決死

 僕に拒否権はなかったと思う。

 もともと僕は親に反抗したことがほとんどなかった。それは両親を深く敬愛しているからとか、良い息子を演じて両親を喜ばせたいからとかって理由じゃなく、単純にそうしないと面倒だったから。

 親に反抗する気力や体力を生まれた時から持ち合わせていなかった。

 だから、母親に来週から塾に行けと言われた時も、反発することはなかった。

 だが、心の中では「面倒なことになった」と頭を抱えていた。

 ただでさえ苦痛な部活と、理解不能な授業のせいで僕の中学生活はダークグレーなのに、それにプラスアルファで塾なんて行こうもんなら…

「真っ黒だ」

 口に出してつぶやいてみた。自分の部屋でベッドに寝転びながら。

 無論、こんなつぶやきが母親まで聞こえるわけがない。

僕の部屋は二階で、母は今頃一階のキッチンで夕飯の支度をしているはずだから、僕の生まれつき覇気のない声じゃ届くはずがない。

 それでももう一度、口に出してみた。

「真っ黒になっちゃったよ、僕の中学生活」

 僕の、人生初の、あまりにも小さな親への反抗だった。


 僕が通うことになった塾は、家から自転車で十分くらいかかる場所にある。全国展開している大手ではないが、僕の地元の県内ではいくつかの教室を展開している個別指導の進学塾だった。

 そして、この塾の僕が通う教室は、僕の中学校と、その隣の中学校の学区の境界線付近にある雑居ビルの二階に入っていた。

 学区の境目に立地することで、複数の学校から生徒を獲得しようという経営戦略なのだろう。


夏休み初日。

僕は全く心が踊っていなかった。

夏休みとは無条件で心がうきうきするものだと思ってたのに。


僕は“例の”雑居ビルの前に立っていた。

おそらく、普段生活していればこの前を通りかかったとしても、何ら気に留めないであろう。そんなボロボロの、どこにでもあるような雑居ビルだった。

しかしいま、私は圧倒的な威圧感をこの雑居ビルから感じていた。

雑居ビルの狭くて薄暗い階段を上って、2階にある塾に行かなければならないのだが、いかんせん足が重い。


見知らぬ空間に飛び込むのは苦痛だ。

しかも今から行くのは塾だ。

当然これから勉強をするわけだ。


勉強ができなさ過ぎて怒られたらどうしよう。

やはり塾の先生というのは教育熱心でスパルタなのだろうか。

塾の生徒というのもやはりみんな真面目で成績がいい人ばかりなのかな。

僕だけ成績が悪すぎてみんなからバカにされるのでは。

それに塾には上級生や高校生もいるはず。

そもそもこの塾には僕が通っている中学校の生徒以外もいるはず。

確か隣の中学校は結構治安が悪かったはず。

そんな中学の奴らと仲良くなれるのだろうか。

仲良くなるどころか、そもそも目付けられずに済むのか。


とんでもないスピードでネガティブな思考が脳内を駆け巡る。

しかし、足踏みしていると遅刻してしまう。

初日から遅刻などしたらそれはそれで怒られそうだ。

私は意を決して雑居ビルの階段を上った。


やがて2階についた。階段を上りきったところにガラス窓の扉があった。その扉には「光進学ゼミナール」と書かれたプレートが貼り付けられていた。

紛うことなき、僕が行く塾だ。

ここでもやはり少しためらったが、意を決して扉を開けた。


あとはどうとでもなれ…!

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落陽 烏川 碩 @say_yes

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