1話 (2)

 2年6組の教室には、まだ全体の3分の1ほどの人しかいなかった。俺は黒板に貼ってある座席表を確認すると、辺りを見回しながら自席を目指す。パッと見やはり知っている奴は少ない――


「……マジか」

「……なに?」


 俺が思わず声を漏らすと、彼女は本から顔を上げ、不機嫌そうな声を隠すこともなくそう応えた。


「(……隣ってマジかよ、悠月)」

「(ばかっ、なんで名前で呼ぶのっ。バレたらどうする気っ!)」


 俺が小声で驚きを口にすると、悠月は少し慌てた様子でそう言ってきた。やはり学校内では〝薔薇の女王〟のイメージを壊したくないらしい。


 ふいっと顔を背けている悠月に返そうとしたが、後ろから声を掛けてきた少女によって断念せざるを得なかった。雨宮も咄嗟に仮面を取り繕う。


「おはよ、阿室あむろ。雨宮も」

「……おはよう」

「おはよう。お前も同じクラスなんだな、尾野」

「うん。知ってる人がいて安心したよ」


 そう言ってニコッと笑みを浮かべたポニーテール美女の名は尾野紗耶香おの さやか。弓道部の新部長で、その実力は久我塚高校初の全国大会出場を果たすほど。また生徒会に所属していて、まさに文武両道を地で行く少女だ。彼女もまた雨宮、天ヶ崎の〝かぐや姉妹〟に次いで有名だ。ただ、その人気は女子に高い。理由は知らん。知らないほうが身のためだ。たぶん。


 去年は彼女とは別クラスだったが、いろいろあったためこうして話しかけられるくらいには仲がいい。


「雨宮。1年間宜しくな」


 尾野はそう言って雨宮に手を差し出すが、当の雨宮はサッと顔を背けると、再び本に目を落としてしまった。


「……気難しい性格なんだな」

「まぁ、そっとしといた方が良いぞ」


 少し残念そうにする尾野の背中を押してその場から少し離れた俺は、先程からずっと近くをうろうろしている優男に意識を向ける。すると尾野が忘れてた、と言わんばかりに話し始めた。


「そうそう。阿室、こいつは狭川さがわだ。去年私と同じクラスでな。お前ならきっと気が合うと思って」

狭川浩平さがわ こうへいだ。部活はサッカー。一応エースを背負ってる。1年間宜しく頼む」


 狭川はそう言って手を差し出してきた。俺は悠月ほど酷くないので、半分彼女に見せつけるようにしてしっかりと握り返した。ちなみに、悠月はこちらを見ながらむすっとしていた。


阿室宗稀あむろ そうきだ。呼び方は任せるよ」

「じゃあ宗稀って呼ぶ。俺のことも浩平でいい」

「分かった。宜しくな浩平」

「ああ」


 狭川、いや、浩平はそう言うと別のグループの方へと向かっていった。どうやら彼もあまり口数が多い方ではないようだが、部活の花形ともいえるサッカー部、それもエースという事もあって知り合いは多いようだ。クールという印象を持つ彼は慎治とはまた違ったタイプだ。きっと彼を狙っている女子も多い事だろう。


 ……まぁ、隣の少女がその中に含まれないことだけは確かだが。


「……慎治が違うクラスなのは残念か?」

「へぁっ!?」


 俺がおもむろにそう聞くと、尾野が変な声をあげて飛び上がった。その声は上擦り、耳も少し赤くなっている。……分かりやすっ。


「いぃいやいやいや。ベ、べべっ別にそんなこと思ってないよ? うん」

「キャラ壊れかかってるぞ」

「……阿室ぉ?」


 我に返ったのか尾野は俺のことを睨む。だがまだ朱が抜けきっていない。照れ隠しだなこれ。


「いや、悪い悪い。お前の反応が面白くてつい」

「面白がる所じゃないだろ! ……(バレたらどうするんだよ)」


 周りを気にしながらそう耳打ちする尾野。再び赤くなっている姿に苦笑が隠しきれないが、一応謝る。すると彼女はぶつぶつ文句を言いながらも顔を離し、そのまま自席の方へ帰っていった。尾野先輩、チョロいっす。




 それからしばらくの間、クラスメイトの人間観察に努める。耳を澄まし、ひとりひとりの顔を見ていく。表情、話し方、手の仕草や視線の動きなどで、人物像を固めていく。


 これは、俺の中での儀式のひとつだ。あまり周囲の人間と関わりを持たないとはいえ、悠月の様に全てシャットアウトする気もない。ボッチになるのは願い下げである。なので、ある程度人となりを知っておき、トラブルが起きないようにするのが俺の流儀である。……とかっこよく言ったが、自分から話しかけに行きたくないだけだ。


 そうしているうちに予鈴が鳴り、教室へひとりの女性が入ってきた。スーツを着こなし、凛々しい表情で入ってきた彼女は朝霧茉莉あさぎり まりという名前だ。担当は世界史。彼女はその見た目通りしっかりとした人間で、何にしても効率を求める。その為SHRも連絡事項を言うだけで終わりなので、生徒からは人気が高い。一部の生徒からは〝茉莉ちゃん〟なんて呼ばれたりもしている。彼女自身はそれをよくは思っていないようだが、わざわざ注意してくることもないので、いつしか定着してしまっている。


 去年も担任だった彼女が今年も相変わらずな感じで連絡事項を述べた後、体育館改修中のため放送になった始業式で校長の長ったらしい話を聞き、今日の時程は終了となった。朝霧の姿を見送ると、クラスメイト達は方々で固まりあい、また会話をし始めた。聞き耳を立てるに懇親会でも開くようだ。


 俺は帰る準備をしながらそっと悠月の様子を確認する。予想通り、彼女はさっさと荷物を纏めて教室から出ようとしている。まぁそうだよな、と思い俺も席を立とうとしたが、彼女に近づく男子生徒の姿を認めて思いとどまった。


「――あのっ、雨宮さん」

「……何かしら」


 彼は確か……端島はしま、だったか。下の名前はまだ覚えていない。おそらく雨宮を集まりに誘おうという魂胆だろう。結果は見え透いているのに、よくやろうと思っ……いや、ちょっと待て。


「俺ら、これからクラスの奴らでカラオケにでも行こうかって話してんだけど、雨宮さんも」

「ごめんなさい。遠慮させてもらうわ」

「――そう、か。悪いな、引き留めて」

「こちらこそ」


 雨宮は素っ気なくそう言うと、そのまま教室を後にした。クラスの皆が注目していたせいで告白して振られたかのような空気になったが、それもすぐに霧散し再び喧騒が戻ってきた。


「宗稀」


 呆然と悠月の出て言った方向を見ていた俺の下に浩平が声を掛けてきた。おそらくこっちもお誘いだろう。


「宗稀はどう?」

「すまん、俺もパスだ。今日はバイトが入っててな」

「バイトやってるのか」

「あぁ。喫茶店でな」

「今度、お邪魔してもいいか」

「いいぞ。気が向いたらいつでも」

「分かった。それじゃ」

「おう」


 手を軽く振って俺もまた教室を後にする。浩平とはうまくやっていけそうだ。尾野の見立てに間違えは無かったようだな。


 それはそれとして、気になったことがひとつある。それは、悠月の態度だ。去年なら、遊びに誘われそうになると問答無用で斬って捨てていたのに、今日はしっかりと断っていた。かの〝薔薇の女王〟にしては珍しい。


 俺は店で待っているであろう彼女に話を聞くため、足を少し速めた。

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〝青春〟は、恋愛だけが全てじゃない。 土反井木冬 @dohanikifuyu

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