第41話 黒い瞳の男
主殿に近づくにつれて、淡い桜の香りが徐々にその濃さを増していくのを感じていたが、この景色を見て納得した。
春のうららかな日差しに照らされて、満開の桜が一面に咲き乱れ、はらり、はらりとその花弁を優雅に舞わせている。
横風が吹くたびにさあっと舞い上がる花吹雪が
広大な庭池には散った花弁が幾つも落ち泳ぎ、淡く光を放つ桃色の
加えて、穢れを知らぬ澄んだ空気が充満し、ここがいかに清浄な地であるかを物語っていた。
(先ほどの竹林とは正反対だな)
それから、主殿までの道はひどく静かなものだった。
こうして誰かの背を黙って追うのはあの日以来だったが、あまりにもあの時とは違い過ぎて、
身を包む明るさも、匂いも、肌で感じるものも、何もかもが全て違う。
それは、慣れた闇と
「止まれ」
前を先導していた近衛兵がさっと腕を上げた。
「これより先、少しでも妙な真似をするようであれば切る」
前を見つめたまま小さく紡がれた近衛兵のその言葉には、どこか迷いの音が混じっていた。
娘を救ったという事実と素性の知れぬ者への警戒が入り混じり、
そうして、ようやくたどり着いた広い主殿の奥、一段高くなった上座に琥珀族の
「お目通り光栄でございます」
「
静かな主殿に穏やかな声が響く。
声に従って
その金色にも似た、気高き色を瞳に宿したこの地の
凛とした細面の顔立ちではあったが、少し下がり気味の太い眉とその口から紡がれる穏やかな声が温厚な印象を与えている。
「娘の恩人であらせられる御方よ、なんとお礼を申してよいものか……本当に感謝いたします」
その瞬間、
名のある
「身に余るお言葉感謝いたします。しかし、まだ完全に
「恐らく呪術をかけた術師は再び姫君を狙うでしょう」
「なにゆえ……」
「わけは
これは俺にしか出来ないものだと、そう伝えるように。
「貴様に一体何の義理がある」
突如、後ろから怒気を含んだ声がした。
(何だ……?)
先ほど娘の
その男は
「
反射的に
男は顔をふせたまま
「月はこの者を災いと告げております。この者は決してこの地に招き入れるべきではない者です。どうか私の言葉に、月の
「月詠み殿……」
静まり返った主殿に、
「仕方ありません、去れと言われるならば去りましょう。私は巡行中の術師ゆえ、一つの所にはとどまりません」
これは賭けだった。
月詠みと呼ばれたこの男が一体何者なのか、どんな術を以て月の音というものを聴くのかはさっぱり分からなかったが、今この瞬間は、
さあ、どちらを取る?
「術師殿、お待ちください」
「
――かかった。
「今晩だけでもこちらでお休みください。娘を救ってくださったお礼もせずにお帰しするわけにはいきますまい」
「……」
どうやらこの
「ありがたく、お受けいたします」
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