第80話 Price to Pay
「18番、
――待ってたよ、と少年は言った。
部屋で試し履きをした時もリンクサイドで靴紐を結んでいた時も何も聞こえなかったから、やはり地上で現れることはできないということだろう。
拍手の中、ゆっくりとリンクを回る。
驚くほど靴は足に馴染んでいた。まるで最初からわたしのものだったかのように。
「……どうして靴を置いて行ったの?」
「普通に忘れたんだと思うよ」
全然普通じゃない。スケーターのくせに。
ひざまずき、目を閉じる。胸の前で腕を畳んだ。
すん、としばしの冷涼な静寂。
やがて淡々と刻む時間の象徴の如くピアノの音が降り注ぐ。
たっぷり二小節なじませ、腕を広げた。
Hold up, Hold on――ゆっくりとインサイド、アウトサイドでイーグルを回る。
Don't be scared――目を開け、滑り出す。
「答えを聞こうか」
「答え?」
「つまり、君は何者なのか」
雄大な楕円を一つ回り、軌道を定めた。
一度大きく深呼吸し、ロッカーターンから思いきり左をアウトに倒し、トリプルルッツ、すかさずトリプルループ。
歓声が湧き上がるも、やはり遠い。
ずっと少年はついてきている。
わたしの隣。サイドバイサイドで、そっくり同じように滑っている。
「あの日世界の裏側で、生まれた時のことを思い出してとぼくは言ったね。しかし君が思い出したのは、君のことではなかった。全ての掛け違いは、あそこから始まったんだ」
スリーターン。右足のエッジをアウトからインへ。
くるりと身を翻し、トリプルフリップ。
氷は柔らかかった。
衝撃を生み出し受け止めるエッジの一点からくるぶし、膝へと明確な直線がわたしを支えている。
「……自分が生まれた時のことを覚えている人なんているの?」
少年は黙った。いつの間にか真向いにいる。
わたしたちは鏡像のように向き合っていたが、わたしの右手に対し少年は左手を伸ばしていて、あと一ミリという距離で互いを突き放すように空気を押した。
そのままツイズル。同じ回転速度、同じ推進力で、互いの周りを回る。
渦が歯車のように噛み合い、エッジが心地よく滑る。
気流が上昇していく。
揺蕩いながらゆっくりと高まるギターサウンドに身を任せて上体を倒し、スリーターンで螺旋を加速させた。
上半身を振り回しながら、フリーレッグのトウで氷を蹴る。
これはノックだ。最大の秘密を開け放つための。
ひねって、こん。ひねって、こん。
繰り返しながら、わたしは何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか。
本当は知りたいのかすら分からない。
分からないまま扉を叩いた三度目のトウアラビアンで、遠心力が爪先から振り切れるのを感じた。
真下の視野いっぱいに白銀の氷面が広がる。
完全な水平。
――飛びたい。
軸足のインエッジが氷をえぐり、わたしの身体は浮上した。
バタフライ・エントランス。広げた両腕が翼だった。
「……君が覚えている方に、ぼくの未来をまるごと賭けるよ」
ドーナツスピンからシャンデリアの姿勢へと移行する。
天を仰いだ視界が急速にかき混ぜられ、ホワイトノイズで埋め尽くされた。
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