔法で攻撃する。

 攻防どちらもできているように見えたがマルファミトスは追撃をやめない。

 しばらく攻めと守りが続いた時マルファミトスは不意に口角を上げた。

「クリスタル・ゾーン」

 そう言った瞬間辺りの温度が急激に下がるのを感じた。

 凍えるような寒さに意識が持っていかれそうになる。

「こりゃまずいな」

 堪らず親父も口をこぼす。

 俺ほど震えてはいないが、吐く息は白い。

「アカネ…最短で終わらせるぞ」

「…そうね」

 会話は最小限に意思疎通する。

 親父は息をふぅっと吐き、呼吸を整えた。

「纏・炎鎧」

 親父の体の周りが炎のように燃えだす。

 その勢いはこの寒さを打ち消すほど強いものである。

「キューブシールド」

 母さんがそう魔法を発動させると俺とアオイを囲むようにうっすらと壁が張られた。

 先ほどまでの寒さも少しマシになった気がする。

 俺は壁に手を当て前に立つ人物に何故だと問う。

「母さん、待って――」

「ちょっと待っててね、二人とも。すぐに終わらせるから」

 俺の言葉を遮るように母さんはそう言いあの悪魔の方に向かっていく。

 親父も母さんも見たことのない表情でマルファミトスと死闘を繰り広げる

 その様子をただただ見ているだけしか出来ない自分が、本当にちっぽけな存在だと思い知らされた。

 隣にいるアオイが俺の手をそっと握ってくる。

 ハッと隣を見ると、困り果ててただ泣くしかない弱々しい女の子がいる。

「アオイ…」

「ユウ、私…怖いよ。どうして、こんなことに…なってるの?」

 声にいつものような元気さはなくやっとの思いで言葉を繋ぐ。

「今日はユウの誕生日でお祝いしたら、私、わたし…。…明日もその次の日も魔法の研究したり、一緒に遊んで暮らしていって…そんな毎日が続くと思ってたのに」

 まるでこのまま死ぬかのような言い方をし、アオイは崩れ去る。

「だい…」

 じょうぶだ。と、言おうとした言葉が途切れる。

 近いようで遠い距離で戦っている親父達を見て、俺は言葉を失う。

 いつの間にか姿が変わっているマルファミトスに遠目から見ても恐怖した。

 こんな化け物がいたのだと俺は思った。

「…!」

 親父の傷を負う姿を見て、ひどく心が痛む。

 俺の目から見ても戦況はよろしくない。

 このままいけばもしかしたら、と脳裏によぎる。

 だったらこんなところで見ているだけは嫌だ。

「この壁をぶっ壊す」

 俺は持っている剣を振りかぶり母さんが作ったこの壁に攻撃をする。

 しかし何回攻撃しても壁にヒビすら入らず、すぐに息を切らした。

「クソッ」

 どんだけ頑丈な結界張ってんだよ。そんな魔力あれば自分の戦闘に使えよ。

 途方に暮れる中、俺はアオイの方を見る。

 何、と言わんばかりの表情でアオイはこちらと見返してくる。

「アオイ、俺にテレポートかけれるか?」

 アオイのテレポートで俺をここからだせと伝える。

「え、そんな…だめよ。それにできるかも分からないし」

「やってくれ」

 お互い言っている言葉数は少ないが、ちゃんと思っていることは伝わっている。

 伊達に長い間、一緒の時間を過ごしていない。

 アオイの心配する思いを押し切ってまで俺は親父達を助けに行きたいんだ。

「…分かった。けど、約束して。絶対に死なないこと」

「分かった。約束する」

 守れる可能性の方が少ないと分かっていても今はこう言うしかなかった。

 そんなこともアオイにはお見通しであろう。

 それでもアオイはコクリと頷き、足が震えているにも関わらず立ち上がった。

「やってみる」

「あぁ、頼む」

アオイはふぅっと息を吐き呼吸を整えた。

「テレポート」

 距離にしてたった数十センチ俺の体は動いていた。

 しかしその移動で壊すことも出来なかった壁を俺とアオイで挟んでいる。

「アオイ、ありがとう。行ってくる」

「うん。気をつけてね」

 まるでそう言うのが当たり前であるように二人は言葉を交わした。


「親父!母さん!」

「「ユウ、どうして!」」

マルファミトスとの死闘の中、動きは止めずに言葉だけが飛んでくる。

「俺も一緒に戦うよ」

「自惚れてんじゃねぇー!」

 親父が今まで聞いたことのない声量で怒鳴った。

 俺は二人に駆け寄る足を止める。

「お前が来たところで何が出来るっていうんだ!」

 確かにその通りである。

「それでも、俺は一緒に戦う」

「ダメだ。アカネ今すぐユウをどこかにやれ」

 母さんにもそんな余裕がないことは分かっているだろうに、剣を振りながら親父は俺の安全を第一にしようとする。

「そんな余裕がありますか?人間」

 マルファミトスはいやらしく笑いそう告げる。

 その瞬間、氷のつぶてが俺の方に向かってきた。

 あまりの早さに咄嗟に目をつぶる。

 キーンと耳に嫌な音を響かせ、しばらくしてから俺は目を開けた。

「おや、じ…」

 目の前には下半身を凍らされた一人の男の背中。

「ユウ、怪我…ないか」

 ただ黙っていることしかできなかった。

 おそらく今ので致命傷を負ったのだろう親父は、静かに俺の方を見る。

「大丈夫…だよね。この氷だってすぐに壊せるだろ?」

「……」

「シン!」

 遅れて母さんも駆け寄ってくる。

「何とか言えよ!あいつだって本当は倒せるんだよな」

「ユウ、アカネ…今すぐ逃げろ」

「何言ってるの。あんたこんなになってまで…」

 まだ自分だけ犠牲になることを口にする親父に苛立ちさえも覚える。

「早くそんなとこから抜け出せよ!」

「無理だ」

 自分の怪我の具合から判断してだろう、親父はあきらめた様子で言う。

「何訳わかんねぇこと言ってんだよ、あんた魔王も倒した勇者じゃねーのかよ!」


「魔王様を倒した勇者…その男がですか?」


 不意に声を掛けられたことも相まって俺はその声が発せられた方を向く。

 はっはっはと感に障る笑い声を上げた後、その悪魔は再度口を開く。

「勇者がこんなに弱いわけがないでしょう。それにその男からは勇者特有の忌々しいマナが感じられない」

「な…何を言ってるんだ」

空中にいたマルファミトスはゆっくりと下降し地面に足を着いた。

「冥土の土産に良いことを教えてあげましょう。勇者とは私も一度戦ったことがあります故、間違えようがありません。その男のことはあまりよく覚えていませんが、おそらく勇者と共に行動していたモブでありましょう」

 そんなバカなと思い、俺は親父の方を見る。

 親父は目を伏せ何も語らなかった。

「…じゃ、親父が魔王を倒した勇者だってのは?」

「…嘘だ」

「…でも親父でなくても勇者は魔王を倒したんだよね?」

「…それも正確じゃない」

「…何が本当で何が嘘なのか分っかんねーよ!ちゃんと教えてくれよ」

 感情に心を委ね、泣き騒ぐ様子に母さんは真剣な表情でそっと俺の手を握った。

 そして俺の耳元で小さく声を発した。

「ユウ、全てが終わったら本当のことをちゃんと説明するわ。だから――」

「おっと。私がいつまでも待っているような心の広い悪魔に見えますか?」

 その声の持ち主の頭上には大きなという表現では小さいぐらいの氷結が生成されていた。

「この魔法を使うのは少々骨が折れますが…。まぁ、この村全体ぐらいは全て凍り殺せますかね」

「…ユウ、俺の手を握れ」

 凍っていない左手を差し出し、親父が微笑む。

「ユウ、お前は間違えなく勇者の息子だよ」

「でも親父は勇者じゃないんだろ…」

「そうだ。だから俺とお前とでは血は繋がっていない」

「……!」

 衝撃の事実に伸ばしかけた手が止まる。

「お前は勇者の子だ。だからあの悪魔を倒せる」

「何、言って…。親父、…でも倒せなかったのに」

「今から俺のマナ全てお前に託す。お前のマナと合わせてあの悪魔に一泡吹かせてこい」

 そんなの無理だ…と言おうとしたが、その言葉を飲み込んだ。

 俺が母さんの結界から抜け出してここに来たのもコイツを倒すため。

 右手に握る剣に力を込め、俺は左手で親父の手を握る。

 膨大なマナが流れてくるのを感じ、一瞬めまいがした。

「俺が…あの悪魔の目を引く。その隙にアカネがユウを攻撃しやすい場所まで運ぶんだ。いいな」

「シン、あんた…」

「ユウ、お前の持っているそれは勇者の剣だ。勇者しか抜くことができないもんだ。だからお前ならできる」

「親父…」

「まだこんな俺を親父って呼んでくれるのか」

「当たり前だろ。俺を育ててくれたのは間違えなく親父なんだから」

 聞きたいことは山ほどあるが、今はあの悪魔を倒すことが先決だ。

 ありがとうという気持ちを込めて俺は親父から手を離す。

「そろそろですね。もう最後のお別れは済みましたか」

 どんどんと大きくなっていくマルファミトスの魔法はいよいよ完成するらしい。

「その前に俺の…この魔法をくらいやがれ。プロメティック・バーン!」

 それは命を燃やす魔法。

 シンの最後の魔法。

 薄れいく視界の最中、シンは最後までユウを見ていた。

「約束守れなくて悪かったな…」

 遠い昔の約束。それを考えながらシンは目を閉じた。

「な!無駄な足掻きを!」

 まるでドラゴンのような形の炎をマルファミトスは魔法障壁で防ぐ。

 マルファミトスの魔法障壁が壊れさる頃には俺はマルファミトスの後方に回り込んでいた。

 母さんがテレポートを使えたことには驚いたが、そのよく知った魔法のおかげで背後に回り込むことができた。

「ありがとう父さん」

 自然に涙が流れる。

 心臓が弾けるように脈打つのを感じながら心だけは冷静さを保っていた。

 ふう、と息を吐き集中する。そして覚悟を決め、剣をなぎ払った。

「一閃!」

 光の軌道がよく見えるほどにくっきりとした技。親父に教えてもらった技。

 俺のマナだけではこれほどの威力がでなかっただろう。

 その光が一直線にマルファミトスに向かっていく。

 もう少しで当たるというところで急にマルファミトスは俺の方に振り返った。

「そこにいることは分かっていますよ!」

 マルファミトスは親父の攻撃を守ったように魔法障壁を展開させる。

「なんで!」

「突然小僧のマナが別の所に移動したら不自然でしょう」

 感知でもできるのか、マルファミトスは余裕そうに守りの体勢に入った。

 俺の技とマルファミトスの障壁がぶつかる時、俺に不安はなかった。

 なぜなら俺の一閃はヤツの守りを崩せると確信していたからだ。

 親父のマナをもらってこの勇者の剣でアイツを撃てると。

「な、何!」

 まるで紙を切り裂くように一閃はマルファミトスに向かっていく。

「何をした!」

 焦るマルファミトス。

 俺はまっすぐ相手を見てつぶやく。

「エンチャント=リジェクト」

 一閃を放つときリジェクトの魔法を付与したのだ。

 練習もしたことのないことをこの場でやってやるしかないと。

 根拠のない自信と共に放った。

「こんな魔法で!こんなヤツにぃぃぃ!」

 咄嗟に展開し直した魔法も俺のリジェクトが打ち消していく。

 そしてマルファミトスの体を横に切り裂いた。

「親父、俺やったよ」

 すべてのマナを消費したこともあり足をふらつかせながら親父の方に駆け寄る。

 母さんが親父の隣に立っているのを確認しながら俺が口を開けようとしたその時。

「…私をこんな姿にして、許しませんよ。人間」

「な!まだ生きて…」

「まさか私がここまでやられるとは思っていなかったのですが。ただでは死にませんよ。その男を見習って、この村全体を道連れにして逝きましょう!」

 何をする気だ、と思い俺はマルファミトスの頭上遙か先を見る。

 そこには先ほどから奴が作っていた巨大な氷の塊が上空に浮かんでいる。

「エターナル・アイスド・プリズン」

 氷の塊が弾け、そこから広がっていくように空気もろとも凍っていく。

上空なのでゆっくり見えるが着実にこの村全てを覆うように進行していく。

「母さん!」

「ユウ!」

 俺は急いで母さんの元に駆け寄っていく。

「母さん、これどうすれば!」

 おそらく上空からの氷の進行はすぐに地上に到達するだろう。

 焦る俺の方を母さんは勢いよく握る。

「ユウ落ち着きなさい!そして今から言うことをよく聞きなさい」

 母さんの言葉で俺は少し落ち着きを取り戻す。

「ユウ、あんたをテレポートで安全な所に飛ばしたいけど、私の今のマナではこの村の外には飛ばせない。だからどこに飛ぶかは分からないけど一か八か試してみることにするわ」

「待って!母さんはどうするんだ?それにアオイだって」

少し遠くを見るとアオイが結界の中で腰を抜かしている。

「大丈夫。私もアオイちゃんも後で追いかけるから」

「じゃ先にアオイと一緒に送ってくれ」

「この魔法は一人ずつしか使うことができないの。だから心配しないでお母さんに任せて」

「そんなこと納得できるかよ!全員で――」

 行こう、そう言おうとした時緊張が解けたかのように全身の力が抜ける。

 同時に意識も持っていかれそうになる。

 待って、もう少しだけ母さんと話を…。

「ユウ、元気でね。ランダムテレポート」

 薄れゆく意識の中、母さんの言葉と困ったような笑顔を最後に俺は意識を無くした。



「母さん!」

 フッと意識が戻ったと同時に、俺は自分の体を起き上がらせる。

「森…の中か」

 どこかは分からないが辺り一面に広がる自然。

 少しでも情報を得ようと辺りを確認する。

「おぉ、こんな所に子供とは珍しい」

「だ、誰だ!」

 突然声を掛けられ、咄嗟に立ち上がる。

「びっくりさせてしまったかな」

 声を掛けてきた老人は、害を加えるつもりはないとジェスチャーをしニッコリと微笑む。

「お前さんどこから来たんじゃ?」

 しばらくその老人を観察したが、ひとまず会話をしようと口を開く。

「…若草村」

「若草村?聞いたことのない村じゃなぁ」

 その老人はポリポリと額を掻きながら、考える素振りをみせる。

「ここはどこですか?」

 他にも色々聞きたいことは沢山あるが、とにかく自分がどこにいるのか訪ねる。

「ここか?ここはルーゲント大陸の奥、わしがもっとる森じゃ」

「…ルーゲント大陸ってどこ?」

「……」

 質問しておいて何だが、若草村から出たこともない俺が他の地名を言われてもピンとこないことを思い出す。

「とりあえずわしの小屋に来んか?立ち話も疲れるじゃろうて」

 俺のことを思って言っているのか自分が疲れるからなのか、真意は分からないがその老人の言葉に黙って頷く。

 少し歩くとその老人の小屋は姿を現した。

 木々に覆われた中、老人一人が住むには少し大きめのそれは神聖な雰囲気さえ醸し出している。

「一人で住んでいるんですか?」

「今はそうじゃの」

 どこか悲しげにそう言った老人は小屋の扉を開け、どうぞと手招きする。

「何もないとこじゃが、まぁ座ってゆっくりするといい」

 その老人はソファーを指さし台所に行ってしまった。

 少し気だるさを感じていた俺は老人の厚意に甘えソファーに腰掛ける。

 焦る気持ちを抑えながら、今置かれている状況を整理する。

「ふぅ…」

 あの夜のことを自分でも驚くほど何が起こったのかハッキリと覚えている。

 問題はその後で俺がいるこの地がどこなのか、村に帰れるのかということだ。

 考えれば考えるほど頭の中では結論がでていることを理解したくないという気持ちでいっぱいになる。

「はぁ…」

 今度はため息がでる。

「どうしたんだね。不安そうに息ばかり吐いて」

 いつの間にか台所から戻ってきていた老人の手には湯気が立ち上るカップが二つ。

「まぁこれでも飲んで落ち着くといい。紅茶だよ」

「…ありがとうございます。えっと、すいません。お名前は?」

「わしはブライト。少年の名は?」

「ユウです」

 紅茶を手に取り、簡素な挨拶を交わす。

「ユウか。ところでユウはどうしてあんなところで寝ておったのかな?」

「それは…」

 手に持つティーカップを眺めながら言葉に詰まる。

 この人にあの出来事を言うべきか迷った。

「……」

 自分一人では抱えきれない問題だということは、考えなくても頭では理解できている。

だが相談をしてもいいのか、相談したことによってこの人に迷惑を掛けないだろうか、と物事を悪い方向に考えてしまう。

「……!」

 あまりに考えすぎてしまっていることを自分でも分かるぐらいの時間が経っていた。

「ユウよ。自分だけで抱え込みすぎてはいつか壊れてしまうよ」

 ブライトは手に持っていたティーカップを置き、俺の手を優しく包む。

「何かあったなら言うてみぃ。それが言いにくいことなら全てを言わなくたっていいんじゃよ。誰かに話すことで自分でも整理がついて、落ち着く事だってあるんじゃから」

「ブライトさん」

 あまりにも優しい言葉に自然と涙がこぼれていた。

「あれ、俺…どうして」

「辛いことでもあったかの。ゆっくりでいいから落ち着いたら話してはくれんかの?」

 頬を伝う涙を拭い、俺はゆっくりと口を開いた。

 あの日あの時あったこと、辿々しくはあったがブライトは何も言わず聞いてくれた。


 一体どれだけの時間が経ったのか、窓の外を見ればそれが物語っていた。

「ユウ、晩飯ができたぞ。とは言っても豪勢なものではないがの」

 途切れそうなぐらい薄い笑い方をするブライト。

「晩ご飯までありがとうございます」

 ペコリと頭を下げ俺は席に着いた。

「いいんじゃよ。年寄り一人では寂しくての。良ければ一緒に食べてくれんか」

 ブライトはそう言いスープを口に運ぶ。

「いただきます」

「ユウ、帰る場所がないならしばらくここに居るといい」

 ブライトの突然の申し出に少し驚いたが、考えた結果迷いが生じてしまう。

「そんな…悪いよ。こんなによくしてもらっておいて、これ以上は」

「そんなに遠慮することはあるまい」

「いや、でも」

 中々折れない俺を見て痺れを切らしたのか、ブライトは微笑みながら話を続ける。

「何、わしから頼んでおるんじゃよ。何分体が動きにくくてな。若いもんがおると何かと助かるんじゃよ。だからここに居ってはくれんか?」

 そこまで言われては無下に断りにくくなってしまう。

「…そういうことなら、お世話になります」

「お世話をしてもらうのはわしの方じゃがの。今はゆっくりとするがいい」

 人の温かさに触れるのが随分懐かしいような気がして、自然と笑みがこぼれる。

 そのままたわいもない話をしていく中、不意にブライトは真剣な表情で口を開いた。

「ユウ、知りたくはないか。この世界の真相を」

「急に、何を」

 突然投げかけられた質問に困惑してしまう。

 真相?何が何やらサッパリだが、目の前にいるブライトがふざけて言っているようにも思えない。

 ゴクリと唾を飲み首を縦に振る。

 すると始まりから結論を言うように――


「魔王は生きておる」


 そう言ったブライトの目には迷いのような曇りが見てとれた。

 あまりの事実に俺は席を立つ。

「嘘…だろ。魔王は倒されたって。親父が」

「嘘ではない。現に魔王の手下がお主の村を襲ってきたのがその証拠じゃ。それにわしはその情報をお主の話を聞く前から知っておった」

 その情報が嘘か本当か、俺が知るよしもないが今は話を聞こうと席に座る。

 その俺の行動を見てブライトは話を続けた。

「魔王が倒されたという話が流れて一五年ほど経ったかの。ではなぜその年月が経ってなお魔族がおるんじゃ。冒険者が減らないのは?答えは魔王の勢力が弱まってないからじゃ」

 ブライトの言っていることはおかしくない。冷静に考えれば、むしろ冒険者がいることの方が不自然だ。

「ユウ、お前は育ての親父さんから勇者の子だと言われたのじゃな。それを疑っておるわけではないが、では勇者はどこにおるのかの?」

「それは…分からない」

 俺だってあの日、突然言われたことしか分からないんだ。そんなことを言われたって。

「これはわしの推論だが、勇者は魔王に敗れた。そしてその仲間であるお主の育ての親は訳あってその事実を隠したのじゃ。もちろんお主にもの」

 ブライトは迷うことなく話を続ける。

「それが良かったのかは分からんが、お主の育ての親はお主と別れる前に託したんじゃよ」

 何を、と聞かなくても分かる。

「俺が魔王を倒さないといけないんだな」

 ブライトは目を閉じる。

 はたして何を考えているのか、また何を思ったのか俺は全く分からなかった。

「ユウ。力を蓄えるのじゃ。少なくても外の世界で生きられるぐらいには」

「分かったよ。明日から訓練だな」

 確認するように意思を固める。

「魔法ならわしが見てやるぞ」

「…ブライトさん魔法使えるの?」

 嫌味ではなく純粋な質問。

 それを受けてブライトはニカっと笑う。

「昔は凄かったんじゃよ。今もそこそこ使えるわい」

「そうなんだ」

 あまり期待をせずに話を流していたことを後に後悔することになった。

 翌日から始まったブライトとの生活はとてもハードだった。

 朝から晩まで生活するための行動を全てこなしつつ、空いた時間に訓練を重ねた。

 ブライトの魔法はすさまじく課題をクリアするまで二年の月日がかかった。


 そして俺はようやく旅に出たのだ。

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勇者の息子は魔法使い とぉ @ayameken

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