第7話 ラガ・コテル

 ムウはざわつく胸中を必死に押さえ、眉根まゆねを寄せながら、険しい表情で山を登っていた。

 目の前の山道を頭の隅では捉えているが、一方で意識は全く別のところにあった。

 しかし、無意識であっても体は――足は通い慣れた山道を難なく登っていく。

 ガルムやミアたちが住む宮から月詠み一族のやしろに戻るには、山を二つ越えなければならなかった。

 山といっても高さはそれほど無く、商人が行き来し易いようにとならされた一本の道が引いてあるので、一日もあれば人の足でも超えられる程度のものだった。

 とはいえ、溶けては凍って固まった氷上のような雪道を滑らないように慎重に歩きながら、ムウは昨晩の事を繰り返し思い出していた。

――ラガ・コテル(谷に棲む民)

 昨晩ミアは聞きなれない言葉を口にした。

金色こんじきまなこの言い伝えは全てがあまりに不明瞭です。なぜあの悲劇が起こったのか、どのようにして収束したのか、詳しく書かれた書物が一切残っておりません。

 私はそれがずっと不思議でした。

 あの悲劇が二度と起こらないようにといましめとして、多くの人々に記憶させるには書物が一番効果的なはずです。しかし、そのたぐいが一切無いのです。金色の眼の言い伝えはなぜ人々の口伝いにしか伝わらなかったのか。

 大書物庫――宮にある建物で建国の歴史やこの国のまつりごとの記録など一般には公開されていない書物が多くしまわれている建物――に通いましたが見つかりませんでした」

 ミアは一瞬、様子をうかがうようにガルムに視線を向けたが、ガルムの見つめる先にあった蠟燭の炎に素早く視線を移すと、更に続けた。

「皇后様がご懐妊されたあの晩、つまり金色の眼の誕生を詠んだ日、私は一種の恐怖を覚えたのです。

──なぜ自分は何も知らない言い伝えを、何の疑いもなく易々と信じているのだろうかと」

 ムウはその言葉を聞いてはっとした。先ほど寝具の上で掴み損ねた違和感を、姉は随分前から気付いていたのだ。

「それから私は大書物庫を諦めて、少しずつ街に出向き情報を集める事にしました。

 そんなある日、オルガ・ヤシュ(紡謡ぼうようの民)の長老と話をする機会があったのです」

 ムウとガルムは揃って眉根を寄せた。

 紡謡の民オルガ・ヤシュ――心地の良い声を持ち、独特な旋律に乗せて物語を紡ぐ一族。

 一つの場所にはとどまらず、大陸を渡り歩きながら人々を楽しませるのを生業なりわいとしており、人々からは紡謡の民オルガ・ヤシュと呼ばれている。

 ムウもガルムも一度、宮のうたげでこの一族を見たことがあった。

 弦が張られた楽器や、息を吹き込むと音の鳴る細長い楽器を奏でながら、舞台の上では次々と物語が演じられていく。

 口から紡がれる旋律は何とも言えない心地よさがあり、それぞれの場面に応じて変わっていく声色に魅了され、食事をするのを忘れて物語に引き込まれたのをムウは思い出した。

紡謡の民オルガ・ヤシュは多くの物語を知っています。伝承や言い伝えに強い一族ですから、私達には伝わらなかった〈何か〉を知っているかもしれないと思ったのです。

 そこで私は〈ラガ・コテル〉と言う存在を知りました。彼らは〈谷に棲む民〉と呼ばれ、この大陸の北方の谷でひっそりと暮らしていると言われています。

 紡謡の民オルガ・ヤシュの長老の話では、金色の眼が起こしたあの悲劇が起こった時、谷に棲む民ラガ・コテルはまだ谷に棲んでおらず、ここアウタクル王国に住んでいたと言うのです。一部の間では金色の眼に滅ぼされた一族の生き残りではないかと噂されているようで、この国の――私達の祖先と共に暮らしていた可能性があります。そして当事者としてあの悲劇の全貌を知っているかもしれないのです」

 ミアは一気に話終えた後少し間をあけて、やがて困ったように呟いた。

「ただ……彼らが今どこの谷に棲んでいるのかまでは分からないとのことでした」

 ミアはそれきり口を閉ざし、再び静寂が三人を包みこんだ。

 三人は一つの蠟燭を見つめながら、思い思いに思考を巡らせて暖炉から聞こえる薪の爆ぜる音だけを静かに聞いていた。

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