第75話 わたしに分かること(Vinyl Words)

 夢を見た。

 二年前、おばあちゃんのお通夜のこと。


 年齢の割に元気だったはずのおばあちゃんは、夕食の直後突然半身に痙攣けいれんを起こし、救急車に運ばれてそのまま死んだ。

 わたしたちには、死を受け入れる覚悟も現実感も無かった。


 斎場から帰ってきたわたしたちは疲労のあまり、喪服を着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。お線香の匂いが舞い上がる。

 わたしは頬でシーツの冷たさを感じながら、泣けなかったな、と振り返っていた。

 あまりにも何もかもが急で、一連の流れは怒涛すぎた。


「汐音」

 窓側を向いていた洵が、突然ごろんとわたしの方に寝返りを打った。虚ろな目がわたしを見ていた。

 頭の向こうには、カーテンを開けたままの窓。満月が明るかった。


「人の魂ってどこにあるんだと思う?」

 クマすごいなと思いながら、どこにあるんだろう、とわたしは考えた。

 さっき見たばかりの棺の中のおばあちゃんの白い顔を思い出した。

 静かに目を閉じて穏やかで、それは確かに寝顔そのものなのに、何かが決定的に違っていた。触ってもいないのに硬いと直感する肉。


「身体の中じゃないの?」

 誰もが知っている当たり前のことを、わたしはなぞった。

 見たことがないほど参った顔をした洵に、気の利いたことは何も言えそうになかった。


「じゃあ、死んだら魂は消えるのかな?」

 洵は仰向けになり、天井を見つめた。

 問いがそのままそこをぐるぐる回っているという口ぶりだった。

 わたしも一緒に天井を見上げた。

 それはリンクのように、自然と滑走方向と同じ反時計回りの渦を形成した。


 ――汐音ちゃんのスケートは本当に綺麗ねえ。見ていると、天国って本当にあると思うわ。

 きっと、そこではおじいちゃんも見ているはずよ。


 ――何言ってんの、おばあちゃん。氷の上には誰もいないよ。

 

 ……だからわたしは安心して滑れるの、とわたしは言っただろうか?

 こら、と洵に小突かれた記憶があるから多分言った。

 

 それを、後悔している。

 おばあちゃんの魂も、わたしたちが三歳の時に死んだというおじいちゃんの魂も、もっとずっと前の先祖とかそういう人たちの魂も、いや、ひょっとしたら生きててまだ会ったことのない人たちの魂も全て、氷上を回っていたらいい、と今だけは強く思う。


「……話は逆なんだ」

 突然洵は身体を起こした。ベッドがきしむ音がした。


「おれが本当に思うのは、ばあちゃんが生きてた時、身体を動かしていたアレは何だったんだろうって。身体の中から楽しかったり悲しかったりして、おれに向けていた目の光とか、そわそわした感じとか、声の色とか。ああいうの全部何だったんだろう? 今おれを動かしてるものって、何なのかな」

 洵は再びわたしを見る。


「ねえ、汐音。おれって本当に生きてる? おれ、目の前にちゃんといる?」


 瞳は鏡だった。

 洵の中で、わたしは静かに上体を起こしていた。

 近付き、ベッドに座り、その青白い手をぎゅっと握った。


「大丈夫だよ。洵。わたしはここにいるよ」


 冷たい手。跳ね返す弾力。

 ちゃんとここにいるから。

 

 洵はわたしの肩に顔を預け、号泣した。わたしも少し泣いた。



 一つだけ納得していることがある。

 洵と生まれてきたこと。

 何を選んでいなくとも。

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