第13話 天鼠の衆

 囲炉裏の上に置かれた鉄釜の中で、濃い蒸気を上げて、湯がぼこぼこと沸いている。勢い余って飛び出た湯は、釜の縁を伝って木灰もくはい鈍色にびいろに染めていった。

 イェルハルドは柄杓ひしゃくを手に取り、釜の中から湯をすくうと、薬草の入った椀にゆっくりと注ぎ入れた。

 渡された椀から立ち込める薬草の香りと、温かい湯気が顔に当たり、ムウはふっと肩の力が抜けていくのを感じた。

 椀から伝わる熱が、冷え切ってかじかんだ手をゆっくりと溶かしていく。

 慎重に椀の端に口を付けて一口すすった。熱い薬草茶が喉元を通り過ぎ、一本の細い道を通って、やがて胃へと落ち広がる様を黙って噛み締めるように味わった。

 嚥下した途端、声にならない深い吐息が漏れた。

 よほど緩んだ顔をしていたのだろうか、イェルハルドは薬草茶を啜りながら嬉しそうにムウを眺めていた。

「身体を温める薬草を入れたんで徐々に温まりますよ。しかし、この時期に山越えなんて随分無茶をなさった」

 イェルハルドは困惑した表情でムウを見つめた。

「ええ、重々承知の上で今回の旅に出たのです」

 ムウはそっとかたわらに椀を置くと、改めてこの村を訪れた理由を語った。

「事情が有り、詳しくはお話出来ないのですが、人を探しております。ある人が言うには、その者は北の谷に住んでいるとの事でした。

 以前、北の地理に詳しいとお話して頂いたのを覚えていたので、イェルハルドさんなら何かご存じかもしれないと思い、お伺いした次第です」

「はぁ、詳しいと言っても人聞きも多く……それに、谷と言っても数え切れない程あちこちに有りますから」

 イェルハルドは話の意図が掴め切れずに、歯切れの悪い返事をした。

 ムウはその様子を見て、回りくどい物言いを止めた。

谷に棲む民ラガ・コテルと言う言葉をご存知でしょうか?」

谷に棲む民ラガ・コテル?」

 イェルハルドはしばらく思案していたが、静かに首をふった。

「申し訳ないですが、私にはさっぱり……。その谷に棲む民ラガ・コテルと言うのが、ムウ殿の探しておられる尋ね人ですか?」

「そうです。北の谷に住んでいるという手掛かりしか無く、何処の谷に住んでいるのかも分りません。実のところ私では八方塞がりで」

「谷か……北は複雑な地形が多く広大ですからな」

 イェルハルドは顎をさすりながら鈍くうなった。

 しばらく囲炉裏の中の木灰を灰掻きでつついていたが、何かを思い出したようにあっと声を上げた。

「そう言えば〈天鼠てんそしゅう〉がいたな」

 ムウは顔を上げて、瞬きをした。

「ああ、所謂いわゆる情報屋です。小さな噂話から国の存亡に関わるような危なげな話まで、ありとあらゆる情報を売って生計を立てている連中のことです」

 イェルハルドは更に続けた。

「天鼠の衆が扱う情報に半端物はなく、恐ろしく正確だと言われております。彼らがどんな手を使って、いつ、何処で行動しているのか、それを知る者は居ません。しかし、確実に依頼主が欲している情報を掴んで帰ってくるんです。そんな霧に包まれたような連中ですから、常人には聞こえない何かが聞こえているのでは? と気味悪がられて天鼠てんそ――蝙蝠こうもりの別名をとってそう呼ばれているんです。彼らなら、その谷に棲む民ラガ・コテルについて何か知っているかもしれません」

「何処に行けば会えますか?」

 暗闇の中、光を掴んだような高潮感を隠しきれずに声が上ずった。

「名もない写し屋を探せ、そこで天鼠が待っている」

「……?」

「これは天鼠の衆の仕掛け言葉です。依頼主はこれを頼りに天鼠の衆の巣窟そうくつに自らおもむき、捕獲される。天鼠の衆は客を選びません、金さえあれば誰でも依頼する事が出来ます。しかし、彼らから話を持ち掛ける事は決してありません。いつ、いかなる時も彼らは獲物が来るのをじっと待っているんです」

「写し屋? 書物を取り扱っている、あの写し屋ですか?」

 ムウは目を細めて訊ねた。

「ええ、何処のといった決まった場所はありません。街、村、奥山、何処でも。なんせ、彼らの生業なりわい領域はこのサリョ大陸全体ですから、何処に居るかは分からないが、必ず何処にでも居る。そう言う連中です」

 イェルハルドは薬草茶を一口啜って続けた。

「私も噂程度にしか知りませんが、確か、何だったかな? 彼らに会うのに掛け言葉みたいなもんが有ったはずなんですが……」

ちょうじゅうならざる者の勘物かんもつを欲す」

 突如後ろから声がして反射的に振り返ると、門戸に老女と細身の女人にょにんが立っていた。

「お母、サヤも。戻ったか」

 サヤと呼ばれた女人は静かにムウに向かって頭を下げた。

「私のお袋と女房です」

 それを聞いたムウは姿勢を正して、深々と頭を下げた。

「隣国アウタクル王国より参りました、ムウと申します」

「近所で異国人が来たと騒いどったが、まさか自分の家におるとは思わなんだ」

 老女は独り言のように呟きながら、山菜と干し肉の入った編み籠をどさっと床に置いた。

 一方、サヤは無言で編み籠から枯れ枝と薪を取り出し、仕分けをし始めた。

 ムウはその様子を暫く見つめていたが、やがて、たまらず口をひらいた。

「あの、先ほどの」

「ん? 天鼠の衆の掛け言葉かえ? 『ちょうじゅうならざる者の勘物かんもつを欲す』こう言えばええ。これがやつらの掛け言葉だ」

「そのお話、詳しく教えていただけませんか?」

 ムウが興奮気味に身を乗り出すと、老女は小さく首をふった。

「山菜の仕分けが先じゃ。夕餉ゆうげの時にゆっくり話ちゃる」

 自身のはやる気持ちが先行し、家仕事の邪魔をしてしまった事に気付き、慌てて無礼を詫びた。

 そして、羞恥をごまかすように一つ咳払いすると、イェルハルドに向き直った。

「それで、折り入ってお願いがあるのですが……」

 ムウは少しだけバツが悪そうに呟いた。

「冬の間、この家においていただく事は可能でしょうか? そして、共に北へ同行させて頂きたい。勿論、無償でとは言いません。ここに金貨があります。一冬の宿代として受け取っていただければと」

 言いながら、懐から金貨の詰まった小袋を取り出した。

 これは宮を発つ前にガルムから受け取ったものだった。お前だけに背負わせる無礼を許して欲しいと、顔を歪めたガルムの顔と不安そうに見送った姉の顔が浮かんだ。

「いやいや、待ってください」

 小袋を見たイェルハルドは焦ったように両手を振って、ムウの言葉を遮った。

「金貨なんてとんでもない、金一枚で私らは半年ほど何不自由なく暮らして行けます。そんな大金受け取るわけにはいきません」

「しかし……」

 言いかけたムウの言葉を、イェルハルドは首を振って止めた。

「では、冬支度を手伝って頂けませんか? 丁度男手が無くて困っていたところです。なんせ、この家にはお袋と女房しかおりませんので、力仕事を出来るもんが私しかいないんですよ。ただ、私ももう四十後半、若い時のようには体が動かんので頭を抱えていたんです。冬支度を手伝ってくださるって事なら、私の方から頭を下げてでもお願いしたいくらいですから」

 名案だとでも言うようにイェルハルドはうん、うん、と頷いた。

「はぁ、受けとりゃええのに、全く。お前はもう少し賢く生きるすべを身に付けにゃならん。ほんに、爺さんそっくりに育ちおって」

 老女は二人のやり取りを聞いて、呆れたように呟いた。

「お母、わしらは獣狩って、竹編んで生きてきたんだ。そんで十分生きていける。それに助けを求めに来た人から金なんて取ってみろ、死んだお父に顔向け出来ん。冬支度さ手伝って貰う代わりに宿を貸す、それでええが。な、そうしましょうや、ムウ殿」

 イェルハルドはムウに向き直り、穏やかに笑ってみせた。

 気が高まり、無意識に出てしまったであろうと思われるイェルハルドの懐かしいなまり言葉を聞いた途端、ムウは今までひた隠しにしていた焦燥感がようやく少し、落ち着いた気がした。


 こうして、冬支度を手伝う事を条件に、イェルハルド一家と共にノジン村で冬を越す生活が始まった。

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