第二章 獣狩りの村

第12話 再会

 天高く伸びた竹の群生から、濃い緑の光が溢れている。

 辺りを見渡すと、雪の重さに耐えかねて、腰を低く曲げた竹があちらこちらに点在している。

 風はまるで呼吸をするように竹の間を渡っていく。

 ムウはすっと顎を上げ、静かに目を閉じた。視界を閉ざすと先ほどよりも一層、この世界が鮮明に感じられる。

 早朝の澄んだ空気を肺いっぱいに取り込み、名残惜しい思いでほうっと小さく息を吐き出すと、全身の力が抜け、旅の疲れがゆっくりと体から滲み出ていくようだった。

 姿は見えないが、どこからともなく聞こえる野鳥のさえずりと、風に揺られる葉のざわめきがとても心地良い。

 しばらく時を忘れてたたずんでいると、横から何かが崩れる音がして物思いから覚めた。

 音がした方に目をやると、まさに今、朝日を浴びて緩くなった雪がゆっくりと竹から落ちていくところだった。

 ばさばさと音を立てて雪が地面に落ちた瞬間、竹はこの時を待っていたかのように、全身を震わせながらぱんっと勢いよく天へとのぼっていった。

 釣られて天をあおぐと、降り注ぐ朝日の隙間から先ほど落ち切れなかった雪の名残がはらはらと、緑の光を反射して舞い降りてくる。

 ムウはその幻想的な光景に感嘆の声を漏らした。


 ムウがジュゴ王国の関所を通り、ノジン村の竹林に足を踏み入れたのは、やしろを発ってから三日目の朝だった。

 アウタクル王国とジュゴ王国を繋ぐ山道は比較的緩やかで、勾配こうばいの急な坂も有ったが、そういった所には昇り降りし易いように地面に木の板が埋め込まれており、歩くのに困る事は無かった。

 幸いにも天候に恵まれて、夜は山道を外れ岩陰で火をおこし、寒さ除けの油紙をきつく巻いた上から毛皮の外套がいとうまとえば何とか過ごすことが出来た。 

 時折すれ違う背負子しょいこを背負った商人と談笑し、休憩を交えながら峠を超え、ようやくこの竹林に辿り着いたのだ。


 竹林を抜けると、そこには雪に覆われた真っ白な田園風景が広がっていた。

 敷き詰められた雪の絨毯の上で小さな結晶が朝日を浴びて、散りばめられた宝石のように輝いていたが、だだっ広い平坦な土地のせいか、さほど眩しくは感じなかった。

 広大な景色を眺めながら、田畑に挟まれた細い一本道をゆっくりくだっていくと、茅葺かやぶき屋根やねの民家が間隔をあけてぽつぽつと建っているのが見えてきた。

 近づいて行くと、手前の畑で農作業をしている腰の曲がった老女を見つけた。

 他にこの辺りには人影は無く、ムウはその老女に声を掛ける事にした。

 こういう小さな村であれば大抵、誰が何処に住んでいるのか把握しているはずだ。

「すみません、イェルハルド・オグナさんのお宅はどちらでしょうか?」

「はえ? イェルさんに会いに来たんかえ? イェルさんなら今、この山ん中で獣を狩っとるよ」

 最初は珍しい来客に驚いてはいたものの、別段警戒する様子も、怪しむ様子も無く、畑から繋がる山を指差して、あっさりと教えてくれた。

 礼を言い、山へ歩き出そうとした瞬間、老女は何かを思い出したのか、先ほどよりも少し声を張ってムウを呼び止めた。

「ああ、あんた、山ん中はいっぱい有るから気を付けて進め」

 老女は足元を注意するような手振りで両手を上下に動かして地面に目をやっている。

 ムウはその動作の意味を理解し、一つ頷いた後、深く頭を下げて再び歩き出した。

 言われた通りは木の根元に置かれ、土や枯れ葉を薄く被せて、素人目には分からないように隠されていた。

 罠から目線を少し上げると、木の幹には乾いて灰色になった泥がこびりついていた。また、別の罠が置かれた木の幹には鹿の樹皮剥ぎの跡も見受けられた。

 どうやら獣達が残した痕跡をたよりに罠を設置しているらしかった。

 山民ならではの狩猟方法に感心しつつ、木の付近を避けて慎重に山の奥へ進むと、懐かしい後ろ姿が目に留まった。

 竹で編んだ大きな籠を背負い、手には狩ったばかりなのか、まだ血抜き中の小さな猪が握られている。

 近づくと、赤黒い地面から沸き立つ生暖かい鮮血の匂いが鼻をついたが、ムウは表情を変えるような事は決してしなかった。

 一方、イェルハルドは背後から近づいてくる足音に気が付いて振り向いた瞬間、目を大きく見開いて心底驚いているようだった。

「これは! 珍しいお客様だ。お久しぶりですな、ムウ殿」

 ムウは微笑んで頷いた。

「お久しぶりです。近隣の方からここだと聞いてお伺いしました。何の便りも無く、急に申し訳ございません。北に出稼ぎに行かれる前にどうしてもお会いしたかったもので」

 意味を含んだムウの物言いにイェルハルドは一瞬首をかしげたが、再会の喜びの方が強かったのか、目尻を優しく下げたままムウの手を取った。

「立ち話もなんですし、さあさあ、どうぞ我が家へ」

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