第3話 出発当日 その2

車内は冷房でキンキンに冷えていた。あれほどふきだしていた汗もぱったりとやみ、少し肌寒さを感じるくらいだ。


電車の空調はいつも極端だ。夏は鳥肌がたつほど寒いかと思えば、冬はゆだりそうなほど暑い。「乗客にクレームをつけられるくらいなら、思いっきり空調をきかせておこう――」という鉄道会社の思惑だろうか。


車内はだいぶ空いており、人がまばらに座っているのみだった。先頭車両の一番前の座席に座る。輪行をする人にとって、ここが一番の特等席だ。なぜなら、この車両の最前部はほかの車両よりもスペースが広くなっている。そのため、気兼ねなくロードバイクを置いておける(もちろん、他の乗客には気を配りつつである――)。


鈍行列車を乗り継いで、新潟県の直江津駅まで向かう。大阪駅―敦賀駅(福井県)―福井駅―金沢駅(石川県)―泊駅(富山県)を経て、午後9時17分に到着予定だ。


森ノ宮駅から15分ほどで大阪駅についた。ここでおみやげを買うことにしているのだが、次の電車は10分後に発車するため、悠長にえらんでいる暇はない。大きなたこ焼きの写真がプリントされた箱を3つ、売店のおばちゃんに差し出す。スーパー袋に入れられたおみやげをうけとると、すぐさまバッグにつめ、次の電車が待つホームへと小走りで向かった。


大阪発―敦賀行の電車にのった。座席にすわり、窓の外の景色をながめる。屹立する高層ビル群が遠くに見えた。ビルの真上をちょうど、ぶくぶくに太った入道雲がゆっくりと流れていく。あのビルの屋上からだったら、入道雲に飛び乗れるだろうか――。


ふと、小学生のころに学んだ「くじらぐも」をおもいだした。ええと、あれはたしか、校庭で体育の授業をしていた子どもたちが、くじらの形をした雲にのって空を飛び回るというお話だったような――。まだまだ純粋だったあの頃の僕は、本気で雲に乗れると信じて疑わず、飛びまわるさまを想像しては、心の底から湧き上がる高揚感にひたっていた。


その日の夜、家族で夕食を食べながら、「くじらぐも」について嬉々として語った。すると母親に、「あんなもん、ただの水蒸気のかたまりなんだから、乗れるわけないでしょ」と一蹴され、子供ながらにひどく凹んだ。「子供の無垢な夢を壊すなんて、ひどいよ母ちゃん――」なんて考えたこともあった。しかし今思えば、「現実を早めに教えておかないと」といった母親なりの優しさだったのかもしれない――。


そんなことを考えているうちに発車時刻になり、電車は敦賀駅へ向けて走り出した。


景色が流れていく。ホームにたたずむ人々の姿がどんどんと小さくなっていく。ホームからだいぶ離れたころには、その輪郭もおぼろげになり、それが人かどうかさえもわからなくなった。


猥雑に立ちならぶ雑居ビルの隙間をすりぬけ、整然と区画された住宅街を横目に電車ははしる。やがて景色がその様相を一変させた。


はるか遠くに、溢れんばかりの緑色に染められた山々が見える。そのふもとでは、こぼれおちそうなほどの穂をたくわえた稲が風になびいていた。あと1か月もすれば、稲刈りのシーズンである。今はこんなに青々しい稲穂も、9月には息を呑むような黄金色になっているのだろう。


「この景色、忘れたくないなあ――」


周りに聞こえないよう、静かにひとりごちた。

今年の夏にしか見られないその景色を、しっかりと目に焼きつけた。


しばらくして、電車は敦賀駅についた。次の電車は隣のホームにすでに停車していた。ホームの自動販売機で麦茶を買う。パッケージに印刷された鶴瓶の笑顔と頭がやけにまぶしい。


「ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ」


600ml入りペットボトルの3分の2ほどがひとくちで空になった。ここにくるまで、一滴も水分をとっていなかったので、のどがカラカラだったのだ。


一息ついてあたりを見まわすと、1人、2人と数えるほどしか乗客はおらず、誰もがみんな、大きめのバックパックを背負いこんでいた。僕と同じように列車を乗り継いで帰省しているか、それともどこかへ向かう道中なのだろうか。


ほどなくして、電車は走りだした。


おもむろにバッグから小説を取り出す。那須正幹さん著の「ぼくらは海へ」だ。

小学校の図書館に所せましと並べられていた、「ズッコケ3人組シリーズ」。それが僕と那須さんの初めての出会いだった。当時まさに作中の「ハチベエ」のような性格だった自分は、ハチベエに対して強い親近感を覚え、作品の魅力に惹きこまれていった。暇があれば四六時中、むさぼるように読んでいた。


あれからずいぶん時がたった数年前のある夜、仕事帰りに立ち寄った書店にて、少年が遠くの海岸線を眺めている様子を描いた表紙にひかれて手にとった小説――。

それが「ぼくらは海へ」だった。小学校と塾に通うだけの毎日に飽き飽きしていた少年たち。そんな彼らが海辺の埋め立て地を舞台に、いかだを組みたて、海を目指すお話――。


この小説を手にとって以来、毎年夏になるとなぜか無性に読みたくなる。話の流れがすっかり分かっていても、毎回ぐっと心にくるものがある。


途中、福井駅を経由し、金沢駅へ到着した。時刻は午後5時36分。日はまだまだ沈む気配をみせず、道行く人々の頭へと容赦なく陽光が降り注ぐ。


実はここから先、金沢―泊間および泊―直江津間は青春18きっぷがつかえない。厳密に言うと使えなくなった。2015年3月までは、これらの路線もJRの管轄下にあったため、青春18きっぷを使うことができた。しかし、北陸新幹線の開通によって、新幹線の路線と並行している在来線は第3セクター化されてしまったのだ。


もしもすべての区間を青春18きっぷだけで行くとしたら、愛知、静岡、東京、栃木、福島と、太平洋沿いをぐるっ――と迂回しなければならなくなり、とても面倒くさい。それに経験上、大都市圏をとおるルートはこの時期はかなり混むことが容易に予想できたので避けることにしたのだ。


金沢駅から泊駅へ着き、直江津いきのワンマン電車を待つ。時刻は午後8時を過ぎ、あたりもすっかり闇夜にのまれていた。駅の近くの林から、「さわさわ」と風にそよいだ葉っぱ同士がこすれあう音がするのみだ。


ふいに雨が降り始めた。「雨の予報だっただろうか?」などと考えている間にも雨脚はどんどん強くなり、横なぐりになってホームに襲いかかる。急いで雨の届かない場所へ移動した。


その後まもなく直江津行きの電車が到着した。部活終わりの高校生の姿が多く目につく。高校名と部活名が刺繍されたおそろいのバッグを背負い、テレビドラマの話に興じていた。


窓の外に目をうつす。遠くの方で、ぽつぽつと見える街の明かりが、ゆっくりと過ぎ去っていく。車窓についた雨粒がその明かりの上を通り過ぎるたび、水にたらした水彩絵の具のようににじんでは広がっていった。


「あと1時間もすれば、直江津駅に着く――」


ここまでの乗り換えを無事に終えた安堵感と移動による疲れからか、気づくとすっかり寝入ってしまっていた。


「ゃくさん・・・お客さん・・・終点ですよ!」


「ん? あぁ・・・はい・・・ありがとうございます」


車掌に肩をたたかれて目を覚ますと、電車は直江津駅へとついていた。他の乗客はみんな降りてしまい、残っているのは自分だけだった。なんだか一人ぼっちになった気分だ。


まだ少し寝ぼけたままの頭で電車を降り、改札を抜ける。

もう午後10時に近い。それに田舎の駅なので、駅構内には人はほとんど見あたらない。


構内のコンビニで冷やし中華とウーロン茶、明日の朝食用のパンとカフェオレを買い込んだ。


直江津駅の北口と南口をつなぐ、通称「あすか通り」には、等間隔で木製のベンチが4つほど据え付けられている。今日はこのベンチの1つで野宿をする。「まさか自分以外に野宿をする物好きなんていないだろう」なんて考えていたのだが、その予想に反してベンチには2組の先客がいた。


一組は少し小太りで、寂しい頭髪をした中年のおじさん。黙々とおにぎりを頬張り、緑茶を一気飲みしている。小さなバッグ一つしかもっていないようだ。彼もどこかへふらっと出かけようとしているのだろう。


そしてもう一組は、アコギをかついだ二人の若者。まだ幼さが残る顔立ちからして、おそらく大学生と思われる。なにやら曲についてあれやこれやと談笑していた。ライブ会場まで青春18きっぷで向かい、交通費を節約しているのだろうか。


彼らにはさまれるような形でぽつんと空いているベンチに腰掛ける。明日も朝が早い。それに9時間以上も座りっぱなしだったため、体のあちこちが痛む。


夕食をそこそこに済ませ、体を横にした。相変わらず雨は止む気配をみせず、暗がりにかくれた街に降りそそぐ。


屋根に打ちつけられた雨粒がはじける。その「ザーザー」とした音を聞いているうち、深い深い夢の中へと意識は埋もれていった――。

































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あした僕は旅にでる メトメ @metome

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