第14話 嫁いできた者

 白い雪をまとった白銀の世界は、いつの間にか黄を帯びた淡い橙色の世界へと姿を変えていた。

 西に沈みゆく陽光がノジン村を夕色に染め上げ、徐々に地面に黒い影を伸ばしていく。

 夕餉ゆうげの準備が出来るまでの間、狩った猪の解体をすると言うイェルハルドと共に家屋の裏手にまわると、象牙色になった竹が何本も立て掛け並ぶ工房小屋が現れた。

 手前の大きな干し網の上には、乾燥させた山菜や獣の肉が綺麗に並べられている。

 イェルハルドは干し網の横の木板に置かれた子猪を持ち上げると、両足首にかぎを刺し込み逆さに吊り下げた。

 喉元からざっくりと腹がかれ、綺麗に内臓がくり抜かれた体腔からは赤桃色の肉と肋骨などの白い骨が見えている。

 イェルハルドは猟刀を手に取ると、子猪の足首付近に切り込みを入れた。

 それから、慎重に皮と脂肪の間に刃を沿わし、ゆっくりと皮を剥ぎ下していく。

 瞬間、しんとした冬特有の空気がより一層引き締まった気がした。

 ムウはその張りつめたような空気と共鳴するように、無意識に呼吸の音を殺しながら、食い入るようにその作業を見つめていた。

 やがて、首元まで皮を剥ぎ終えると、そのまま慣れた手つきで数か所に切り込みを入れて、頭部を切り離した。ぼとりと落ちた頭部つきの毛皮を受け止め、ぽんと木板の上に置くと、イェルハルドは一旦息をついた。

「毛皮に穴が空くと売り物にならないので、皮剥ぎは慎重にやらなきゃならんのですよ」

 ムウは納得したように頷いて、白い脂肪を纏って肉塊となった獣の姿に目をやった。

――こうして他種の血肉となっていくのか、と心の中で呟いた。

 同時に、己の肉体は数多あまたの命の恩恵の上に成り立っているのだと実感し、なんとも言えない不思議な気持ちにもなった。

 この子猪も然り、別の命を食らい一つの生命体となっているはずだ。

 生きていく為の流れの中には多くの生と死が混ざりあい、そして、それによって我らは生かされているのだ。

 今自分は、動植物の食い、食われる連鎖の延長線上に立っている。

 そう考えると、小さな点から枝分かれし、入り乱れた無数の網目状の光が頭に浮かび、ムウはそれがはかなくもあり美しいとも思った。

「あとは骨を抜いて、肉を切り分ければしまいです」

 ムウは脱骨と切り分け作業を素早く行うイェルハルドの解体技を見ながら、様々な思いを胸に抱いていた。


 ふと、小さく枯れ葉を踏む音が聞こえて後ろを振り返ると、サヤが立っていた。

「夕餉の準備が整いました」

 一言そう告げると、頭を下げてすぐに行ってしまった。

 サヤは物静かな人物だった。しかし、不思議と冷たい印象は抱かなかった。

 静かで表情は硬いが、背筋の伸びた綺麗な姿勢と落ち着きのある堂々とした雰囲気は貫禄や品の良さを十二分に表していた。

 一見細身で華奢そうに見えるが、歩く姿や所作から、おそらく無駄な肉のついていない、引き締まった身体をしているのだろうとも思えた。

 そして、この辺りでは珍しいさっぱりとした薄い顔立ちをしていた。

 ムウたちが住む南部地方出身の者には、堀深い目鼻立ちがはっきりした者が多く、サヤのように一重まぶたの切れ長な目を持つ者は珍しかった。

 昔、イェルハルドが酒場で顔を赤らめながら、美人の女房が家で待っているんだと話をしていたが、その言葉通りサヤはとても美しい女人だった。

 その時、見ず知らずの隣の客にまで、俺には勿体無いくらい器量のいい女房なんだと延々と自慢話をするものだから、隣の客を困らせていた姿を思い出してムウはふっと笑みをこぼした。

「……?」

 イェルハルドはムウが笑った理由が分からず、眉を上げた。

「ああ、すみません。昔サヤさんの事をとても褒めていらっしゃったのを思い出しまして」

 ムウは続けて小さく笑った。

「勘弁してください、そんな昔の話を。女房には言わんで下さいよ」

 イェルハルドは照れたように頭を掻いた。

「この辺りでは珍しい顔立ちですね。北国のご出身ですか?」

「ええ、サヤとは私が北に出稼ぎに出ている時に知り合ったんです。あれは確か、十年程前だったかな」

 イェルハルドは昔を懐かしむように顎をさすりながら話し始めた。

「当時私らの作る竹細工は各地でちょっと名の知れた品物だったんです。山や森を切り崩して、石の歩道を敷き、立派な建物が建ち並ぶような国では、竹は珍しい品だったんですよ。そん時も、竹細工の技術を是非とも教えて欲しいという依頼が有りましてね、村の仲間と一緒に学び舎のような工房を開いてました。

 ある日、天日干しした竹をとりに工房の裏手にある小屋に行くと、全身血だらけのサヤが木戸のそばで倒れていたんです。恐らく、少し休もうと木戸に背を預けたはいいが、そこで力尽きたんでしょうね、木戸にはずり落ちた血の跡が線を引いていましたから。

 慌てて声を掛けても反応が無く、荒い呼吸を繰り返すばかりで、私は恐ろしくなって急いで街医者を呼びました。医者が言うには肋骨と前腕骨、それに左の足首の骨も折れていたそうで、どんな目にあったらこんな状態になるのか分からないと驚愕していましたよ」

 ムウは黙ったまま話を聞き入っていた。

「その後、サヤは高熱が続き、なかなか目を覚まさなかった。私はこのまま目を覚まさないんじゃないかと気が気でなくって、毎日医者の所に通ったのを覚えています。

 三日程経った頃、ふとサヤが目を覚ましましてね、まだ動いちゃいかん、と言う医者の言葉も聞かずに立ち上がろうとするもんだから、流石に私も一緒になって止めましたよ」

 イェルハルドはその時の騒動を思い出したのか、小さく肩をすくめてみせた。

「サヤが言うには、自分は仕事で大きな失敗をして、貴族のお偉いさんを怒らしてしまい、国を追われたと言うんですよ。仕事の失敗であんな仕打ちをされるものかと私は驚きましたがね。しかし、サヤはそれ以上の話をしたがらなかったんで、深くは詮索せず、身体を治すことに専念してくれと伝えました。

 で、自分でも驚いた事に、気付いた時には口をいて出てたんです。――行く当てが無いなら俺と一緒に暮らさないかと。まぁ、その……」

 イェルハルドは少し躊躇ためらった後、気恥ずかしそうにぼそりと呟いた。

「私の一目惚れだったんです」

 一瞬、淡い花の香りがふわりと頬を撫でたような気がして、ムウは口元を緩めた。

「そっから、医者の所で養生しているサヤに毎日会いに行って口説き続けましてね、ようやくサヤも折れて首を縦にふってくれたんです。

 こんな何も無い田舎に嫁いできたのに、文句の一つも言わず、私が留守の間も上手くやってくれてます。サヤはああ見えて獣を狩るのも巧いんですよ。獣を苦しめない狩り方をする。良ければこの冬の間にムウ殿にもお教えしましょう。

 さて、昔話が過ぎましたな、飯にしましょうか」

 イェルハルドは先ほど剥いだ毛皮を水のはった桶に突っ込み、解体した肉を干し網の上に丁寧に並べると、上から雪をかぶせた。


 空を見上げると、先ほどまでムウたちを照らしていた橙色の陽光は、すっかり西の山に姿を隠し、東の空には薄い夕月が昇っている。

 山頂付近の薄い橙の残光と、その上空をおおう青みがかった薄紫の二層の空模様が、夜のとばりが下り始めているのを告げていた。

 気温は一気に冷気を帯び、ムウは温めようと両手をさすった。

 イェルハルドが家屋の木戸を開けると、夕餉のいい匂いが鼻を掠めて、ムウの腹が小さく鳴った。

 震える寒さの中、干し肉とわずかな水で空腹をしのぎ、なんとか山を越えてきたムウにとっては、腹の虫を誘ういい匂いの食事も温かい家屋も堪らなく嬉しかった。

 手を洗う為に水場に近づくと、サヤが桶いっぱいに入った山菜を洗っていた。

 水仕事をする為にまくり上げられたそでの下からは、ほどよく筋肉のついた腕がのぞいている。

 ムウはその腕の肘付近に目が止まった。そこには、深い青藍色せいらんいろをした見たことの無い不思議な模様が彫られていた。

――中央の円から沿うようにして、炎が噴き上がっているような波打った曲線が不規則に描かれており、それはまるで燃え盛る太陽を彷彿させた。そして、その太陽の上を縄のような模様の直線が二本交差している。

 ムウが珍しそうに見つめていると、サヤはそれに気付き、一瞬目を見開いた後さっと袖を引いて、隠してしまった。

 あまり見られたくないものだったのだろうか、わずかにサヤの顔が曇ったのを感じた。

「不躾に申し訳ございません。珍しい模様だったものでつい」

「……いえ」

 サヤはそれきり口を閉ざし、水仕事を続けた。

「ほれ、猪鍋が沸いたぞ。お前らもこっちに来て座れ」

エルヴィナ――イェルハルドの母親――の声で我に返り、ムウは素早く手を洗い、囲炉裏の前に腰を下ろした。

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