甘い恋は雪の後で

氷堂 凛

甘い恋は雪の後で

十二月二十日

学生は冬休みが始まり、社会人は年末へ向けて忙しく走り回っていた。

「俊君……好きです!!」

 今、僕の目の前には、幼馴染で学校でもそこそこ人気のある美少女が僕に向かって手を差し伸べている。これを握ればOKという返答になるのだろう。

「ごめんなさい」

 僕は拳を握りしめて、彼女から顔を逸らすようにして返答した。

「どうして……」

 彼女は泣きながら冷たい風が吹く世界を走って去っていった。

 僕は彼女が好きだ。彼女とは幼馴染という事もあって、昔からよく遊んでいた。一緒に過ごしていくうちにどんどんと魅力に惹かれていった。でも、いざ恋人になるための通過点が訪れると、怖くなってしまった。果たして自分がこの娘を守っていけるのだろうか……この楽しい関係が変な恥から壊れてしまうのではないかと……

 冷たい風が容赦なく一人取り残された俺に吹き付ける。

 僕と彼女が相思相愛だというのは、かなり有名な話だった。学校でもいつ付き合うのか、と毎日言われるほどに。彼女が勇気を出して言ってくれた。でも、自分はそんな勇気を出すどころか、変化を恐れて一歩下がってしまった。どうして、こうなってしまったのだろう。今までの人生で一番大きな選択ミスをした。

 空を眺めても、ただ雲がゆっくりと進むだけ。自分の口からは白い息が出る。鳥が楽しそうに飛んでいる。自分もあの鳥のように何も考えずにこの空を飛べればいいのに……本当に自分が情けないよ。

「帰ろう……」


「ただいま」

「おかえり」

 自宅はいつもと変わらない。台所からは、夕飯のカレーだろうか、スパイシーなにおいが鼻をつつく。お母さんの“おかえり“に凄い安心感を覚える。

 自室のベッドへ倒れ込む。これでいいんだ。ロクに彼女の期待にもこたえられない。それどころか、泣かせてしまった。やっぱり、こんな意気地なしの僕と、前向きでなんでもこなす彼女は釣り合わなかったんだよ。さようなら僕の青春。

 現実から逃げるように僕は眠りについた。何も考えなくてもいい。そんな世界に浸った。


「ごはんよ~ちゃっちゃと食べちゃってよ」

 お母さんが僕を起こしに来た。二時間くらい眠っていたようだ。外は明るさを失って今の自分の心のような真っ暗闇が広がっていた。

「俊おそいよ~はやく!」

 お姉ちゃんが、僕を待っていた。うちでは、いただきますは家族全員でというルールがある。いつもは僕が椅子で読書をして待っている側なのに、逆の立場になったらいいご身分なものだよ。

「ごめんなさいね」

 少し厭味ったらしく返事をする。

「ねぇ、雪だよ!!」

 お姉ちゃんが外でゆっくりと落ちる雪をみて、ベランダの扉を開けた。大学生にもなって雪ごときで大騒ぎするなよ。

「寒いよ。はやくしめてよ」

「はぁ~そんな女の子に冷たくしてちゃモテないゾ!」

「うっ……」

 どんな言葉より効く一言だ。当然、今日の事を知っているはずもないのに。はぁ、まったく僕は色々と恵まれてないなぁ。

 今日の事を思い出して、落ち込んでいると、普段は全くかかわりのないクラスメイトの女の子からメールが来た。

『ねぇ、夏美が家に帰ってないらしいんだけど、知らない?』

 夏美とは、例の幼馴染で、メールの送信主は夏美の親友だった。

『知らないよ』

 短文で返信する。すぐに返信が来る。

『夏美のお母さんが電話したら、泣いていたらしいんだけど……あんた本当に知らないの?寒空の下女の子一人泣かしててあんたはいいの?』

 寒空の下で一人泣いていたか……でも、今の僕にはもう何もできない。彼女を突き放した僕が彼女に干渉していいわけがない。

でも、泣いていたって……知らない。知らないよ。

『追記:未来のお婿さんが助けてやれよ』

 あぁあああああ!もうほんとに!何から何まで仕方のない奴なんだから!

 僕は、リビングに置いてあったコートを羽織った。

「いってくる。先に食べといて」

「え?あっ!ちょっと!!!」

 お姉ちゃんが困惑する。いただきますルールなんかより、深刻で大切な問題がそこに迫っている。僕は勢いよく玄関の扉を開け飛び出した。


 実のところ、時間にきっちりで真面目な夏美だが、門限を守らなかったことが過去にも一度だけあった。

彼女は他人とは比べ物にならないくらい強がりで、でもそう思っている心の中では思い詰めて、誰かに頼りたくて仕方のない弱虫で、そんな彼女だからこそ、自分がどうしようもなく惨めに見える時は家に帰らないのだ。自分の醜態を晒すのを一番嫌う強がりで弱虫な夏美だから。

前回帰らなかった時も、ピアノのコンクールで大失敗を犯したという、いわば醜態を晒した時だった。演奏が終わり、舞台から降りるなり悔し涙を浮かべて会場のホールから飛び出した後、彼女は決して家に帰らなかった。最後は僕が見つけて強制的に連れ戻してきたけど。彼女にはどこかで自分に対する愚痴のはけ口を用意してやらないと決して元気な彼女には戻らない。それを出来るのは、誰よりも彼女の近くで過ごしてきた僕だけだ。おまけに、今回の原因を作ったのも恐らく僕だろう。

 とりあえず近所の公園や広場を見て回る。彼女はどこにもいない。おまけにさっき降ってきた雪が視界を遮る。雪なんて無くなってしまえばいいのに。

「ハァハァ……どこだよ」

 こんなにも走り回ったのはいつぶりだろうか。運動不足が身に染みる。それでも、彼女を探さないと。気温も夜になってかなり下がっている。こんな寒空の下を女の子一人でほっぽり出しておくわけにもいかない。

 走った。とにかく走った。メロスよりも速く。空を飛ぶ鳥よりも速く。

 繁華街に来ると、頬を赤くしたカップルがこれでもかとばかりにイチャイチャと歩いている。目障りだと感じながらも、どこか羨ましい気持ちもあった。十二月も後半という事でクリスマスソングが曇天の空に響き渡る。


 何時間走り回った事だろう。時計はすでに22時を回っていた。体力の限界も近い。そういえば夕飯も食べていない。エネルギー切れも近い。そんな体をふるい立たせて、もう一度、白く染まった地面を一歩、又一歩と前へ進む。

 彼女に電話をしてみても出ない。近所の公園にもいない。これが本当の行方不明というやつか。頭をフル回転させて、彼女がいそうな場所を考える。

「……どこだ。どこだよ、夏美……」

 前回の事をふと思い出した。彼女が前回の失踪劇の時に逃げ出した場所。

「そうか、あの橋か……」

 街を南北に走る川にかかる大きな水色のアーチ状の橋。その橋は夜になると、歩行者はおろか、車さえ滅多に通らない。だからこそ、一人になれる場所。だからこそ彼女が今一番求めている場所。そして、僕と彼女の大切な場所。

 ここから橋まではかなり離れている。でも、行くしかない。もう覚悟は出来た。

 そして俺は体に鞭をうって、出来る限りの速度で走った。その間も雪は少しずつ勢いを増して、降り続いていた。


 橋のふもとの信号まで来た。橋は少し盛り上がっているので、信号から橋の様子は視認できない。でも彼女はきっといる。僕が灯してしまった彼女の心の信号を赤から青にするために。

 橋のふもとの信号は、僕にいってこいと言わんばかりに、青く光る。

 橋の前の坂を勢いよく上る。肺が爆発しそうだ。

「夏美!!!」

 橋を上ると、そこには彼女が川を眺めるようにいた。

「俊……くん??どうして……あなたは私を振ったんじゃ!!」

 夏美の顔が泣きはらして赤くなっているのが遠くからでも分かった。それをみて、僕は一歩。また一歩と彼女に近づく。

「こないで。こないでよ!!」

 彼女が叫ぶ。それでも僕は、足を止めない。そして、最後の力を振り絞って、彼女を抱き締めた。

「どうして……」

 しかし、僕は決して聞く耳を持たない。伝えなければならない事があるから。

「夏美。僕は君が好きだ。この世界のだれよりも。君が好きだ」

「なら、どうして、私を振ったのよ!!そんな同情なんていらないわよ!」

 僕の腕を振りほどこうとする。でも、そんなことはさせない。

「同情なんてするもんか。ただ、自分が夏美を幸せにできるのか考えて怖くなっていただけなんだよ。こんな楽しい時がもし壊れてしまったらって臆病になってただけなんだよ……」

「なら、どうしてそう言ってくれなかったのよ!私は、かなり傷ついたのよ……」

 彼女の抵抗心はすっかりなくなった。胸が彼女の涙で濡れる。

「そんなの面と向かって、言えるわけないじゃん。そんな事を言う男ってかっこ悪いだろ?」

 少しずつ空から降る白い雪は強くなる。風も冷たい。僕の胸の中にいる彼女も長時間寒空の下にいたせいで、冷たくなっている。

「俊君はなんだってかっこいいんだよ。勉強できて、スポーツは出来ないなりに一生懸命頑張って。そんな俊君が大好きなんだよ。みんながかっこ悪いっていったって、私はどんな俊君でも、俊君が好きなんだよ!」

 僕は運動神経がすこぶる悪い。世間一般では“もやし“と表現するべきだろうか、そんなか細い体格で、昔から苦労してきた。

「僕が勉強できるようになったのだって、スポーツ頑張っているのだって、全部君にかっこいい所見せたかったからだよ。残念なことに君はモテるからね。少しでも周りの奴に置いて行かれないように、君に見捨てられないように必死で努力してきたんだよ」

 もう迷わない。僕はこの娘を一生かけても守り抜く。たとえ、自分が動けないおじいさんになったとしても。

 外界から遮断されたように、橋は僕達二人の発する音以外聞こえない。これでいい。これが僕の望んだ最適解なんだ。

「ハハ……アハハハ……そうだったんだ。やっぱり、俊君は俊君だね。私もそんなあなたが大好きです」

 夏美らしい。泣きながらでも、笑ってごまかそうとする。

 僕は彼女を抱き締めるのをやめ、片手を彼女に差し出した。今度は僕から。

「夏美。あなたが大好きです」

 彼女は笑顔で、僕の手を取って、そのままの勢いで、僕の唇を奪った。

 風は止んだが、雪はまだ降り続いている。

 神様、僕はこの雪と闇が織りなす幻想的な夜空に誓うよ。夏美を幸せにするよ。

 それに返答するかのように、雲間から北斗星が姿を現し輝いていた。

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甘い恋は雪の後で 氷堂 凛 @HyodoLin

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