第6話 アウタクル王国

 門番のナトは、強く吹き抜けた早朝の風に身を震わせた。

「今朝は一段と冷えるな……」

 そう呟くと、首に巻き付けた厚手の布をきつく巻き直しながら空を見上げた。

 見上げた先には、分厚い灰色の雲に覆われたどんよりとした空が広がっている。

 ナトはそんな空を見つめながら、祝いムードに沸くこの宮には随分相応しくない天候だな、と眉を上げた。

 宮殿から皇太子が産まれたとの伝達を受け、他の門番達は朝から祝い酒を引っ掛けていた。

 門の上の監視係も今日だけは無礼講だと、門近くの宿舎で酒盛りをしている。

(吞気なものだ)

 ナトはふっと笑みをこぼした。

 長年大きな争いごともなく、平穏を保っているこの国がナトは心の底から好きだった。


 ここアウタクル王国は山々に囲われた盆状の地形になっていて、サリョ大陸の一番南に位置する国だ。

 争いごとを嫌った祖先たちが山を開墾し、そびえ立つ山々で身を守るため、はるか北方から移住して来たのだと言われている。

 国の南側には険しい山脈がそびえ立ち、他国からの侵略を防ぐ大きな役割をになっている。

 山脈を超えれば大海原が広がっていると言われているが、誰もその山脈を越えたことがないので真実を知る者はいなかった。

 穏やかな気候と水捌けの良い土地に恵まれて、人々は田畑をたがやし自給自足の生活を確保していった。

 それに加えて、一歩山へ入れば様々な植物が豊富に自生しており、アウタクル王国ではそれらを潰して布を染めた染物が盛んになっていった。

 やがて、色あせる事が無く、まるで生い茂っている植物をそのまま布にしたような綺麗な発色技術が有名になり〈タクル染め〉の愛称で大陸中に名をせた。

 染色技術は代々親から子へと受け継がれ、この国の名産品として、また他国との交易のかなめとして人々の大きな収入源となっている。


「皇太子万歳!」

 宿舎から聞こえてくる何度目か分からない乾杯の掛け声に半ば呆れながらも、ナトはこれからも続く平穏な日常と、酒盛を楽しんでいる仲間の顔を思い浮かべ、再び笑みをこぼした。

 その時、ギギっと門の扉が開く音がして慌てて後ろを振り返った。

 門が開いた僅かな隙間から、ムウが扉を押してこちらに来ようとしているのが見えた。

「ムウ様、おはようございます。申し訳ありません。門番共が祝い酒をと、仕事をサボっておりまして……」

 ナトはムウに謝罪の言葉をかけながら、素早く扉を体の内側に引き寄せて、ムウが通れる隙間を作った。

「気にするな。みな、待望の皇太子に浮かれるのは当然のことだ」

 ムウは穏やかな口調でナトに微笑んだ。

 その時ふと、身支度を整えたムウの姿に気付き、ナトは不思議そうに問いかけた。

「もう帰られるのですか? いつもはもっと長くいらっしゃって私たちに外のお話をしてくださるのに……」

 ナトはムウの語る外の話が大好きだった。

 異国の美女の話や、想像しただけで思わずよだれが出そうになる食べ物の話、見たこともない奇妙な生き物の生態や草木の話、ムウが語る全てがこの国にはない珍しいものばかりで聞くたびに心が踊った。

「ああ、すまない。聞かせてやりたい話は山ほどあるのだが、急ぎやらねばならぬ事が出来てしまった。すぐにやしろに戻る」

「そうですか、月詠みの当主様も大変ですね……。それにしてもミア様は帝に仕えられ、ムウ様は社のご当主。ご姉弟揃って、ご両親もさぞ鼻が高いでしょう」

 ナトは冗談っぽく片眉をあげて笑ってみせた。

「よしてくれ、俺はそんなたいそうなものじゃない。当主と言っても名ばかりでフラフラ異国を旅しては、毎度父親に怒られているよ」

 ムウは苦笑しながらそう言うと、名残惜しそうにするナトに背を向けて足早に宮を後にした。

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