7. 冒険者としての日常


「俺の最高傑作の反応が消えただと!?」


 長年掃除もしていないのか埃とカビ臭さが充満した薄暗い一角で一人の男が長机を強く叩いた。


 衝撃によって机に無造作に積まれていた研究の紙束が崩れ、雪崩の如く地面へ広がる。


 書いてあるのは解読不能レベルに省略された男の筆跡と魔物の解剖結果。


 加えて、魔物の混合による拒否反応と人体移植による経過状況等、多数に及ぶ。


 壁一面には魔法陣と思しき物が紙に描かれ、蛇がのたくった様な文字と共に本来の壁の色すら分からないほど貼り付けられていた。


 だが、今の男にはそれすらも自分をイラつかせる一つの要因でしかない。


「アレがあれば、俺がこの国を支配する一打となる筈だったのだッ!! それを……!」


 砕けるのではないかと思うほどに歯を食いしばると、不意に床へポタポタと倒れたコップから溢れた珈琲に自分の姿が映った。


 そこには目が血走り、骨すら浮いて見えるガリガリの身体。


 ひび割れた写真立てに飾られた仲間達と笑顔で写る過去の自分とは比べ物にならない。

 最早、別人。


「クソッ!!」


 散らばった紙束をさらに両手で地面へと落とし、目についた物を壁へ投げ捨てる。


 最早、男がいる部屋は足の置き場も無いほどまでに汚れ切っていた。


 すると、男は壁に掛かったある一本の短剣を見て舌打ちした後、背後にたった一つだけ存在する水槽内へと視線を向ける。

 

「まぁ、いい。全てはこれが完成すればそれでこの国は俺のものになるんだ。まだ焦るのは早い」


 水槽の硝子に映るのは、自分の朱色に染まった頬と欲望に満ちた歪んだ瞳。


 その瞳には水槽内に浸された淡い水色の液体の中で浮かぶ一人の少女。


「ふははははッ!! この国は俺のものだ! 誰にも渡さないッ!」

 

 暗く淡い光だけが漏れ出す部屋で一人の男は狂ったように笑みを浮かべるのだった。

 


「はい、依頼は完了ですね。どうですか? 冒険者としての仕事は慣れてきましたか?」


 俺達は依頼を終え、冒険者ギルドに戻ってきていた。


 普段そこまで歩かない俺が数時間も歩いた事すら異例なのに、今回はミラの知識と経験を増やすために余った時間で『銃拳じゅうけん』のコツを掴むために連れまわされたのだ。


 おかげで今、俺はギルド一階にある酒場の椅子にぐったりとしている。


 ミラはリヨナと会話に花を咲かせているようで当分終わりそうにない。


 目元にやった生暖かい布を取り、近くにいたウェイターを呼び止める。


「あ~、じゃあビールと、このおすすめってやつ一つ」

「は~い!」


 にしても疲れた。

 ここは疲れた体にビールを流し込まないと明日に支障をきたす。


 ボーと何かを考えるのも面倒で机に突っ伏していたらドンッと机に振動が走った。


 そこには酔っぱらっているのか顔を真っ赤にし、時々しゃっくりをする十代後半の少年がいた。


 腰には安っぽそうな一本の長剣。

 視線を周囲へ向けてみると端の一角で此方を見ながらニヤニヤと笑みを浮かべる少年と同年代だろう三人の姿があった。


 ようするに絡まれたってやつだ。


「おいおい、てめぇがあのFランなんだって? あははははっ、良い歳してFランとかマジかよ!」


 めんどくせぇ……。

 

「テメェ! 寝るな!!」

「あぁ? なんだよ、うるせぇ奴だな」

「はっ、てめぇ態度だけじゃなく頭も悪いのか? このプレート見えるだろうが! 要するにテメェは俺の下なんだよ」


 男の首元には銅のプレートがぶら下がっており、それを自慢げに見してくる。そうすると彼はEランクか。

 とはいえ、初心者も初心者だが。


 まぁ、Fランクは仮発行書と呼ばれるランクが書かれた紙しか渡されないから首元に掛けられるのはEランクからだ。


 よって、冒険者になって最初はこうして度々上のランクの者が初心者いびりをしてくることがある。

 それが今回は自分だったというわけだ。


 けれど、ギルド内での戦闘はご法度。

 行った場合は数日の依頼受付の停止か、最悪は冒険者ランクの剥奪。


 前者は経ったの数日と思うだろうが、冒険者というのは金を貰ったらその日に使い果たす者達が多い。その中で数日の依頼停止は死活問題に直結する問題だったりするのだ。


 そんなリスクがある事をやるのは余程の馬鹿か、頭に血が溜まるのが早い喧嘩好きだろうか。


「お前、この俺様が指導してやるよ!」


 ……どうやら彼は前者らしい。


「はい、ビール! それと、今日のおすすめ鹿肉と野菜炒めね!」

「おぉ! 来た来た!」


 さっきから厨房から香ばしい匂いがしてきてると思っていたのだ。


 お腹が鳴りやまないし、早く食べたくて胃が締め付けられる。


「おい!!」


 そろそろ邪魔だな、こいつ。

 いつまでいんだよ。


「うるせぇな。ほら、あっち行って脳が猿の仲間達と飯でも食ってろ」


 俺はこの目の前の食事を食べるのに忙しいのだ。


 それに俺は確かにめんどくさがりだが、嫌いな事の一つに食事の時を邪魔されるというのがある。


 加えて、今は半日何も食べてないので腹が減ってしょうがない。

 多少、口が悪くなるというものだろう。


 鹿肉を野菜で包み、濃厚なタレが染み出すそれを箸で掴み上げた。


 素晴らしい光沢。


 まさに芸術と言って良い程に腹が鳴りやまない。


 ごクリと生唾を飲み、口へ運ぼうとしたその瞬間――――


「テメェ、さっきから何様のつもりだ!!」


 肉汁滴る野菜炒めを持つ箸ごと俺の手を叩き落としたのだ。


 カランとなる箸と無残に床に付着した野菜炒め。俺はあまりの事に呆然としていた。


 それに今の俺は溢れ出る食欲で周囲への注意がおろそかになっていたのだろう。

 とはいえ、これは……


「おい! 何か言え! ッ、このッ!!」


 男が俺の首元へ手を伸ばし、掴みかかろうとした刹那、男が一瞬にして目の前から掻き消えた。

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ダメ師匠は弟子達の対立を肴に酒を呑む FuMIZucAt @FuMIZucAt

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