最終話 ハッピー・バースデー

 残りの道中は何事もなく進むことができた。

 会いたい人に会えて、みんな家に閉じこもったのだろうか。

 夏は海水浴場として賑わう浜辺も、今は閑散としていた。

 もっと僕たちみたいなもの好きが集まると思っていたけれど、波と風が潮の香りを運んでくるだけで、僕ら以外何もなかった。この世の果てが光のドームとして海を渡ってくるらしいが、海はいたって穏やかだ

 砂浜に腰を落とす。濡れているんじゃないかと思うほど冷たかった。

 皐月も同じことを思ったらしく、車内からレジャーシートを見つけて広げた。

「ピクニックとかよく行くの?」

「これは私が幼稚園とか小学校の時使っていたものよ」

 砂浜に広げられたレジャーシートは、なるほど確かに昔よく見たキャラクターがプリントされていて懐かしささえも感じる。

「皐月もこんなの好きだったんだ」

 今の氷みたいな彼女の持ち物とは想像できぬほどにファンシーなキャラクターに尻をつかせる。それでもまだ冷たいけれど、無いよりはずっとマシだ。

「……別に。家族が持ってきただけ」

「そっか」

 恥ずかしがっているのか、本当に家族が持ってきただけなのか。どちらとも取れる声音だった。

 前まで。それこそ今日のあの時まで、彼女が家族について話すとき、その声音は不機嫌の色だった。できれば話したくない。話題を反らしたい具合で。

 けど、単純な怒りや嫌悪じゃないから、悪く言ったり蔑むこともできない。身動きの取れなかった彼女だが、なんとなく踏ん切りをつけたようだった。

僕は本谷にシャツを渡してしまって、着ているのは血が付いたTシャツとジャケットだけ。慌てて家を出たとはいえ、もっと着こんで来るべきだった。 

 狭いレジャーシート──子ども用の一人分しかない──に身を寄せ合って、他愛もない話をした。

 今まで聞けなかった皐月の家族のこと。

 どこへ連れていってもらって、何が嬉しかったのか。

 あの熊みたいなデザインとは無縁そうな父親が、果たしてどんな仕事をしているのか。聞いて驚いたが僕も街や生活のなかでよく見るキャラクターものだった。じゃあ、このレジャーシートに描かれている物も?皐月に問いはしなかったけれど、端っこに書かれた©マークの次の文字はKが見えた。

 さっき、僕らの関係が始まった一年前の夏の話をしたから、日記を捲るように昔話を始める。僕らが初めて夜を共にしたのは八月の上旬だった。

 夜を共にして、朝を迎えて。一度皐月は家を出て、結局その日の夕方にはスーツケースを持って僕の家にやってきた。

 夏休みが終わるまでずっと、僕の家で過ごして。

「ここにも一回来たっけ」

「あの時はもっと人が多かった」

 僕らの城の近くのジメッとした暑さと違って、ここの太陽は気持ちのいい日差しを浴びせてくれた。

 波音のメロディー―に人々が好き好きな笑い声や歌詞を勝手に付けて、いくつものスピーカーからレゲエとか聞き取りもできない言語の歌が流れて。それら全てが混ざり合っても不思議と不協和音になっていなかった、かつての賑わいは、今ここに無い。懐かしい。

 季節は移ろいでいく。

 僕らが二人になって一年とちょっとしか経っていないから、春以外の季節は二度経験したことになる。楽しかったことはいくつもあった。喧嘩も各季節に一回はしたような気がする。馬鹿々々しい意地の張り合いだったけれど、皐月曰くそれが大事らしい。仲直りの仕方も覚えたし。劇的なこともいくつかあったけれど、ほかの人に言わせればよくあることだと笑われるかもしれない。

 でも、今こうしていることは、実は映画なのではないか。もしくはテレビのドッキリに巻き込まれているのではないか。

 首を振ってその考えを捨てる。

 だとすれば、今日体験して、得た感情は全てが嘘になってしまう。

 本谷織香に貰ったコーヒーの温もりも、あの家族が踏み出した一歩も全て。

 だから、全てが本当でいい。

 いつの間にか水平線の向こう側から光のドームが顔を出していた。日本にあのドームが到達するまであと二時間。まだまだ遠くにある気がするけど、ものすごいスピードでやってきているのだろう。

 無限に続いていたはずの空は、遠くの方で途切れているようにも見えた。

「あれがこの世の果て」

「そう呼んでいるのは僕たちだけだけどね」

 光のドームに飲みこまれれば、消滅する。

 そしてそれは世界全体を飲みこもうとしている。

 世界は滅亡する。

 だから、光のドームが目前に迫った場所がこの世の果て。

 嫌なことがあったらあそこに放り込んでしまえばいい。幸福なことに僕にはそうするべきものを持っていなかった。

「あの向こう側はあの世なのかな」

 皐月が、いずれ全員行くと言っていた場所。いや、彼女が言っていたのは天国か。全員天国に行けたらいいけれど、そんなことにもならないだろう。

「さぁ。けど、神様も大変よね。死ぬはずじゃなかった人たちが皆、来ちゃって。住む場所なんてあるのかしら」

「あるんじゃない。だって、僕らは今日じゃなくたっていつかは死ぬんだ。遅かれ早かれ行く場所だよ。生まれたときに用意してくれてなかったら困る」

「生まれたときに死んだ後の場所を用意しといてくれって、あなたも欲張りね」

「お互いさまにね」

 他愛ない話を繰り返し、やがてその時はやってくる。

 光のドームが近づけば近くづくほど、水位が下がっていき、砂浜が露出していく。

 光が呑み込んでいるのか。もしくは消してしまっているのか。どちらなのかはわからないが、海水は足りなくなった場所を埋めるように流れていき、どんどん飲みこまれ、やがて、目に見える範囲から消え失せていた。

 何百年ぶりかに露出した海底は、まるで映画で見る火星のようだった。デコボコした地面はまるで輝きを憶えたばかりの月の色をしている。

「ねぇ、皐月は不満とかない」

「今さら?」

「いいから」

「無いわよ。あなたとこうしてこの世の果てに来られて。それだけで十分。

 ──あなたは?」

「僕は、そうだな」

「あるの?今さら?」

「いや、まあ、名前で呼んでほしいなって」

 そう言えば、一度も呼んでくれたことが無い気がする。

「なんだ、そんなこと」

 光のドームが差し迫る。光、と言うからにはもっと眩しいかと思ったけれど、なんだ意外と眼を開けてられる。

 皐月の顔もよく見える。

「────」

 なんだ、覚えていてくれたんだ。忘れているんじゃないかと思っていた。

「また会えたら、お互い名前で呼び合いましょう」

「そうだね」

 光が僕らを包む。

 世界が僕らを包む。

 最後、僕らはどんな顔をしていただろうか。

 抱きしめていたから、皐月の顔も見られなかった。

 冬が指す陽光を抱きしめながら、世界は終わっていく。

 この世の果てが、こちら側になる。

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この世の果てまで 白夏緑自 @kinpatu-osi

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