第8話 旅支度
分厚い灰色の雲の隙間から太陽の光がうっすらと差し込み出したのは、ムウが宮を発ってから随分と経ってからだった。
草木に積もった雪は、太陽の光を反射してキラキラと煌めきはじめ、やがてぽたりぽたりと雫を垂らして大地を濡らしていく。
濡れそぼった草木からは、むせ返るような
ムウはそんな匂いを嗅ぎながら、唇を強く噛み締めていた。
視野を広げようと多くの異国を渡り歩いても、自分の知らない世界は
そして、
月を詠んでは変わらぬ平穏なこの国の未来に、果たして自分は必要なのだろうかと疑問を抱き、社を離れることが多くなった。
心のどこかで姉が居るから大丈夫だと高を括っていたのかもしれない。……いや、正確には逃げ出したのだ。
何においても姉には勝てず、飾りだけの当主である自分自身から。喜ぶべき平穏に刺激を求め、事が起こることを期待していた
――いざ、事が起こればこうして
ムウは一つ深いため息を
ふと、足下に視線を移すと、山道脇に薄っすらと雪を被った
鮮やかな黄色の花を咲かせ、露に濡れた
白と緑の景色の中、ひと際目立つ黄色の花はどこか異質で、普段なら気にも止めない花が嫌に目に付いた。
ムウはゆっくりとしゃがみ込みそっと茎ごと
本来であれば、今すぐにでも
一旦社に戻り、身支度をする時間さえも惜しかった。
しかし、何の情報もなく闇雲に北を目指すだけでは、到底たどり着けない事は目に見えている。それに、旅をしながらひと冬を越すにはそれなりの準備が必要だった。
ムウはもう一度大きなため息を
*
「ムウよ、今まで何処で何をしていた」
静かな一室にガーシャの冷たい声だけが響き渡った。
一段高くなった祭壇の前に座り、ガーシャは正座をしているムウを見下ろしていた。
感情的な怒りとは真逆にある、言葉の奥に鋭い刃物を隠し持ったような冷たい言葉の音色を聴き、ムウは目の前の父親がどれほどの怒りを内に秘めているのかひしひしと感じていた。
「すぐに戻るというから社をあけるのを了承したというのに、
ガーシャは淡々とムウに問いかけた。
しかし、内なる怒りが滲み出た圧のある声色は、部屋中の空気を凍らせていた。
「……申し訳ございません。異国に魅了され時を忘れておりました」
ムウはガーシャに言い訳を述べながら、心の内で舌を鳴らした。
出来ればガーシャに見つかる前に社を出発したかった。
厳格な父は何よりも規則やしきたりを大切にする人だ。幼い頃、一度だけ月詠みの稽古をサボって友人と遊びに出掛けた時もこうして長い時間説教を食らったのを思い出した。
十月以上も社をあけ、挙句ふらりと戻ってきたムウに対して、怒りを抱いていないはずも無く、説教をくらうのは容易く想像がつく事だった。
だが今は時間が惜しい、いつもの説教を聞いている時間はない。
「父上がお怒りになられるのはごもっともです。当主としての自覚が至らず申し訳ございませんでした。しかしこの一大事、私にもうしばらく時間を頂けませんか」
ガーシャは一瞬眉をひそめたが、黙ったままムウを見つめた。
「私に真実を導く役目を頂きたいのです。昨晩、姉さんに会いに宮に行きました。そこで私は自分が何をしなければいけないのかはっきりしたのです」
ムウは昨晩の事をガーシャに話し始めた。
「皇太子様はもともと
ムウはそう言うと、真っ直ぐガーシャの目を見据えて強い意志を示した。
そして、正座をしたまま床に両手をついて、深々と頭を下げた。
「お願いします。どうか私にこの国を救う方法を探す時間を下さい」
束の間、静寂が二人を包み込んだ。
ガーシャは目を閉じて何やら考え込んでいたが、やがて、深いため息を
「……よかろう。どうせ駄目だと言っても聞かんのだろう。現にお前は詫びも挨拶もせずに行こうとしていたのだからな」
反射的にムウの眉がぴくりと動いた。
ムウは顔を上げず、じっと床を見つめながら、全て見透かされていたことを知り、心の中で苦笑した。
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